アジ歴より、写真週報300号(昭和18年12月8日号)。建造中の戦時標準船1TM2隻。船台と艤装岸壁の配置からして三菱横浜造船所、発行日直近の撮影であれば、左の五号船台上が進栄丸、右の艤装岸壁が新潮丸だろうか。 digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/GS2kTAgNkE
2016-11-17 23:02:36再びアジ歴より、写真週報318号(昭和19年4月26日号)。やっぱり三菱横浜のようで、撮影が発行日直前なら一番手前の一号船台が一等輸送艦第二号、二号船台が一等輸送艦第七号、三号船台が大指かな? digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/g27VXd9UgT
2016-11-17 23:47:03アジ歴より、写真週報332号(昭和19年8月2日号)。戦時標準船2E型が横滑り進水、といえば三菱若松だろう。 digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/7rwAtpVON4
2016-11-18 21:05:28国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより、1948/11/01(昭23)撮影のUSAwide-R424L-10の一部。中央やや右、海に向かって何本かの筋が見えるあたりが横滑り船台の筈。位置関係からして、海の上からの撮影だろう。 pic.twitter.com/QUGqWhOPnU
2016-11-18 21:11:48アジ歴の写真週報340号(昭和19年9月27日号)より。伏字になっているが、ビルド(ビルディングドック)を持つのは川南香焼以外にない。まだ船底部分しかない建造中の船は、戦時標準船2A型だろう。 digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/VOh85FUMdy
2017-10-04 22:55:09解像度は良くないが、船渠に注水中と思われる写真。戦標2Aは甲板が縦通梁式であったので、シアストレーキと合わせて陸上組立のブロック方式とすることができず、建造期間短縮のネックとなった旨の回想がある。 pic.twitter.com/kWqcolqixl
2017-10-04 23:05:27止むを得ないので甲造船を諦めて、乙造船の方に目を向けてみる。すなわち戦時標準型木造船である。 写真週報 digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/z9WpOmBItx
2017-10-06 21:14:25写真週報229号より。背景に見えるのは雲仙丸(3,140総トン,日本郵船)だろう。ということは三菱横浜、汐入岸壁で艤装中と思われる。同船は1942(昭和17)年10月10日竣工、戦後練習船銀河丸(初代)となっている。 digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/OygVlTXO4w
2018-04-23 00:28:38とすると、手前の船台で建造中の船は何だろう。位置的には五号船台ではないかと思われる。 pic.twitter.com/gogqT3PtQi
2018-04-23 00:35:49当時五号船台に載っていたのはどの船だろうか。撮影は7月1日となっているので、9日後に進水を控えた日南丸ではなく、日輪丸だろう。起工からおよそ4か月にしては、工事の進捗がいまいちのように思えるが。。。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/BYDimtABBw
2018-04-23 00:41:36写真週報229号より、同じく三菱横浜の日輪丸だろう。「戦時標準船」ということになっているが。。。 pic.twitter.com/6trf6cNAOJ
2018-04-23 00:44:45写真週報第301号の表紙。なんだかよく分からない構造物だが、結論から言うと、三菱横浜で撮影された戦標1TM神鳳丸の中央制水隔壁だろう。 digital.archives.go.jp/das/image/M200… pic.twitter.com/VGfUXdctwQ
2022-04-18 19:14:51根拠としては、写真週報の造船所記事で三菱横浜造船所が頻出すること、穴開きの隔壁が用いられるのが油槽船の制水隔壁くらいしか想定されないこと、赤円内の「#612」が三菱横浜の612番船神鳳丸を指すと思われること、青円内の記号が船体中央部を指すこと、あたりだろうか。 nippon.zaidan.info/seikabutsu/200… pic.twitter.com/MFKDq4QPBo
2022-04-18 19:28:38神鳳丸の起工が1943(昭和18)年11月1日、進水が1944(昭和19)年2月27日、写真週報第301号の発行日が1943年12月15日なので、撮影された時期としては11月中くらいではなかろうか。 この写真も進捗状況からして神鳳丸とみていいように思う。 pic.twitter.com/1YxzCxtDhp
2022-04-18 19:37:33この辺りも神鳳丸の部材だろうか。右下のボイラーは1TM用の乾燃室式2号円缶に見えるが、神鳳丸への搭載には少し時期が早いかもしれない。 pic.twitter.com/y3KIfQsbBP
2022-04-18 19:47:28こちらは「今日進水の日」とキャプションにあるので、該当しそうなのは2つ前の610番船新潮丸だろうか。同船の進水日は1943(昭和18)年11月24日。 pic.twitter.com/dgwQ2jXcCb
2022-04-18 19:56:40直接関係ないんだけれども、同じ号のこの写真の船は北海道炭礦汽船の新夕張丸またはかもゐ丸(5,360総トン)ではなかろうか。独特のキングポスト配置は他船に例を見ないように思う。 archive.hnsa.org/doc/id/oni208j… pic.twitter.com/HjlzzsxM39
2022-04-18 20:15:34こちらの方が分かりやすいかな、写真はかもゐ丸。やはりというか、建造は共に三井玉。 pic.twitter.com/5A71ThfAJX
2022-04-18 20:18:06