最中義裕 @monakayoshihiro さんの聞き書きをまとめました。
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【2012年3月17日】米図主催「伝説の雑誌COM コミックス×コンパニオン×コミュニケーション」展での真崎守&斎藤次郎対談メモ

最中義裕 @monakayoshihiro

3月10日は #真崎守 先生の誕生日 2012年3月17日、米図主催「伝説の雑誌COM コミックス×コンパニオン×コミュニケーション」展での真崎守&斎藤次郎対談メモを再整理(司会は霜月たかなか氏) (断片的メモと記憶に頼っての書起し故、事実誤認の可能性有。なお、添付画像の選択は最中の独断です) pic.twitter.com/1Bkw1Y2D03

2020-03-10 21:28:38
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最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:真崎さんは貸本劇画デビュー後、虫プロに入社。斎藤さんは教育評論の場から後にCOMで真崎さんと「まんが月評」を執筆しますが、どこで知り合われたんですか 真崎:虫プロ時代、同社の丸山正雄さん-後にマッド・ハウスの社長になる人ですが-の紹介でした 斎藤:彼は僕の大学時代の友人なんです pic.twitter.com/qD8sWwXCoj

2020-03-10 21:29:25
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最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:斎藤さんがまんが評論へ進んだきっかけは 斎藤:子供の頃はまんがを読んでいたけど、その後大学まで遠ざかってました。「子ども調査研究所」という所に就職した頃、「巨人の星」とかでまんがブームが隆盛になり、同時に「まんがは俗悪本だから子供に読ませず焚書しよう」という運動も起きていた

2020-03-10 21:31:23
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:そこで「教育的見地からまんがを悪書扱いするのは止めよう」と、当時としては異端な立場で、大げさに言うと論陣を張りました。まんがを長いこと読んでいなかったのでまずは良く知ろうと、出版社に「倉庫の整理を手伝います」と入り浸り、年表を作りつつ貪り読んで「まんがの現状」を把握しました

2020-03-10 21:31:47
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:すると、COMに書かれる前に、既に他所でまんがに関する文章を書いていたんですか 斎藤:数は多くないけれど、教育雑誌とかに「まんがは悪くない」ってことをカウンターパンチ的に書いてました。でも僕がまんが評論にのめりこんだ決定的な理由は、真崎さんのまんがなんだよね

2020-03-10 21:32:34
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:真崎さんが青年誌でデビューした時、丸山さんから「これが峠あかねの本業なんだ」って聞かされ驚いたんだけれど、頁数があまり貰えなかったのかコマ割りがやたら小さくて複雑なんだよね。本人はもっと(頁数を貰い)遊びたかったんだろうけれど、表現として全然違う「新しいまんが」だったんです pic.twitter.com/eHBFtllE5i

2020-03-10 21:33:53
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最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:その頃だっけ?劇画ってジャンルが生まれたのは 真崎:私は一応、劇画の人です(笑) 斎藤:でもね、劇画って言っても辰巳ヨシヒロさんやさいとう・たかをさんとは全然違う作品だったんだよね

2020-03-10 21:35:13
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:当時の劇画の「劇」はリアルな絵という意味だったけれど、僕にとっての「劇」はドラマの核なんですよ。僕はアニメ出身なのでコマ割りで全部語れるんです。それで、画面自体でどれだけ語れるかではなく、コマとコマの間に「どこまで隠せるか」そちらの方に腐心しましたね pic.twitter.com/hWJE4dnPg8

2020-03-10 21:35:38
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最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:本人は簡単に言うけど、それは当時大変なことだったんです。作品の意味を理解するのが難しくて何度も読み返し、友達と論じ合いました。 そうやって商業目的だけでなく「作家の自己表現としてのまんがが成立する」というのが嬉しくて、それなら自分も評論と言う形で加担できるかもって思いました

2020-03-10 21:37:23
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:少し時代が前後するかもしれないけれど、24年組って呼ばれた少女まんが家達も、真崎さんの影響を受けたんじゃないのかな? 真崎:いいえ、あの方達は女神です(笑)そんなことを言ったら怒られます。COMの仕事とかでインタビューもしましたが、機嫌を損ねると何も喋って貰えなくなるんです

2020-03-10 21:39:31
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:インタビューに行って10分も経つと「真崎さん、何にも知らないのね」って(笑) 男性まんが家は仕事と私生活は別なんですが。女性の場合は同じなんですよ。少女マンガの何たるかが解るまで3年掛りましたが、すごい世界だなと思いましたね

2020-03-10 21:40:11
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:60年代末頃、多くの青年たちがまんがを読むようになり、まんがを語るための「ことば」が求められるようになって来たと思いますが、COMと同じ頃「漫画主義」という評論誌-同人誌ですが-も創刊されました。斎藤さんはそんな風潮をどう思われていましたか?「漫画主義」にも書かれていましたよね pic.twitter.com/wjIkaIPN4c

2020-03-10 21:41:09
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最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:一回だけね。その後依頼は来なかったけれど(笑)。ただ、この人たち(漫画主義)は、僕は個人的にはあまり良く知らないけれど、「他に語りたいことがあって、そのためにまんがを利用している」みたいな感じでちょっと違和感があったんですよね。勿論そういう手法もあって良いんだろうけれど

2020-03-10 21:42:39
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:メディア全体を制御・統括したい人にとっては、まんがって「どうでも良い」ものだったと思うんですね。まんがはもともとある意味「おとしめられていた」ジャンルだから自由で良かったんですよ。そういう権力におもねらないエネルギーが再度花開いたのが「エロ劇画ブーム」だと思うね

2020-03-10 21:44:28
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:時代のせいというのは確かにあって、まんがの隆盛は読者人口の推移と連動してます。団塊の世代がわっと増えてブームが起こり、その後の人口減少で衰退、の繰り返し。世間のバッシングと持上げが交互に来ながら50年経ってます。まんがの次にアニメブームが来て、今一番熱いのはコミケだと思います

2020-03-10 21:45:50
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:去年(2011年)、東京と大阪のコミケに呼ばれて、そこで「コミケの生みの親」というレッテルを貼っていただいたんですよ。それはあくまでも(まんが家・真崎守ではなく)COMの(全国組織「ぐら・こん」の提唱者だった)峠あかねとして、COMの延長線上に今のコミケがあるという意味で pic.twitter.com/RW1f4IdEti

2020-03-10 21:46:47
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:でも実は僕は長いことコミケに行っていなくて、何年か前(貸本時代からの盟友)みやわき心太郎にどうしても来いと言われて行ったんです。会場を一回りして帰ろうかと思ったら「お前はコミケの楽しみ方がまだ分かっていない」と言われ「何だ」と訊いたら「コミケは終わりが一番素晴らしいんだ」と pic.twitter.com/tNJGL9lCTD

2020-03-10 21:47:55
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:それで終わりに何が起きるかと待っていたら「今年は有難うございました」という館内放送が流れた途端、会場全体が物凄い拍手に包まれ「また来年逢おう」という挨拶が延々30分間も続いて、それがそのまま場外に続き、空港行き遊覧船と駅に向かう橋で皆「さようなら、また来年」と声を上げている

2020-03-10 21:48:36
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:その光景を見て、まさか(自分らがCOMで始めた)まんががここまで凄いことになるとは夢にも思っていなかったので、思わず涙ぐんでしまいました。 何しろ、僕らが子供の頃は、まんがは悪書扱いでしたからね

2020-03-10 21:49:16
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:真崎さんは虫プロでアニメの仕事もされていますよね、特に「佐武と市捕物控」は実験的手法で有名 真崎:あれは実は日本で一番安い予算で作ったアニメなんです。通常の30分アニメでは4,000~7,000コマくらい使うんですが、佐武市は1,000コマ以下。後にも先にもあれだけだと思いますよ pic.twitter.com/7N981jGwtt

2020-03-10 21:51:27
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:「これは視聴率は見込めないな」って最初から上に言われていて、予算が通常の1/4で、(カラー放送時代にも関わらず)白黒だったのもそのせいです。「お前ならなんとか出来る」と言われて考えたのが、あの「静止画でもつ演出」と「カメラワークの工夫」だったんですよ

2020-03-10 21:52:08
最中義裕 @monakayoshihiro

(客席の「放送枠もゴールデンタイムじゃなかった」「アダルト路線では」に対し) 真崎:子供でも大人でもなく、ビッグコミックとかを読む青年層を念頭に置いてました。GTじゃなかったのもお金がなかったから。居合抜きで着物がはだけるシーンとかもやりたかったですから、結構遊ばせてもらいました

2020-03-10 21:52:36
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:真崎さんは峠あかね名義でCOMで「ぐら・こん」や「まんが月評」をされてましたが、評論家・峠あかねとまんが家・真崎守の間に葛藤はなかったのですか 真崎:僕は最初はまんがは描いてません。途中から描くようになった時点で評論はすっぱり捨てました。同時にやるのはペテン氏になると思ったから pic.twitter.com/Z1Ruksev7y

2020-03-10 21:54:41
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最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:まんが月評を書くに当り、まんが家としての視点はどのように作用したのですか 真崎:まんが家としての視点と言うより、当時の僕は戦後の全てのまんがを読んでました。本屋と契約して、一ヶ月経ったら安く売ってくれって言って、それだけの量を読んでいたことが月評を書けたバックグラウンドです

2020-03-10 21:56:40
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:「まんが月評」は、自然にまんがに入り込んで書いてるように読めますが、そのような手法は自覚的なものだったのですか 真崎:う~ん、一つ言えるのはね、他人のまんが評論を読むと「その人がまんがを好きか嫌いか」一発で解りますね。自己主張のためにまんがをダシにする人は好きじゃなかったな

2020-03-10 21:59:08
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:新人登竜門「ぐら・こん」とプロ作品対象「まんが月評」の評論スタンスの違いは 真崎:プロは「読者に伝えるノウハウの優劣」を主眼に、新人は「この人は褒めると伸びるかどうか」を考えて評しました。今の出来が50点でも70点と書いたらさらに良い作品を描いてくれると思えば70点を付けました

2020-03-10 21:59:44
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:僕は専門学校でも教えているけれど、大事なことは昔から変わっていなくて「コミュニケーションの有無」だと思っています。作り手のハートが読者に伝わることが何より大事で、まんがを描く技術そのものは3年もあれば身につくと思っていますから

2020-03-10 22:00:21
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:後にまんが家になってから、評論家時代の発言にクレームがつくことはありませんでしたか 真崎:そりゃあもう、飲み屋に行けばいつも絡まれてましたよ(笑)。でも僕はそういう時言ってたんです「じゃあお前も、評論書けば良い」ってね

2020-03-10 22:03:12
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:斎藤さんがCOMで「まんが月評」を執筆するようになったいきさつは 斎藤:真崎さんと一緒に書いていた人が降りちゃってその後釜っていう感じでね。さっき真崎さんが「当時、自分は日本で一番まんがを読んでいた」って言ったけれど、僕も月評するに当り殆どの雑誌に目を通すことになりました

2020-03-10 22:04:33
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:月評時のエピソードと言うと…僕は殆ど(作品を)けなす文章は書いた憶えはないんだけれど、ある女流作家が太宰治の「葉桜と魔笛」の話を使いながらクレジットがどこになかったので、別に恥ずかしいことじゃないから堂々と書いたらって注文を付けたことがありました

2020-03-10 22:05:35
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:ある時、楳図かずおさんが描いた作品を褒めたんです。そしたら手塚先生から直接電話が掛かって来て「斎藤さん!あなたは本当にあの作品が素晴らしいと思っているんですか!」って、それで「面白いんじゃないでしょうか」って答えたら、もう一度「本当にそう思ってるんですか!」って言われました pic.twitter.com/rknZPgrmw2

2020-03-10 22:06:46
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最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:そう言われて、ひょっとして自分が(作品を読み違えて)間違ったことを書いたかなと思ってその作品を読み返しましたけれど(自分の中では)間違ってはなくて…手塚先生ほどの方でも、心が狭いなあ(場内笑)…じゃなくて、他人の作品をあれほどライバル視しているなんて凄いなあと思いました

2020-03-10 22:07:16
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:もう一つ、あるパーティーで後ろから呼び止められて「実は私、以前まんが月評で作品を褒めてもらったことがあって、すごく嬉しかったんです」って、その文章…って言っても10行くらいですよ、一作あたりは。それを切り抜いてパスケースに入れて持ち歩いているのを見せてくれたんです

2020-03-10 22:08:05
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:女性みたいな名前で繊細な作風だったんですがその人立派な体格の男性で、逆にけなしていたらただじゃすまなかったかなと思いましたが(笑)。相手の喜びようを見て、実は自分は大変なことを書いているのかもって思いましたね

2020-03-10 22:08:25
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:COMは様々な特集や企画記事がありましたが、そういったことを話し合う、編集部内の雰囲気とはどんな感じだったのですか 真崎:二つ印象に残っていることがあって、一つは「土曜日午後に編集部を読者に開放しよう」って言ったらすぐ実現したんですよ。それで地方から来た若者が集まって来ました pic.twitter.com/6iMUSinJcv

2020-03-10 22:10:23
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:もう一つは、新宿に「コボタン」って喫茶店があって、そこのマスターが「まんが喫茶を始めたいけれど置くまんががない」って言うので、定期的に展示会を開いて、そこもやはりまんがを語る若者たちの集いの場になりましたね。僕らの若い頃はそんなことはなかったですからね pic.twitter.com/GrC4PIkRNM

2020-03-10 22:11:01
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最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:真崎さんは自らの月評の「解りやすさ」について「感想文のようなもの」と言われましたが、後にCOMに描かれた「ご時勢なんだモ~ン」(こみっきすと列伝シリーズながら実質的にはイラスト入り文章記事)になると、かなりロジックが駆使された文章作品としての体裁が感じられます pic.twitter.com/1eTPqK9N50

2020-03-10 22:13:28
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最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:また、斎藤さんはCOM以降、真崎守論を発表する等、その評論スタイルを深められたと思うんですが、真崎さん、斎藤さんお二方とも、そのようなまんがを語る「ことば」の進化について、当時、例えば「こういう方向を目指すべきだ」とか、自覚的に考えられていましたか pic.twitter.com/qIa47OWaoC

2020-03-10 22:15:23
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:ある意味、そういう時代はあの頃だけだったかなとも思いますね、こういうものがフリーパスだったのは。それは書き手だけの問題じゃなくて、受け手側にもそういうものを求める要素があったと 斎藤:僕は評論家だから当然なんですけれど、ある程度自覚的にやっていました

2020-03-10 22:17:18
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:ただ、これは言葉を選びつつ語らなければならないデリケートな問題なんだけれど、60年代から70年代という「あの時代」がね、まんがだけでなく世の中全体が、良い意味での混乱のさ中にあったんですよ。色々な価値観が生まれ、時代が変わるんじゃないかとさえ思われていた

2020-03-10 22:17:42
最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:例えば、ジャズからロックに変わった時は衝撃でしたよ。僕はジャズファンだったけれど、コルトレーンは(サックスを吹いているから)絶対に歌えないもの。でもロックはギター弾きながら歌えるんです

2020-03-10 22:17:59
最中義裕 @monakayoshihiro

霜月:さて、この御二方と言うとやはり「共犯幻想」という作品に触れないわけにはいかないと思うのですが… 斎藤:あれは…僕自身を救済するための試みだったんですよ(「おおっ!この作品にはやはりそういうテーマが」と心の中で身を乗り出した次の瞬間→)…経済的にね 真崎:お金の話なの?(笑) pic.twitter.com/3XvLX5Dx5G

2020-03-10 22:21:30
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最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:お金に困っている時に真崎さんから「新連載やるけど原作やらないか」って言われて助かった。随分前に構想を(真崎守に対し)喫茶店で話していて、でも別に連載とか具体的プランは考えてなくて、真崎さんから「この前の話だけど」って言われて「何の話?」って聞き返したら「ほらあの蝶々の話…」 pic.twitter.com/SDbaelP3Zl

2020-03-10 22:23:02
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最中義裕 @monakayoshihiro

斎藤:でも本当に(執筆作業は)大変だったよねえ 真崎:こっちも大変だったよ(笑)。あの作品を漫画アクションに載せてもらえたのが不思議で、もう同じことは二度と出来ないというか、やってはいけないと思いつつ腹を括りながら描いていた。アクション編集長にも会う度に謝ってましたね(笑)

2020-03-10 22:26:24
最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:それでも当時熱心な読者がいて、夏休みとかに訪ねてきて今後の展開を訊いたりする。この作品を描いたことは不思議な体験でした。 不思議な体験と言えば最近もう一つ、それは僕が昔、学研の通販雑誌に描いた飛行機の歴史のまんが(「ホモ・ウォラント」のこと)について pic.twitter.com/SudHyOdYHV

2020-03-10 22:27:42
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:去年(2011年)電子書籍にしましょうって話が出て「何でこれを?」って編集に訊いたら「いやあ、未だに単行本化の要望が多いんですよ」って言われて何とも不思議でしたね。どうも僕は変な仕事ばかり受けているみたいで。本当は王道まんがを描きたいのに(笑) pic.twitter.com/xHejUcn42R

2020-03-10 22:28:40
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最中義裕 @monakayoshihiro

(対談後の質疑応答で「『共犯幻想』では原作者と作画者が互いに刺激しあう関係だったと言うのは本当ですか」と最中が質問したのに対し) 真崎:原作のたった2行からイメージを膨らませて10ページ描くことが出来るし、逆に20ページの原作を一コマで表現することも出来る、それは自由にやらせてもらった pic.twitter.com/oxSuJi1U5Z

2020-03-10 22:29:27
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最中義裕 @monakayoshihiro

真崎:僕はアニメ出身でコマで語ることが出来るので(まんがを描く時)絵から入る。コマを並べてから台詞を当てはめ割り振って行くんですよ 斎藤:僕はそれまでまんが原作ってやったことがなくて、どう書いていいか判らなかったので「小説」を書いて渡していたんです

2020-03-10 22:32:11
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まとめたひと
odd_hatch @odd_hatch

来るべき全体主義に備えよ。全国のヘイト行動の注意喚起、実況、まとめなど。アンチ・レイシズムのやり方、ヘイト候補落選運動などは下記ブログ参照。周知アナウンス情報→ odd-hatch.hatenablog.com/entry/2018/06/…