【長文】現存する氷川丸のディーゼル主機関と、秩父丸(後の鎌倉丸)はなぜ一本煙突になったか
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天翔 @Tensyofleet

横浜の山下公園に保存・展示中の氷川丸(11,622総トン,日本郵船)。三菱横浜で建造され、1930(昭和5)年に竣工した同船の主機関は、複動4サイクルディーゼル機関5,500馬力2基2軸である。 searcharchives.vancouver.ca/m-s-hikawa-mar… pic.twitter.com/X1stdSMup7

2017-08-07 20:36:37
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天翔 @Tensyofleet

実は、日本の航洋ディーゼル船で、4サイクル複動機関を搭載した船は4隻しかいない。日本郵船の浅間丸級3番船の秩父丸と、同じく氷川丸級の3隻(氷川丸、日枝丸、平安丸)である。主機はいずれもデンマークのB&W社からの輸入品で、国産ではない。図面は氷川丸級の主機、B&W 8680DS。 pic.twitter.com/8NqvVLw4Hj

2017-08-07 20:42:17
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天翔 @Tensyofleet

日本の大型舶用ディーゼルはほとんどが国外メーカーとのライセンス契約を受けて製造されていたのだが、ドイツのMAN(複動2サイクル)、スイスのSulzer(単動2→複動2)、デンマークのB&W(単動4→複動4→複動2)、そして三菱長崎の三菱MS(単動2)が戦前の主な機関であった。

2017-08-07 20:49:05
天翔 @Tensyofleet

氷川丸の機関室。目の前に写っているのが2階とその上の3階で、機関自体は4階建になる。気筒直径680mm行程1,600mmの8気筒、馬鹿でかいにもほどがあるが、これで5,500馬力/基だから当時の技術レベルも察することができる。 pic.twitter.com/L7WVxHRIcd

2017-08-07 21:04:05
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機関室最上階。やたら広い空間が確保されているのは、天井に見えるウィンチでピストンの引抜作業を行うため。 pic.twitter.com/xtS2SwON0j

2017-08-07 21:10:26
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天翔 @Tensyofleet

結果として、機関室は上甲板までの高さを必要としている。現在の入り口と同じ階の廊下だが、右側の壁の向こうは機関室。 pic.twitter.com/RyiiCUXWwG

2017-08-07 21:16:03
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天翔 @Tensyofleet

当時4サイクル複動機関を製造していたB&Wであるが、やがてこの方式に見切りをつけて、より小型で高出力を目指せる2サイクル機関に移行する。その狭間に先の4隻があり、現存する唯一の舶用4サイクル複動機関となって現在に至っている。

2017-08-07 21:23:38
天翔 @Tensyofleet

引き続き氷川丸の機関室、最下部の1階。とはいえクランク軸はまだこの床下に位置する。写真は機関の中央にある操作機器。ここを挟んで右に4気筒、左に4気筒が並んでいる。レバーの上にある計16個のボルトはおそらく燃料調整の弁。 pic.twitter.com/IG4iZFvN3e

2017-08-08 23:04:32
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天翔 @Tensyofleet

機関室3階。この向こう側に複動4サイクルに必要な上下気筒の吸気弁、排気弁、燃料弁、始動弁の開閉を行うカム軸がある。カムとプッシュロッドのお化けだが、複動2サイクルでは吸気弁と排気弁が不要になるので構造的には楽になる(ユニフロー式だと排気弁が要りますが)。 pic.twitter.com/oA1WSubNR2

2017-08-08 23:11:30
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天翔 @Tensyofleet

舶用大型ディーゼル機関のシリンダーヘッドの構造。これは単動だけれども、左が2サイクルで右が4サイクル機関。4サイクルは中央の燃料噴射弁に加え、始動弁と吸気/排気弁で穴が4つあって構造が複雑になっている。一方、2サイクルは一体化した燃料噴射弁/始動弁で1つだけ。 pic.twitter.com/vk1RJhV6qE

2017-08-08 23:20:13
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天翔 @Tensyofleet

4サイクルは加工の手間もさることながら、吸気弁と排気弁を通過する気体の温度差が大きく、熱応力で吸気-燃料噴射-排気の各孔間にクラックが発生しやすかった。複動の場合、太いピストンロッドが中央を貫通する下部気筒はさらに配置が苦しいことになる。 pic.twitter.com/O9BqWJ2yvb

2017-08-08 23:30:28
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天翔 @Tensyofleet

氷川丸の主機を製作したB&W社も色々工夫をこらした結果がこの構造なんだけれども、下部気筒はなんとも苦しいなぁ。。。塗りつぶしは青色が冷却水、赤が排気で黄色が潤滑・冷却油、矢印は青が吸気で赤が排気だと思うんだけれども分かりづらいなぁ。 pic.twitter.com/tZnz7KEJxr

2017-08-08 23:37:25
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天翔 @Tensyofleet

思わず天を振り仰ぐと、機械室天窓が見える。この機械を安定して運転するために払った努力は並大抵ではなかったらしく、氷川丸に乗船していた機関士達の回想にはその苦労譚が綴られている。 pic.twitter.com/UvrehL1YBL

2017-08-08 23:46:42
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天翔 @Tensyofleet

日本郵船の浅間丸級客船3隻のうち、浅間丸と龍田丸は三菱長崎造船所の建造である。共に主機関はズルツァー8ST68/100単動2サイクルディーゼル機関4,00馬力4基4軸であるが、浅間丸は輸入、龍田丸は三菱長崎製であった。写真は浅間丸。 searcharchives.vancouver.ca/m-s-asama-maru pic.twitter.com/d1Tm6uHv0s

2017-08-14 22:13:49
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天翔 @Tensyofleet

0が1個抜けており4,000馬力/基×4の計16,000馬力です。。。

2017-08-15 00:48:58
天翔 @Tensyofleet

龍田丸の機関室配置。後ろの大型4基が主機で、前の小型4基は発電機。主機の排気はほぼ直上に導かれ、後部煙突に繋がっている。外側2基の排気管は船外に出て煙突に横から割り込む形になっている。一方で前部煙突は補助缶と発電機の排気のみ。 ci.nii.ac.jp/naid/130003888… pic.twitter.com/lFEZlQPPTQ

2017-08-14 22:21:56
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天翔 @Tensyofleet

さて、この時代のディーゼル機関と縁が切れないものに、機関の開放修理がある。具体的には主にピストンの引抜作業で、かなり頻繁に行っていた節がある。写真は川崎型油槽船の主機と同型の複動2サイクルD8Z 72/120で、おそらく戦後の撮影。しかしデカいねこのピストン。 pic.twitter.com/Ofa6c4HNI9

2017-08-14 22:32:10
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天翔 @Tensyofleet

龍田丸の機関室。排気管の位置からして、これが主機のズルツァー8ST68/100だろう。先の図面通りではあるが、意外に天井が低いことが分かる。 pic.twitter.com/IQK18PK2UZ

2017-08-14 22:37:07
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天翔 @Tensyofleet

主機8ST68/100のピストン引抜要領。トランクピストンながら2サイクル単動ということもあって機関の背が低く、機関自体もショートストローク気味であったり、クレーンに工夫があったりとでこれだけの高さで引抜ができる。 pic.twitter.com/rc1tkUU92F

2017-08-14 22:43:13
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天翔 @Tensyofleet

一方、複動4サイクルB&W 8680DSを主機とする氷川丸の機関室はこちら。同機関は4階建ての上に、少なくとも頭上のクレーンまでのピストン引抜高さが必要ということになる。ちなみに、浅間丸は2階建てで済んでいる筈。 pic.twitter.com/p2WiWZzSIG

2017-08-14 22:50:07
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天翔 @Tensyofleet

日本郵船の浅間丸級客船3隻のうち、浅間丸と龍田丸は2本煙突であるが、秩父丸(のち改名して鎌倉丸)のみは1本煙突で、外観に大きな違いを生じている。なぜそうなったかの一説に「同じ形の船を3隻造ると1隻沈んでしまうから」というものがある。 history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/HeOIE5pZdD

2017-08-16 12:08:16
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天翔 @Tensyofleet

どうやら出どころは、後に日本郵船と合併することになる東洋汽船の豪華客船天洋丸級3隻(天洋丸,地洋丸,春洋丸)のうち、地洋丸が海難事故で座礁沈没してしまったことに由来するらしい。厳密には船価低減のため春洋丸だけ艤装が一部異なるのだけれども、その辺りは斟酌されなかったようだ。 pic.twitter.com/6QAX8FqsvN

2017-08-16 12:12:31
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天翔 @Tensyofleet

もっとも、浅間丸級も戦争でまとめて3隻沈んでしまったので、ご利益はなかったことになるが。

2017-08-16 12:14:02
天翔 @Tensyofleet

さて、後の浅間丸級となる北太平洋航路定期客船の機関部計画。当初は蒸気タービンだったものがディーゼルになり、軸数とエンジン形式の組み合わせが検討されて、最終的に8ST68/100の4軸案に決定された。 pic.twitter.com/5PS8wbo4h5

2017-08-16 12:18:54
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天翔 @Tensyofleet

2軸と4軸で推進器効率が同等であることを確認の上で、最終的に機関室容積を比較して4軸となったようだが、一般的に軸数が少ない方が効率が良い筈で、その辺りの検討は行われたのだろうか。

2017-08-16 12:24:11
天翔 @Tensyofleet

2軸案と4軸案の機関室容積の比較。2軸案(橙)は8ST90/150、4軸案(青)は8ST68/100で共に単動2サイクル、合計出力16,000馬力。4軸案の方が機関室上の甲板2層分スペースが小さく、機関自体も2軸案より約600t軽く、おかげで重心も約70cm低くなるようだ。 pic.twitter.com/6T8K1zimMS

2017-08-16 12:26:37
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天翔 @Tensyofleet

かくして浅間丸級の主機選定は終わり、4基4軸での建造が決定したのである。したんであるから、そうなる筈である。しかし、そうはならなかったのであるから面白いところである。 awm.gov.au/collection/C24… pic.twitter.com/GrotF6g2WJ

2017-08-16 12:38:54
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天翔 @Tensyofleet

日本郵船の北米航路用客船秩父丸。建造はのち三菱横浜となる横浜船渠、主機複動4サイクルディーゼル2基2軸、乗客定員計822(1等226/2等96/3等500)乗組員323、長さ/幅/深さは170.7/22.6/13m、総トン数17,498は戦前における日本最大の客船であった。 pic.twitter.com/FchDKQwUJl

2017-08-16 21:23:28
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天翔 @Tensyofleet

三菱長崎で建造された浅間丸姉妹と比べると、秩父丸の幅が2フィートほど広く、乗客定員にも差異が生じている。いずれも原因は主機を2基2軸にした結果で、機関高さで機関室囲壁が上甲板まで達し、重心も上昇したので幅を増やした為である。(参考)twitter.com/Tensyofleet/st…

2017-08-16 21:26:05
天翔 @Tensyofleet

秩父丸の主機B&W 8840Dは出力7,750馬力/105rpm、機関重量750tで馬力当たり重量が100kg近いが、周辺機器をどこまで含んでいるのか定かでない。一方の浅間丸は8ST68/100 4基で1,496tとの数字があって、重量面では一応勝負できているようだ。 pic.twitter.com/nTpoYI674B

2017-08-16 21:32:16
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天翔 @Tensyofleet

三菱長崎と日本郵船が1920年頃から計画を進めてきた4基4軸案があっさり変更されたのは、三菱商事(ズルツァー)と三井物産(B&W)の売り込み合戦が原因らしい。いずれも日本郵船のお得意先であり、将来の荷主対策でもあったようだ。

2017-08-16 21:41:27
天翔 @Tensyofleet

1926(大正15)年、東洋汽船を吸収合併した日本郵船はそれまで北米航路に就航していた天洋丸などの置き換える船隊の整備に入った。翌27年には次々と新船の発注を行い、計9隻約12万総トンを1930年と31年の2年で竣工させている。handle.slv.vic.gov.au/10381/320045 pic.twitter.com/1dOtILiBbv

2017-08-16 22:00:18
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天翔 @Tensyofleet

この時発注した造船所と主機の関係は以下のとおり。 【三菱長崎】浅間丸,龍田丸,照国丸,靖国丸(いずれもズルツァー) 【横浜船渠(のち三菱横浜)】秩父丸,氷川丸,日枝丸(いずれもB&W) 【大阪鉄工所(のち日立桜島)】平洋丸(ズルツァー),平安丸(B&W)

2017-08-16 22:04:46
天翔 @Tensyofleet

当初、秩父丸は大型客船の経験がある川崎造船所に発注される予定であった。しかし、ちょうどこの頃川崎はドッタンバッタン大騒ぎ(比喩表現)の渦中にあってそれどころではなく、結局1927(昭和2)年7月横浜船渠に発注されることとなった。

2017-08-16 22:11:37
天翔 @Tensyofleet

なお、川崎神戸が製造していたMAN社の潜水艦用機関はスイスのラウシェンバッハ社経由(ラ式)のサブライセンスで、一般商業用機関は含んでいなかった。川崎がMAN社と一般用ライセンス契約を結ぶのは1929年のことであるから、川崎製でも秩父丸はB&W(輸入)を積んでいたことだろう。

2017-08-16 22:18:33
天翔 @Tensyofleet

かくして、浅間丸級3姉妹のうち、唯一1本煙突となった秩父丸が誕生した。ちなみに氷川丸級3隻も機関選定でB&Wとなり、ズルツァーしか作りたくない三菱長崎が手を引いた結果、先のような受注状況となっている。

2017-08-16 22:22:31
天翔 @Tensyofleet

秩父丸には複動4サイクルディーゼル機関B&W 8840Dが輸入・搭載されたものの、その後横浜船渠は1929(昭和4)年にMAN社と技術提携、MAN型ディーゼル機関の製造を開始することになり、B&W社との関わりは途切れることになる。awm.gov.au/collection/C24… pic.twitter.com/R8JoBWRk6o

2017-08-16 22:48:35
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天翔 @Tensyofleet

加えてこのB&W 8840D、気筒への燃料噴射が空気噴射方式であった。当初無気噴射方式では完全燃焼が困難であったものの、やがて克服されると空気噴射方式の燃料消費の大、構造の複雑さなどの欠点が目立つようになり、次第に淘汰されていった方式である。

2017-08-16 22:52:14
天翔 @Tensyofleet

横浜船渠が後に2サイクル機関の製造で名高いMAN社とライセンス契約を結んだことには、秩父丸建造の経緯が影響していたのかもしれない。当時においても、複動4サイクルの将来性に疑いの眼を向けていた旨の社内の技術者の回想が残っている。

2017-08-16 22:56:45
天翔 @Tensyofleet

日本における複動4サイクルディーゼル機関は、秩父丸と氷川丸級3隻にいずれも輸入品を搭載したのみの実績に終わった。何の因果か、そのうちの1隻氷川丸が幸運にも戦争を生き残り、現在にその形を伝えている。おわり searcharchives.vancouver.ca/m-s-hikawa-mar… pic.twitter.com/yn0DEHrke8

2017-08-16 23:02:51
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