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新生児に産湯を使わすことを迎え湯と言いますが、そのように誕生は迎えることでした。 衛生、栄養、治療法が整っておらず、乳幼児の死亡率は驚くほど高い昔、お七夜、食い初め、初節句など、いくつもの生育儀礼を設け、不安定な時期を乗り切り、子供の成長に心血を注ぎました。

2023-06-10 00:08:37
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日本は、子供の体罰に否定的な考え方が主流でした。したがって、モンテーニュの「随想録」などに見られる修道院教育、すなわち、鞭で叩いて教育する発想は日本には無く、安土桃山時代に日本に訪れたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスも「子供に鞭を使わず、言葉で戒める」と驚きの眼で日本の

2023-06-10 00:12:19
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子育て事情を伝えています。 「学ぶ」は「まねぶ」、まねすることを意味し、子供の遊びも大人の遊びや行事などをまねし、取り込んでいくことから始まります。  「往来物」とは寺子屋などで使用された、読み書き、算盤を学ぶための教科書で、江戸時代には推定で数万種類も作られました。

2023-06-10 00:19:34
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寺子屋の師匠は地域や家庭に密着した教科書を選びました。 江戸下町の商人の子供が多い地域では「商売往来」を使い、問屋の商業活動に必要な「問屋往来」という教科書もありました。 さらに「風月往来」で年中行事を学び、知識を広げました。 職人の子が多い地域では「番匠往来」、職人道具については

2023-06-10 00:25:48
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「万福百工往来」があり、職人用の文字やことばが集めてあります。 諸国の国名を列挙した「国尽」、江戸の町名を記した「江戸方角」で地理を学びました。 算術は「塵劫記」で学びました。 これは1627(寛永4)年、吉田光由が書いた、わが国初の算術書です。 寺子屋は反幕教育をしないかぎり自由で、

2023-06-10 00:31:22
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1711(宝永8)年、町奉行は寺子屋の師匠たちを集め、9か条の触れを出します。 1.家族や親類と仲良くし、下働きの人に親切にせよ。主人のいる者は奉公に励むこと 2.家業に励み、分限をわきまえること 3.嘘をついたり、勝手なことをいって人に迷惑をかけてはいけない 4.博奕などを一切してはいけない

2023-06-10 00:38:28
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5.喧嘩や口論をしないようにし、仲が悪いときには出会ってはならない 6.怪我をした者を隠さないこと 7.鉄砲を気ままに射ってはならない 8.盗賊や悪党がいれば知らせること 9.人身売買は禁じる 翌1712(正徳2)年には、この9か条の触れが「正徳御条目」として刊行され、寺子屋の教科書として全国で

2023-06-10 00:44:26
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使われます。 さらに1721(亨保6)年、吉宗の命によって、儒者の室鳩巣が中国の道徳書「六諭衍義」をわかりやすく翻訳。 翌年、「六諭衍義大意」として出版され、寺子屋の教材として使われます。  往来物の中には子育てについて書かれたものがいくつかありますが、「養育往来」はその代表的なもので、

2023-06-10 00:53:49
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序文に「幼稚を撫育道の種々、古人の金言を拾ひ輯めて」綴ったとあるように、江戸の子育て論が概観できる、小川保麿が1839(天保10)年に著したものです。

2023-06-10 01:01:55