そしてそして『光る君へ』第13回のご視聴もありがとうございました。 段田父上とソワソワしていました今日。 藤原家が最初の佳境を迎えます。 来週もよろしくお願いします。 リアルタイムで視たいよー。
2024-03-31 23:26:15いま道長の住む土御門邸は倫子の実家で(正妻なので同居婚)、つまり倫子が子供の頃から育った家に、道長は前の女からもらった手紙を持ち込んで隠していたわけで、そりゃあ倫子は複雑な感情を抱くだろうし、こういう身体感覚に根ざした心象は、ドラマになると伝わるものだなあと実感します。 #光る君へ
2024-04-01 12:43:26詮子さまにとって最優先事項は懐仁さま(一条帝)の健康と安寧であって、「しあわせな結婚生活」は後回しになるし、相手は「あの兄の娘」で(しかも政治手腕はおそらく道隆や伊周より上)、そのうえで、「帝と后のしあわせな関係」などということを信じられない背景と経験があるという。 #光る君へ
2024-04-01 10:04:39実際のところ、藤原道長が平安期史上最高最大の権力者へと登りつめるのには女性の力が大きく寄与していて、節目節目で詮子さま、倫子さま、明子さま、彰子さまと、彰子さま入内後は赤染衛門、紫式部、和泉式部らの尽力による後宮政策が効きまくるわけですが、#光る君へ で道長の「そういう姿」を描きつつ、そうした数多くの女性の中で「一緒に友の死体を埋めたこと」を知るのはまひろだけ、、、という脚本になるとしたら、本当の本当にとんでもないラブストーリーだなと思うなどしました。
2024-04-01 09:41:20#光る君へ 作中で特に説明がありませんでしたが(こういうところ今回の大河すごい)、道兼が公任に「後ろ盾のないおぬしは俺を頼れ」と言ったのは、公任の父・頼忠(声の小さい関白殿)が、この前年(西暦989年)に病没しているからですね。この頃公任は政治的に非常に危うい立場となります。
2024-03-31 22:11:18前回、視聴者に「文を一通も送らずいきなり夜這いを仕掛けるのはいくらなんでも当時の常識から外れすぎてないか道長」を見せておきながら、今回「嫡妻へは文を寄越さなかったのにまひろとは文をやり取りをしておりしかもその文を大事にとっておいたのか道長」に繋げる鬼の脚本でした。。。 #光る君へ
2024-03-31 21:52:11宣孝「御岳詣は派手な格好でいかねば、神さまに見つけてもらえぬ。おおぜいの見物客がおった」 おおー! この時の見物客に清少納言がおります。仕込んでるなあ。「宣孝さん、すげえ派手な格好してた。あの目立ち方が政治的な戦略だとしたらたいしたもんだわ」と『枕草子』に記されます。 #光る君へ
2024-03-31 20:25:08まひろ「あの人、あの文を捨てずに土御門殿まで持ってきていたのね」 なお、まひろは道長からの文を盛大に燃やしました。 #光る君へ
2024-03-31 20:44:21彰子さまとまひろ、、、『源氏物語』の最初で最高の「強い読者と作者」だ。。。 彰子さま、のちに、初産直後に推し作家(紫式部)と寒いなか一緒に同人誌づくりに励みつつ、パパ(道長)に上等な硯や筆や紙を用意させます。 twitter.com/tarareba722/st… #光る君へ
2024-03-31 20:43:18ちなみに日本文学史上おそらく初めて「同人誌作り」が描かれるのは、『紫式部日記』「御冊子作り」(西暦1008年11月上旬頃)です。初産から二ヶ月後の中宮彰子が、紫式部を呼んで目の前で『源氏物語』の写本を(おそらく一緒に)せっせと作っている記述があります。 x.com/s_i_s_i_n/stat…
2022-05-06 23:54:15家!「家」の概念とその存続に大きな価値を置くのは天皇家、高級公家よりはじまり、やがて民衆にまで行き渡り中世社会を覆う価値観となります #光る君へ
2024-03-31 20:39:17倫子さま、漢詩の意味はわからないのに、「女手」だということだけはピンとくるの、この時代の恋愛偏差値が高すぎんか。。。。 #光る君へ
2024-03-31 20:40:45詮子「これからもせいぜい遊んでさしあげておくれ」 この、、、、釘刺し、、、詮子自身が、「帝と后の間にある感情」に苦しめられてきたからこその、愛憎入り混じったセリフですね。。。 #光る君へ
2024-03-31 20:36:41源俊賢「生きてゆくなら、力のある者には逆らわぬほうがよい。それがわたしの学んだことだ。」 俊賢さん、このあと道隆政権で才能を発揮し、伊周と道長さんの間をいい感じに動きます。その伏線ですねたぶんこのセリフ。 #光る君へ
2024-03-31 20:32:11源明子が「明子女王」と呼ばれるのは、明子の父である源高明が醍醐帝の第十皇子だからですね(高明失脚後は十五皇子の盛明親王の養女に)。高明は、7歳の頃に臣籍降下して「源」姓となっており、光源氏のモデルのひとりだと言われています。 #光る君へ
2024-03-31 20:28:58「そなたを微笑ませることのできぬ俺も不甲斐ないが、立派な子を産んでくれ」 道長、これ完全に、自分の性事を政治と割り切ってるってことですね。。。 #光る君へ
2024-03-31 20:27:28これ、訴えられた藤原元命が、花山天皇の側近だった藤原惟成の近親って話があって、それと絡めると「あっ(察し」となるわけでw #光る君へ x.com/Nanashino_kami…
2024-03-31 20:25:56「殿様がお帰りになります」 いまや内裏のすぐそばに建つ、広大な土御門邸が道長の住居となりました。このとき道長、正三位。兄が二人(道隆と道兼)がおりますが、わりと政権にリーチがかかっています。 #光る君へ
2024-03-31 20:22:14うおおお…しょ、、、彰子さまもご出演、、(西暦990年は満2歳)、、、。。彰子さま、一条帝との間に二人の皇子(のちにどちらも帝になります)を産み、紫式部、和泉式部、赤染衛門、清少納言の娘を女房として仕えさせた平安のスーパーグランドマザー。 #光る君へ
2024-03-31 20:20:39「約束」を「文字」にすることで社会的な効力が生まれる。これこそが文字の魔術性の真髄です。あらゆる文字は呪文である、ということが広く認知されていた時代ですね。 #光る君へ
2024-03-31 20:11:55道兼の娘・尊子(たかこ)は、長徳4年(西暦998年)に一条帝に女御として入内します。残念ながらその姿を見ることなく、道兼は西暦995年に亡くなります。つら。。。 #光る君へ
2024-03-31 20:10:12藤原道隆一家は「中関白家」と言われておりますが、この名称は「兼家」と「道長」一家による政権の「中間」だから「中(間の)関白家」、というかなり不名誉な名称なので、当然当時はそういう呼び方はされていません。ついでに言えば、道長は「関白」職には就いてません。 #光る君へ
2024-03-31 20:09:03はわわわ、、、、心が追いつかない、、変顔もお美しい、、定子さま、、。。尊すぎんか?? そりゃ寿命も鶴にならんか?? (注『枕草子』で、定子さまから高級紙を賜った清少納言さんが興奮しすぎて「かけまくも かしこき神のしるしには 鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな」と詠んでます) #光る君へ
2024-03-31 20:08:00永祚二年(西暦990年)、定子さま(977年生まれ)この時、満13歳です。強すぎる13歳…。。 いっぽうお相手の一条帝はこの年の7月で満10歳となります。 #光る君へ
2024-03-31 20:05:12兼家、ボケて老衰してるし死を実感して1人泣いたりしてるけど息子の道長には「人は皆いずれは死に腐れ土に還る。されど家だけは残る。栄光も誉れも死ぬが家は生き続けるのだ。家のためになすこと。それがわしの政である」と凛として伝えるの、本当に「家」の繁栄が大事なのが分かっていい #光る君へ pic.twitter.com/1vLnMIK1Cr
2024-03-31 20:43:27#光る君へ ←人買いに立ち向かう主人公 積極的に人を買おうとする主人公→ #おんな城主直虎 pic.twitter.com/PnPMUfrYyl
2024-03-31 20:12:00五節の舞姫に選ばれ倒れた時は「まひろさんのような身分の低い方には…」と言っていたし、あの時の関係性のままだったら就活してることも笑われるか「やっぱり身分の違う方だったのね」と言われていたかもしれない。仲良しというわけではなくても小さな友情が心の中で続いていて嬉しくなる。 #光る君へ
2024-03-31 21:11:32しおりさんも茅子さんも当初はまひろと距離があったのに、今では会えていなくても心配して倫子さまの耳にまで入れてあげて、、。まひろが頑張って参加し続けたサロンで困った時に助けてくれるような人間関係が生まれたんだなぁという印象。 #光る君へ
2024-03-31 20:39:46まひろちゃんの新衣装すごく好きなんだけど、おうちの経済事情厳しい割に前のお召し物よりも良い物になってそうに見えたな… 宣孝さまかさわちゃんから貰ったのかしら…
2024-03-31 20:51:46