大正末期、日本郵船の欧州航路向けとして誕生した優秀船白山丸(日本郵船,10,380総トン)の苦難の航程
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天翔 @Tensyofleet

NHHCより、PB4Y-1(B-24の海軍型)の攻撃を受ける日本輸送船。撮影場所は太平洋南西部、時期は1943~44年とのこと。船の特徴から、日本郵船のH型のいずれかだろう。各船の船歴を見るに、どうやら白山丸らしい。 history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/MFvyNSJjhP

2017-04-01 20:55:06
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天翔 @Tensyofleet

白山丸はトラックからラバウルへ向かう途上の1943(昭和18)年10月17日、「B24」1機から低空攻撃を受け、船首に爆弾1発を被弾している。命中箇所が船員部室であったため人的被害が大きく、乗船部隊から臨時の焚火員を編成したという。 history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/oyHfAuzPyd

2017-04-01 21:03:40
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天翔 @Tensyofleet

戦没した船と海員の資料館のサイトより、中央列上2つが同じ写真。記述からみて、1943年12月6日以前にラバウル北方で撮影されたことが分かる。 jsu.or.jp/siryo/sunk/sen…

2017-04-01 21:06:06
天翔 @Tensyofleet

これもどうやら白山丸っぽいなぁ、ということで追加。右手奥がPB4Y-1の爆撃を受けて炎上中の白山丸、中央は白山丸と第1152船団を組んでいた東京丸ではなかろうか。 history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/30tOSdi08u

2017-04-03 22:37:14
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天翔 @Tensyofleet

戦没した船と海員の資料館のサイトより、右列上から2番目が同じ写真。 jsu.or.jp/siryo/sunk/sen…

2017-04-03 22:38:33
天翔 @Tensyofleet

白山丸は18日の日没前にラバウルにたどり着き、夜が更けてのちようやく火災が鎮火する。船長以下36名の戦死者を荼毘に付す一方で積み荷の陸揚げと修理が急がれ、出発は11月4日と決定した。その2日前の11月2日、ラバウルは空襲を受ける

2017-04-01 21:12:02
天翔 @Tensyofleet

fold3.comより、空襲を受けるラバウル港。手前を航過する重巡羽黒のおかげか比較的有名な写真だが、その右手奥で上部構造物に被弾して黒煙を上げているのが白山丸(日本郵船,10,380総トン)。 fold3.com/image/46947261 pic.twitter.com/1q3onCxQIk

2017-04-01 21:15:13
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天翔 @Tensyofleet

NHHCより、この空襲の写真はかなりの枚数が撮影されたらしく、いずれも異なるタイミングでの写真が残っている。 history.navy.mil/our-collection… history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/MIja88gXXn

2017-04-01 21:25:09
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天翔 @Tensyofleet

AWMより、この空襲で特別室の左舷後方の浴室付近に被弾した白山丸はさらに戦死者を出し、乗組員の補充を行って1944年1月29日に大阪に帰還する。 awm.gov.au/collection/127… pic.twitter.com/TGqE1lIm23

2017-04-01 21:27:43
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天翔 @Tensyofleet

その後、白山丸は第4530船団の1隻としてサイパンから避難民を乗せて日本に向かう途上、1944(昭和19)年6月4日の夜明け前に潜水艦の雷撃を受けて魚雷1発を被弾、10分後に沈没して多数の犠牲者を出している。大正時代、日本郵船の欧州航路向けとして誕生した優秀船の最期であった。 pic.twitter.com/vuax6YaaEz

2017-04-01 21:34:28
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