新郷アオシ×創作女コーチの話。
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エミリー @emilyyokoyama

八神くんは、誰のことも下の名前で呼ぶ。ゴールド生ならみんな親しげに呼ぶ。あれは、外国のやり方に似てるな、と私は思う。チャオ、零士、まひる、九十九君、ほら、そういうノリ。そして彼は私に気付くと、コーチ、と呼んだ。知っている。ここでは、だれも私の名前を呼ばない。

2019-12-09 13:35:34
エミリー @emilyyokoyama

食堂で今日のランチをAにするかBにするか、それとも麺・丼セットにするか悩んでいたら、おい◯◯早くしろよ、と後ろから不機嫌な声が飛んできた。私は驚いて振り返る。そこにいたのは新郷兄弟の二番目、新郷アオシだった。私は驚いていた、さっき、彼は私の名前を呼んで、早くしろよ、と言った。

2019-12-09 13:40:51
エミリー @emilyyokoyama

Aセットにしちまえよ、ぐずぐずしてんなよコーチのくせに、そんなんで指示出しできんのかよ、と日頃の恨みを吐くように言われて(私は彼らに恨まれるようなコーチングを何度かしたことがある)、言われるがままにAセットにしてしまう。まだ私は驚いていた。新郷アオシは、私の名前を知っている。

2019-12-09 13:44:46
エミリー @emilyyokoyama

受け取ってトレーに載せたAセットのランチは、特に好きでも嫌いでもないメニューだった。食べられればなんでもいいか、と私は会計を済ます。私の後ろには新郷アオシが会計待ちで並んでいる。ちらりと見ると、Bセットのランチで、そっちのほうが確実に美味しそうだった。なにそれずるい、と私は思った。

2019-12-09 13:49:47
エミリー @emilyyokoyama

会計が済んだ彼を待ち伏せて、トレーを持ったまま対峙する。ちっ、なんだよ、と道をふさがれた彼は苛立ちを露わにする。私は彼にとって、彼らにとって敵のような存在だ。悪態くらい吐かれる。新郷君、と私は彼を呼ぶ。Aセット嫌いなの、Bセットと交換して。はぁ?と顔を歪める彼。私はゆずらない。

2019-12-09 13:55:25
エミリー @emilyyokoyama

だって、新郷君のせいでしょ、という顔をする。AセットもBセットも値段は変わらない。仕方ねーなぁ、と彼も負い目があるのか交渉に応じた。恨みがあるとはいえ、敵のような存在とはいえ、口汚く急かしたのは悪かったと思っているみたいだ。じゃああっちの席、と私はテーブルを目で示す。

2019-12-09 13:59:02
エミリー @emilyyokoyama

さすがに空中でトレーの交換はできない。今日は3人じゃないの?と歩きながら聞く。別にいつも3人でいるわけじゃねえし、と彼は言う。お前こそいつもはゴールド生と一緒だろうが、と言われて、いつもじゃない、と答える。それに、ゴールド生の彼らは、新郷君のように私を名前で呼ばない。一度たりとも。

2019-12-09 14:02:30
エミリー @emilyyokoyama

テーブルでトレーの交換、はいそれでさよなら、となるところを、呼び止めた。新郷君、なんで私の名前を知ってるの?彼は、は?と馬鹿にするような笑みを浮かべて、知ってるだろ、有名人、コーチ科のゴールド生、と言った。そうだ、ゴールド生は学園の一握りの生徒、名前くらい知れ渡っている。

2019-12-09 14:06:51
エミリー @emilyyokoyama

いきなり下の名前で呼ぶとか、失礼だと思わない?と、少しだけ怒りを滲ませて彼に言う。本当は怒りなどなくて、驚きと、かすかな嬉しさがあったのだけど。うう、と顔を歪ませて、俺らは三つ子だからよ、下の名前で呼ばれんのが感覚的に普通なんだよ、と彼は言い訳をした。じゃあ私も、アオシって呼ぶ。

2019-12-09 14:12:01
エミリー @emilyyokoyama

悪かったって、と複雑な顔をして彼は謝る。悪いと思うなら、お詫びに一緒に食べて、と私は席に着く。なんでだよ、と言いながら彼は私の向かいの椅子をひく。人と食べるの嫌いじゃねえから、一緒に食べてやるだけだからな、と席に着いた。ゴールド生と同席なんて周りの目が痛いっつーの。

2019-12-09 14:20:24
エミリー @emilyyokoyama

確かに、食堂内でちらちらとこちらを見る視線を感じる。敵対するはずの二人が同じテーブルについているのもあるだろう。アオシ、と彼の名前を呼ぶ。連絡先交換しよ、と私はスマホを出す。なに、コーチングでもしてくれんの?と疑い深い目で見て彼はAセットを食べ続ける。それもいいね、と私は言う。

2019-12-09 14:27:04
エミリー @emilyyokoyama

コーチングでもなんでも、またふとした時に彼に名前を呼ばれてみたいと思った。無理に呼ばせるのではなくて。そしてその時自分がどう感じるのかを、知りたいと思った。彼はスマホを取り出すと、連絡先の交換に応じた。いいのかよ、ゴールド生、と薄ら笑いながら。縁を大事に、と私はそれらしく言った。

2019-12-09 14:35:22
エミリー @emilyyokoyama

新郷兄弟のコーチングをしていると聞きましたけど、とラウンジで言われて足を止める。まあ、コーチは誰かの専属というわけではありませんし、と言葉を濁す彼も私を名前では呼ばない。ゴールドハイムでの私はコーチでしかない。みんなの大切なコーチ、みんなのどうでもいい私。私にも、名前があるのに。

2019-12-09 14:41:00
エミリー @emilyyokoyama

新郷兄弟のコーチングは難しかった。日頃ゴールド生を相手にしている時とは、レベルが違う。レベルが低い。大きなところも、細かいところも、まだまだ詰めが甘くて、やることだらけで混沌としていた。三つ子であることを活かしていくのは当然のこと、それ以外の武器も必要だなと思う。技術の底上げも。

2019-12-09 14:48:43
エミリー @emilyyokoyama

アオシ、脚の上げが足りない!ストレッチちゃんとやってんの?うるせえ、やってるわ!それでも前よりこのチームは良くなってきている。コーチは、と新郷兄弟の一番目に呼ばれて、なに?と振り返る。アオシがお気に入りっすねぇ。そう一番目が言う。一番目も三番目も、私のことをコーチと呼ぶ。

2019-12-09 14:55:55
エミリー @emilyyokoyama

てっきり三つ子である彼らは、下の名前で呼ぶのが習慣なのだと信じていたけれど、そんなことはなかった。あの日食堂で私の名前を呼んだ時の彼の言い訳は、言い逃れだったのかもしれない。新郷兄弟の一番目は、俺にはモモコちゃんがいるっすから!と私を名前では呼ばず、コーチと呼ぶことにしている。

2019-12-09 15:00:10
エミリー @emilyyokoyama

新郷兄弟の三番目はもっと分かりやすくて、そのキャラ付けから私をコーチィと呼んだ。三つ子だと自己の確立が大変なのかもしれない、と少し同情を含んで彼を見ていたこともあったが、彼はけっこう楽しんで片言の英語で話していた。失礼な見方をしていたと私は反省する。 コーチ、と呼ばれて振り返る。

2019-12-09 15:04:17
エミリー @emilyyokoyama

新郷兄弟の二番目の彼も、私をコーチと呼んでいる。私はそれが少しつまらない。だからと言って、わざわざ名前を呼んでくれと言うのも、その結果呼んでもらうのも意味がない気がしていた。言いようのない変な気持ちだ。 さあ、今日はこれでおしまい。彼らは彼らの家に帰る、私はゴールドハイムに戻る。

2019-12-09 15:12:52
エミリー @emilyyokoyama

コーチなら二階の共同調理室にいますから、自分でどうぞ、という声が階下から聞こえた。固い声だ。なんだろう、と私は一階に続く階段をのぞき見る。のぼってきたのは、ゴールドハイムには居てはならない人物、何人ものゴール生から恨みを買っている彼、シルバーの一本線の制服、青いフレームの眼鏡。

2019-12-10 00:14:42
エミリー @emilyyokoyama

目が合って、私は彼の名を呼ぶ。アオシ、なにしてんの、ゴールド生でもないのに、と意地悪に声をかける。あ?と不機嫌に私をにらんで、手にしていたスマホを示した。私のだ。さっきの練習場に忘れてきたのか。あ、ありがとう、と言う前に私のスマホは宙を舞った。弧を描いて、階段の踊り場から二階へ。

2019-12-10 00:19:11
エミリー @emilyyokoyama

いじわるなのか、手元が狂ったのか、彼が投げたスマホはぎりぎり私の手には届かなかった。だけどすでに手を伸ばしていた私の体はバランスを崩して傾く。やばい。悲鳴が出た。声がした。後ろで様子を見ていたらしい彼らの声。コーチ、コーチちゃん、コーチ殿!その中で、アオシだけが私の名前を呼んだ。

2019-12-10 00:27:12
エミリー @emilyyokoyama

吊り橋効果、それだろう。全身で心臓が鳴る、時間がゆっくりと進む、落ちていくようだ。いや、事実今わたしは階段を落ちている途中だった。コーチ科の生徒の運動神経は特別性じゃない。受け身も知らない。これはきっと痛いだろう、と私は目を閉じ、身を固くした。派手な音がした。コーチ!と誰かの声。

2019-12-10 00:32:02
エミリー @emilyyokoyama

痛い、けど、それ程じゃないな、と目を開ける。階段の踊り場、私のクッションになって神郷アオシが潰れていた。ゴールド生ではないとはいえ彼もダンサーだ、私は息を呑む。腕は?脚は?痛えけど、折れてはない、と彼は答える。重いんだよバカ女、どけ、と顔をしかめながら言われて、ムッとしつつどく。

2019-12-10 00:46:59
エミリー @emilyyokoyama

そもそもあんたのコントロールが悪いからこうなったんだけど、と、私も言い返す。それは、悪かった、と素直に謝られて、いや、そもそもというならば、私がゴールド生でもないのに、とか最初に意地悪を言ったのも悪かった、と言葉には出せないうちに、騒ぎを聞きつけたゴールド生が階段に集まってきた。

2019-12-10 00:54:01
エミリー @emilyyokoyama

コーチちゃん大丈夫?コーチ、ケガは?もーあんたがいるとろくな事にならない、帰って!と冷たい視線を浴びながら、彼がゴールドハイムを去るのを見た。コーチ、災難だったね。コーチ、無事でよかった。コーチ、気を付けてください。そんな言葉に、みんなありがとう、と返しながら、私は窓の外を思う。

2019-12-10 01:01:49
エミリー @emilyyokoyama

「くっそー、イケると思ったんだけどなぁ!」数カ月に一度の昇格試験に落ちて、シグナルブラザーズの三人は肩を落とした。おまえの指導が悪いんじゃねえの、と言われて、ストレッチさぼってたじゃん、一日一時間はしろって言ったよね、と返す。そうは言っても、以前に比べて彼らは格段に成長していた。

2019-12-10 01:14:48
エミリー @emilyyokoyama

自分たちの実力不足から目を背けて、どんどん注目されていく同級生に嫉妬し、ダンキラ以外の手段で憂さ晴らしをする。そんなダンサーは、彼らだけじゃない。目をかけて、そのエネルギーを正しい道に費やすように導けば、紅鶴はもっと活気づくだろう。コーチって、楽しいものだな、と私は密かに笑う。

2019-12-10 01:25:06
エミリー @emilyyokoyama

なあ○○、と名前を呼ばれて振り返る。あのキラトリやるの辛いんだけど。あの時の、ゴールドハイムの階段落ちで閃いて作ったキラートリック。新郷アオシは苦い顔をしてそう言うと私の顔を見た。技術的には問題ないと思うけど、と彼が何を言いたいのか分かっていて私は意地悪に笑う。思い出が辛いのだ。

2019-12-10 01:37:14
エミリー @emilyyokoyama

ほんの少しの出来心で、意地悪く宙に放ったスマホが私を危険に晒した、その記憶が辛いのだろう。逆に、私はこのキラトリが好きだった。ゴールド生のみんなが私をコーチと呼ぶなか、異質に響いた自分の名前のことを思い出す。まあ、キラトリをやるのは私じゃないのだから、ダンサーの意見を優先しよう。

2019-12-10 01:43:34
エミリー @emilyyokoyama

じゃあ、新しいキラートリックを作らないとね。チームのと、個人のと、ワークスによって合う合わないもあるから7つは欲しい。げー、という顔をしてアオシは私を見た。できるできる、アオシならできる、よっ、シグブラの参謀!と私は彼の背中を叩く。もっと上に行かなきゃ、絶対いいチームなんだから。

2019-12-10 01:53:42
エミリー @emilyyokoyama

それでいつか、シグブラがゴールド生になっても、君だけは変わらず私を名前で呼んで。そう口には出さずにただ手を取って、軽くつないだ。君は驚きながら私を見て、なんだよ、と言いながらも、その手を強く握り返した。 「名前を呼んで」 新郷アオシ×創作女コーチ 了

2019-12-10 02:05:32
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まとめたひと
エミリー @emilyyokoyama

ここはかつてダンキラ用のアカウントでした。ゲームや漫画、語学を好み、ごくたまに短い話を書きます。月水金土曜はここに居て、火木日はブルスカに居ます。未知の人にフォローされるとブロ解しますからね。