0

※※※※※※※※※※※※※※※※※※
書籍 【すべての教育は「洗脳」である】 からの引用です
※※※※※※※※※※※※※※※※※※


学校は常識を植え付けるためにある

「どうして学校に行かなきゃいけないの?」

この質問に大人たちは
「学問を治めるため」「世の中で必要な知識を学ぶため」
と答える。

しかしあなたは学校の知識がどのくらい
「役にたった」と感じただろうか?

5割や6割、下手すると7割以上の知識が
「無駄だった」

のではないだろうか。

それも当然だ。

学校が教えることの9割は知識ではないからだ。
学校にとっては、知識など添え物程度の意味しかない。

学校はただ、歪みきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。

なぜ、学校は常識を押し付けようとするのか?
どんな人間を育てようとしているのか?

一言でいえば、従順な家畜である。

社会は、従順な働き手を求めている。

したがってその養成段階である学校で子どもたちは道徳規範を叩き込まれ、学力という形で

「従順さ」に点数がつけられていく。


受験のため、卒業のため、就職のため、
どんな理不尽な勉強にも耐え、ひたすら情報処理能力を磨いていく。

そんな従順さの指標が、
受験社会における「学力」だ。

企業からすると高学歴の人間は
理不尽な作業への耐性が強い
という判断になる。

いまだに体育会系の学生へのニーズが高いのも、要するに
「従順さ」「理不尽への耐性」が強いとみなされているからだ。

ねぎゅチュブ@病みマンガ🪓😊 @negyutyubu

学校教育がダメな理由と、「学校には価値がある」という主張が無意味なわけ | 自分の時間を取り戻そう | ダイヤモンド・オンライン diamond.jp/articles/-/117… @dol_editorsさんから

2017-06-24 16:00:21

疑問

元不登校は人生転落してニートしてるだろどうせ

疑問

学校やめたら勉強とかできなくてヤバくない?

疑問

人は人と関わらないと生きていけない。学校に行かない選択を選べば例え学校が苦手であっても、それ以後の社会生活が苦しくなると思います。

疑問

とにかく!不登校になったら人生終わりなんだよ
将来とか収入とかどうすんの?あんた責任とれるの?


【回答】
このサイトを読んでください。すべて論破してます。

リンク 小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ 正しい不登校のやり方。 明日、学校に行きたくないキミへ。|小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ 9月1日は子供の自殺が1番多い日です。 夏休み明け。学校に行きたくない。 僕にはその気持ちがわかります。 僕は不登校でした。ですが、いまは楽しく生きてます。 学校に行かないという選択肢。 辛いなら逃げてもいいよ。 そんな 2 users
リンク 小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ 【保存版】ホームスクーリングを徹底解説!選択する理由と5つのメリット|小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ こんにちは!小幡和輝と申します。 全国100箇所で不登校の経験がある人を中心にイベントを開催したり「ゲームは人生の役に立つ」などの教育系の書籍を出版したりしております。 アメリカで盛んにおこなわれており、近年日本でも普及

「使いやすい労働者」を大量生産する工場

学校制度の基礎は、産業革命期のイギリスで生まれた。

富裕層たちは、
「いかに大勢の働き手を集め、管理していくか」悩むこととなる。

「会社」的世界観のはじまりである。


政府にとって、工場労働者の確保は死活問題だった。

生産性=軍事カだからだ。


読み書きそろばんができ、
指定された場所に毎日規則正しく通い、
リーダーの指示に耳を傾け、
言われた通りの作業に励む。

そんなサイクルをこなせる
「きちんとした大人」を大量に用意するには、

子どもの内に仕込むのが一番てっとり早い。


つまり学校

「子ども」という「原材料」を使って
「産業社会に適応した大人」大量生産する

「工場」の一つだったのである。


今の学校も、この原則はまったく変わっていない。
学校で押し付けられるのは、「工場=会社」の予行演習だ。

たとえば時間割の厳守、
全体行動、
一方的な評価、
ボス=教師の言うことへの服従・・・。


そして今の子どもたちも雇用者にとって管理が楽な

「望ましい労働者」としての規格からはみ出ないよう
「常識」をせっせと教え込まれているのである。


「禁止」だらけの学校生活

「学校が認めた制服しか着てはいけない」

「土足で校舎に入ってはいけない」

「学校にスマホを持ち込んではいけない」

小学校では

「給食は残さず食べなければならない」

「廊下は走ってはならない」

「先生とすれ違うときは挨拶をしなくてはならない」

などさまざまな禁止令が存在する。


あれをしてはダメ、これをしてはダメ、と
禁止のルールを増やしていくことは、
非常にコストの安い教育手法だ。

教師たちは難しいことを考えず
禁止の柵からはみ出した者を叩いておけばいい。


禁止のルールを十分に身につけた子どもたちは、晴れて常識人として、
そして凡庸な器用貧乏として社会に出ていくことになる。

そして彼らは、
大人になってからも
自分で自分にブレーキをかけ続けてしまう。


禁止という低コストな集団教育は、

興味がある好きな事に没頭できず、
自分の本心に忠実になれず、
我慢が大好きな労働者を育てるためには実に効果的だ。