いわゆる志士の活動を支援し、奇兵隊創設を援助し、そのため多額の資金を提供して破産したと言われるが、実像は異なる。
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シービー @MrCB_Harukaze

文久3年(1863)6月6日深夜、晋作坊ちゃんは、馬関竹崎の商人白石正一郎資風の家を訪ねた。白石は文政9年(1812)3月7日生まれの52歳で、坊ちゃんは25歳。親子ほどの年齢差があった。

2021-07-04 16:19:35
シービー @MrCB_Harukaze

晋作坊ちゃんは白石正一郎に「奇兵隊」の構想を話した。また、協力者になって欲しいと要請する。白石は快諾し、弟廉作とともに会計方として入隊すると言う。そして「奇兵隊」が結成される。

2021-07-04 16:26:47
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎は鈴木重胤に入門し国学を習っている。”橘園”の号を用いる教養人であった。文久3年には京都で攘夷祈願の賀茂行幸を拝観している。白石の屋号は「小倉屋」といった。萩藩支藩清末藩(一万石)の御用商人であり、司馬遼太郎先生の小説で言われるような”豪商”ではなく、中小規模の商家である。

2021-07-04 16:32:13
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎は、江戸時代には馬関・赤間関・下関などと呼ばれる北前船船の寄港地での新興商人である。しかし、白石は北前交易への参加資格を持っていなかった。「荷受問屋」であり、小規模な商取引を営んでいた。

2021-07-06 19:39:32
シービー @MrCB_Harukaze

そんな白石正一郎であるから、情報通として知られていたらしい。要は、身代が小さいため儲かる話しを終始さがしていたのであろう。後に志士と呼ばれるものとも交流機会を多く持った。そして安政4年(1857)11月、白石は薩摩藩士西郷吉之助と知り合い、薩摩藩との交易斡旋を依頼することに成功する。

2021-07-06 19:43:39
シービー @MrCB_Harukaze

翌月には、弟廉作を薩摩藩に派遣し、交易はうまくいくかと思えた。しかし、萩藩に願い出たところ、藩の息がかかった豊浦西市の大庄屋中野半左衛門が交易を任されることになった。一支藩の荷受問屋にすぎない白石正一郎は企画者にもかかわらず、薩摩藩との交易から排除される。

2021-07-06 19:47:50
シービー @MrCB_Harukaze

さらに、安政5年(1858)11月14日、中野等の讒言で「大造の損亡」を被ったとし「大姦物」とまで自身の日記で罵っている。諦めきれない白石正一郎は、薩摩備中交易に参加するが失敗し、多大な損害を被った。

2021-07-06 19:53:04
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白石正一郎は数々の失敗にめげず、文久元年(1861)9月、薩摩藩御用達になり、島津久光が率兵上京するための兵糧米購入に奔走する。久光公の上京は討幕攘夷の好機と勘違いされ、長州藩士久坂玄瑞も期待する。そのため、久坂ら萩藩の志士も白石家に訪問するようになる。

2021-07-07 20:28:06
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎も商機に結びつく可能性があるため、萩本藩の藩士の訪問は歓迎したであろう。その甲斐あってか?文久2年(1862)3月、萩藩馬関新地会所んも用達を任じられる。

2021-07-07 20:31:38
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎『白石日記』には数多くの志士が登場する。たとえば、薩摩藩西郷吉之助、大久保一蔵、柴山愛二郎、橋口壮介、森山新蔵、久留米藩原道太、福岡藩平野二郎(国臣)、長州藩松浦亀太郎、久坂玄瑞、土屋矢之介、土佐藩吉村虎太郎という名前が見られる。しかし、白石は資金を援助していない。

2021-07-07 20:36:50
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎は、結局薩摩藩の米の商取引には失敗している。『白石日記』には「米にて損亡」と記されている。踏んだり蹴ったりで、商売を行うための蓄えも危機的状況にあったが、白石は頑張って周旋し、萩藩から1500両を借りることができて危機から脱出する。そのころ、晋作坊ちゃんが訪ねてくる。

2021-07-07 20:40:40
シービー @MrCB_Harukaze

文久3年(1863)6月6日深夜、晋作坊ちゃんは、馬関竹崎の商人白石正一郎資風の家を訪ねた。そして、奇兵隊結成への協力を求める。馬関の大半は支藩の長府・清末藩領である。坊ちゃんは地元で顔が利く者を協力者として取り込むために白石に目を付けたのであろう。 pic.twitter.com/7nlQ34oVN4

2021-07-08 20:18:22
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白石正一郎も財政面で危機的な状況にあり、萩本藩藩主の命で訪問した晋作坊ちゃんは、商人として”ビジネスチャンス”と考えたに違いない。軍資金を出せる状況ではなかったが、自宅を一週間ほど本陣として提供し、会計方を努めるなどして協力する。

2021-07-08 20:21:40
シービー @MrCB_Harukaze

晋作坊ちゃんも白石正一郎の思いは理解し、萩本藩に彼を売り込んでいる。文久3年(1863)6月8日、坊ちゃんは来島又兵衛に「白石正一郎儀、本藩御徒士に仰せ付けられ候様、願い上げ奉り候」と手紙で頼んでいる。奇兵隊隊士(会計方)であれば士分でなければならないと考えたのであろう。

2021-07-08 20:26:48
シービー @MrCB_Harukaze

また、晋作坊ちゃんは藩の重臣前田孫右衛門にも「白石正一郎事、ひとかたならず周旋つかまつり候聞、何ぞ一廉相立ち候沙汰仰せくだされ候様御取り計らい頼み奉り候」と手紙を書く。白石正一郎は7月5日に萩藩で三十人通という士分に取り立てられている。石高は17石で支藩商人としては大出世である。

2021-07-08 20:32:42
シービー @MrCB_Harukaze

しかし、司馬遼太郎作品のように?白石正一郎と晋作坊ちゃんの関係は必ずしも蜜月ではなかった。元治元年(1864)12月15日功山寺挙兵の際には白石は日記に「今夜八ツ時高杉はじめ暴挙党馬関に出る」と書いている。

2021-07-09 19:20:35
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎も一応奇兵隊隊士なので赤禰武人、山県狂介らの慎重論に賛同していたのであろう。しかし、その後、奇兵隊をはじめとした諸隊は晋作坊ちゃんに賛同し、遂には「太田・絵堂の戦い」が始まる。

2021-07-09 19:24:20
シービー @MrCB_Harukaze

ただし、この戦いには白石正一郎は参加していない。「今夕よりおのれ俄にキンタマふとり、第難渋につき、暇をもらい、(12月)25日伊佐を出立、籠にて帰宅」と日記に書いている。ヘルニアになったと思われる

2021-07-09 19:27:27
シービー @MrCB_Harukaze

翌26日には、白石は「諸隊へ追討かかり候由承り、仰天」と書いている。ある意味自分が協力して創った奇兵隊が藩から潰されることを恐れたのであろう。さらに、それは白石正一郎の商人としての終わりを意味すると考えたのかも知れない。

2021-07-09 19:35:12
シービー @MrCB_Harukaze

その後、小郡一帯の庄屋・地主・豪農ら28人が同盟を組んで諸隊指示を決めたころから晋作坊ちゃん賛同諸隊は勢いを増す。白石は1月8日「夜襲をかけ候ところ賊軍大狼狽」と日記に記す。賊軍とは藩政府軍のことである。きつい言い方かも知れないが、やはり利で動く商人であったということであろうか。

2021-07-09 19:41:24
シービー @MrCB_Harukaze

白井正一郎の邸宅には2000両の値がついたが買い手が見つからず、萩藩も金を出し渋る。そうこうしているうちに晋作坊ちゃんも亡くなる、そのため、萩藩からの援助の話しも立ち消えになる。

2021-07-11 19:21:42
シービー @MrCB_Harukaze

明治2年(1869)6月、萩藩は白石正一郎の功労に対して賞典録として家禄とは別に30両を30年限りで下賜すると沙汰した。翌明治3年8月には米5石八斗4升の終身禄が下賜される。これが萩藩の白石に対する評価であった。

2021-07-11 19:27:12
シービー @MrCB_Harukaze

年齢的に再起が難しく、白石正一郎はすでに商売を畳んでいた。が、志士としての活動が忘れられなかったのか、桜山招魂場に奉仕したり、明治10年12月からは赤間宮の宮司を務めたりしている。明治11年7月には教導職試補、明治13年3月には権中講義を明治政府から任じられる。

2021-07-11 19:31:55
シービー @MrCB_Harukaze

白井正一郎が昔交遊していた志士が明治政府で出世し、白石を東京に招いて政商として優遇しようとしたという伝説もあるが、あくまで俗説の域をでない。

2021-07-11 19:37:28
シービー @MrCB_Harukaze

白石正一郎は明治13年8月31日に没する。享年69。三条実美から3円、春輔と狂介から各10円の祭祀料が届けられる。明治24年12月には白石正一郎と弟廉作に正五位が追贈されている。(完) (以上、一坂太郎『奇兵隊士列伝』古川薫『維新の商人』より)

2021-07-11 19:40:32
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まとめたひと
シービー @MrCB_Harukaze

大河ドラマ『花神』をリアルで観て歴史が好きになりました。素人歴史ファンです。 斗南藩領出身。 幕末維新[長州/晋作坊ちゃんと仲間たち/蔵六/市ぃ] /大河ドラマ/動物/ 座右の銘は、”諸君、狂いたまえ” 自由に楽しく呟きましょう。 Tweets are my own.