#小説投げ祭り #姉のこと 本日から29日まで、朝8時に掲載いたします。よろしくどうぞ。 「アスファルトの下の迷宮」がテーマなのですが、かなりの拡大解釈をしております。あしからず。 挿絵:midjourney pic.twitter.com/HLIOLyGndL
2023-01-26 08:00:06姉のこと(1/26投稿分) 年末には、どこでも工事が増えるらしい。 ……そうはいっても、なにも、この大晦日の夕方にまで。 何か、緊急の修繕工事だろうか。そう思いながら、ぼくはゴムシートの敷かれた仮設歩道を歩いていた。移設、と大きく書かれた看板がちらりと目に入る。なんの移設だろうか
2023-01-26 08:00:07。 足もとに、なにかの気配。おや、と目線を下げる。猫だ。 黒猫。このところ、よく見る。あざやかな、紅い首輪をして、とことことゴムシートの上を歩いている。 目があった。ぴん、とするどく立った耳をこちらにむけている。右前足を、ぴょんと掻き出すように動かして。 おもわず、避ける。は
2023-01-26 08:00:08ずみで、足がもつれる。 ア、と小さな声が漏れる。ゴムシートの端に、小さな水たまり。足がすべって、膝がくずれる。 「……そっちは!」 誰かの声がした。 あ、と思ういとまもなく、……すとんと、足元が抜けた。 * がん、と硬いものにぶつかって、肩にしたたかな痛み。 それから、風圧
2023-01-26 08:00:08。無重力の感覚。 とっさにつむっていた目をひらくまで、2、3秒はかかっただろうか。 落下、している。 真っ暗だ。ひんやりした鉄の気配が鼻先をかすめて、さらに加速していく。なにか、筒のようなものの中にいるらしい。古めかしい、錆びたにおいが鼻をつく。 マンホールだ。 そう、思う
2023-01-26 08:00:09。思うのに、また10秒はかかっている。その間に、どれだけ落ちただろうか。 走馬灯だろうか、と馬鹿なことを考える。 しばらく、そのまま落ちて、……なんだか冷静になってしまい、……呼吸の数をかぞえる。それから、胸に手をあてて、鼓動の数を。 たっぷり、5分はたっている。 ……どう
2023-01-26 08:00:09考えても、こんなに深いわけがない。 そう、思いながら、さらに深くまで落ちていく。 まるで、世界の果てまで。 * ずいぶん長いこと、そのまま落下して……、 それから、……ふしぎなことに、少しずつ、落下する速度が、遅くなっていく。 いや、そう感じただけかもしれない。まっくらな
2023-01-26 08:00:10鉄の穴のなかで、浅い呼吸をしながら落ちているうちに、錯覚しただけかも。 ゆっくり、ゆっくり、また、落ちていく。 つめたい、筒の中で。 * なぜか、足下に空が見えた。 * ふわり、と速度がゼロになった瞬間、反射的に手を突き出す。指先が地面に触れる。そこは、また同じマンホールの
2023-01-26 08:00:11、ふちがあった。 すぐに、体重がもどる。必死で手をのばす。足から落ちたはずなのに、どうしてか、今は頭が下になっている。血がのぼりそうになりながら、マンホールの壁に手をつく。何か、ひっかかるものはないか。 たすけて、と口から出る寸前、ぐっと足首を掴まれた。 オイ、大丈夫か、とす
2023-01-26 08:00:11るどい声がして、何本もの手が、穴のなかに。作業服の袖が目にはいる。ぐい、と引っ張られて、乱暴に穴から出される。腹がこすれて、ひどく痛む。 息を荒くして座りこんでいると、……だれかが、こちらに歩いてきた。 股下の長いジーンズに、どこかで見たような、ベージュのダッフルコート。小柄な
2023-01-26 08:00:12、若い女。左手に、革のハンドバッグ。張り付いたような真顔で、こちらを見つめている。 ダッフルコートは、そんなに古いようには見えないが、たしか、10年前の。 「なにしてるの、こんなところで?」 なんと、姉だった。 ぼくより3つ年上、ということは、今、26歳ということになる。
2023-01-26 08:00:12コートの袖から、薬指だけやけに長い左手をひざにあてて、こちらを見下ろすようにしゃがんでいる。アスファルトに垂れ落ちそうなロングヘアを、右手でかきあげて。 姉は、どうしたの、と2回いった。なつかしい、おちついた低い声で。 「姉さん、……」 やっとのことで、僕がそうつぶやくと、姉は
2023-01-26 08:00:13、さしておどろいたふうもなく、眉をひそめて、 「あんた、……裏側から、来たの?」 そう、いった。 「え、」 「べつに、いいけど。ごはん、食べるでしょ」 それっきり、会話はおわって。 ぼくたちは、家にかえることになってしまった。 (1/26掲載分終了 明日につづく)
2023-01-26 08:00:13#小説投げ祭り #姉のこと 2日目です。1月29日まで、毎朝8時に掲載予定です。30日から2月1日までは別のやつを掲載します。間に合えば。よろしくどうぞ。 挿絵:midjourney pic.twitter.com/ufulQPlMek
2023-01-27 08:00:13姉のこと(1/27投稿分) 親は早くに死んで、ふたりで住んでいた、築42年の古い家。大きいばかりで、水まわりも外壁もぼろぼろ。庭も手入れが行き届かなくて、荒れていたはずだが、……いま、あらためて見ると、草はちゃんと刈られて、がらくたも片付いているようだ。 玄関の前で、ダウンジャケ
2023-01-27 08:00:14ットの内ポケットに手をいれる。……鍵をとりだす前に、姉が開けてしまった。ふしぎな気持ちで、ポケットから出した鍵を見返す。 むかし、旅行先で姉が買った、地名入りのキーホルダー。いま姉が持っている鍵は、どうだっただろうか。よく見えなかった。 「……どうしたの。入るよ」 ちらりと、見
2023-01-27 08:00:15下ろすような目でこちらを見て、姉はさっさと靴を脱いでしまった。 ぼくは、ため息をついて、ともかくも後につづくしかなかった。 * 姉は、冷蔵庫をあけてなにかを数えている。 ぼくは、部屋のなかを見回して、とりあえずソファに腰かけた。 見慣れたはずのリビング。三人がけの、布がぼろ
2023-01-27 08:00:15ぼろになったソファー。20年前からあるローテーブル。同じくらい古いテレビ。それから、見覚えのない小さな衣装だんす。 知っているものと、知らないものが、半々。 なんとなく落ち着かなくて、壁を見上げる。ローマ数字が入った壁掛け時計。電池を替えるのが面倒で、止まったまま放置していたの
2023-01-27 08:00:16だが、なぜか今は動いている。 ねえ、と小さく声をかける。白いセーターを着た姉の後ろ姿に。返事はない。聞こえなかったのかもしれない。冷蔵庫からとりだしたものを、まな板にならべて、包丁を構えている。 しゃり、しゃり、しゃり、となにかの皮をむく音がする。 「……あ、」 くるりと、振
2023-01-27 08:00:16り向く。ヘアゴムを手首にかけた左手で、ちょいちょい、とどこかを指して、 「にんじん、……買ってきてよ。3本」 「え、」 「肉は冷凍のがあるんだけど。……要るでしょ。カレーには」 ああ、と小さく返事をして、立ち上がる。 玄関に出ると、後ろから姉がおいかけてきた。「忘れ物、」と、財布
2023-01-27 08:00:17をおしつけてくる。うす青色の、大きな長財布。ポケットには入らない。 「……金、持ってるけど」 「いいから。」 しかたなく、姉の財布と、きれいに畳んだエコバッグを受け取って、ぼくは家を出た。 まるで、子供のおつかいみたいに。 * もよりのスーパーマーケットまで、歩いて10分。マ
2023-01-27 08:00:17ンホールのあった道は避けて、ぐるりと遠回り。 新しい家が並んでいる区域をぬけて、大通りに出る。 なんだか、景色がいつもと違うような気がする。 あたりを見回す。駅へいくときにいつも通る、4車線道路の歩道。街路樹はかさかさに乾いていて、奥にある歯医者の看板は、色褪せて、目をこらさ
2023-01-27 08:00:18なければ読めない。 べつに、なにも変わっていない。そのはずだ。 大通りから、スーパーマーケットの駐車場をめざして、少し細い道に入る。右側にある門のむこうに、どこかで見たような、紅い首輪をした子犬。いつ見たのか、思い出せない。……たしか、この家は、犬は飼っていなかったと思うのだが
2023-01-27 08:00:19。 毎日のように通っている道だ。気のせいだろう。そう思う。それから、ふと空を見上げる。 空が、狭い。 遠くに、山が見える。前にも、後ろにも。 ボンヤリと、考える。あんなところに、山が見えただろうか。 この、海辺の街で。 (1/27掲載分終了 明日につづく)
2023-01-27 08:00:19#小説投げ祭り #姉のこと 「マンホールに落ちて姉と年越しをする話」3日目です。明日で最終回になります。現実にマンホールに落ちるのは大事故なので気をつけましょうね。よろしくどうぞ。 挿絵:midjourney pic.twitter.com/ewmFOs9Bdr
2023-01-28 08:00:06姉のこと(1/28投稿分) 「……からい、」と小さくいうと、姉はわらって、 「辛いの、だめだっけ?」 いや、ぼくは、といって、首をふる。僕は大丈夫。 かちゃん、とちいさな音。スプーンが食器とぶつかる声。 それから、姉は、またおかわりをした。 * 「……あんた、裏側から、きたんでしょ
2023-01-28 08:00:07う。」 年末の特別番組。ぼくの記憶では1年前に買い換えたはずの、大きな古いテレビ。落とし穴におちるお笑い芸人を、たいして面白くもなさそうに眺めながら、姉は小さな声でいった。 「裏側?」 スウェットに着替えた姉と、三人がけのソファに二人でかけて、見るともなしに画面をながめる。 き
2023-01-28 08:00:08ちんと皿に盛られたピーナッツを、かわるがわるにつまみながら。 「あのマンホール。そうでしょ?」 「なんのことだか。」 「とにかく、……きょうは、年越しでしょう。……あとで、おそば茹でるから。」 「うん。……」 いいながら、……なんとなく後ろめたい気持ちで、右手の下でスマートフォンを
2023-01-28 08:00:08動かす。 姉は、ぼくの手元をちらりと見て、 「……むこうには通じないよ」と、いった。 「なに、むこうって」 「裏側。」 「裏側って、どこさ。」 「あんたが、きたとこ。」 「へえ、……」 よくわからない。 ともかく、……LINEの画面をひらいて、メッセージを送ってみる。 ──ごめん、
2023-01-28 08:00:09明日ちょっと遅れるかも。 しばらくして、返事が帰ってくる。 『誰?』 * あわてて廊下に出て電話をかけても、反応は同じ。声は、ぼくの知っているものとは全然違って、……まるで別人。 SNSを見る。やっぱり、違う。顔も、年齢も、性別さえも。 ぼくは、どうしていいかわからなくなって、
2023-01-28 08:00:10……ひとまず、スマートフォンの電源を切ってしまった。 * 寝る前に、もう一度、電源を入れようとしたら、バッテリー切れ。姉に充電器を借りようとしたが、なぜだか規格が合わない。 仕方なく、電源を切ったまま、布団にもぐりこむ。 ぼくの部屋は、片付けないと使えない状態だったので、姉と
2023-01-28 08:00:10同じ部屋で寝ることになった。押し入れから取り出してきた古い布団で。この部屋に暖房はないが、布団乾燥機のおかげで、体はあたたかい。 目をつむって、考える。 ぼくは、……一体どうしてしまったんだろう? この家に、住んでいたはずなのに。 * 除夜の鐘もとっくに鳴りおわって、街はす
2023-01-28 08:00:11っかり静まっている。ぼくは、寝息をたてている姉のとなりをぬけて、廊下に出た。 なんとなく、眠れない。年越しソバが胃に残っているせいかもしれない。それとも、その前の辛口カレーのせいか。
2023-01-28 08:00:11辛口は、たしか父が好きだった。ぼくも嫌いではないが、家族とはほとんど食べたことがない。母と姉が甘党だったからだ。 だった、はずだ。 台所で水を一杯、コップにとって。 リビングから、不自然にずっと閉まっているふすまを開けて、和室をのぞき込む。 そこには、……やっぱり、遺影と
2023-01-28 08:00:12#小説投げ祭り #姉のこと 最終回です。明日からまた3日間にわたって別の作品を掲載します。たぶん。この予約投稿をしている時点(1/25)ではまだ完成していません。がんばれ未来の自分。 挿絵:midjourney pic.twitter.com/6E6jeApCoi
2023-01-29 08:00:06姉のこと(1/29投稿分) 「今日、……帰るよ。」 元旦の朝、焼いた餅にきな粉をつけて箸でつつきながら、ぼくは姉にそう言った。 「ほんとうに?」 姉は、いつものしずかな声で、……鍋をかきまわす手をとめないまま、聞き返してきた。 ぼくは、もう一度うなずいて、 「ほんとうに。」。 「……
2023-01-29 08:00:07どうやって、帰るの?」 「え、」 「あそこの工事、終わっちゃったけど」 ぼくは、あわてて家をとびだした。 * マンホールは、もう、どこにもなかった。工事の看板は撤去されていて、路面に真新しい舗装のあとが残っているだけだった。 * 家に戻ると、姉は玄関で待っていた。ぼくは、多分
2023-01-29 08:00:08ひどい顔をしていたと思う。姉はぼくと目をあわせるなり、ぎゅっと眉をひそめて、一瞬だけ唇をひらいてすぐ閉じた。それから、まるで涙をこらえるように目じりをすぼめて、 「どうしても、帰るの?」 ぼくは、もういちど頷いた。それから、ため息をついて、 「でも、……帰りかたが、わからないんだ
2023-01-29 08:00:08」 「……そう、」 姉は、ふいとぼくに背中をむけて、廊下を歩きだした。階段の真下にある納戸のとびらを開く。奥のほうにあった大きなスコップを、肩にかつぐようにして取り出して。 「じゃ、庭、……掘ろうか。」 * 途中まで姉が掘って、それから、ぼくが交代した。 ……これ、意味あるの?
2023-01-29 08:00:09と小さくきくと、姉はあたりまえのように、「穴に落ちてこっちに来たんだから、穴を掘れば帰れるでしょう。」と、いった。 冗談なのかどうか、ぼくには判断がつかなかった。 * ……庭のまんなかに、ぽっかりと、大きな穴ができた。 奥は暗くなっていて、よく見えない。スコップを引き抜く
2023-01-29 08:00:09と、くっついていた土がぼろりと落ちて、音もなく暗闇に消えていった。 「それじゃ、……」 ぼくが小さくつぶやくと、姉は、眉をしかめて、少し目をそらした。 それから、 ぼくの右手を、ぎゅっと握って、 「……さよなら、」といった。 * よろよろと穴から這い出ると、もう、姉はどこにも
2023-01-29 08:00:10いなかった。 庭には、植木のくずと、古い水槽、ほかにもいろんながらくたが転がっていて、空は、とても広かった。 ぼくは土を払いおとすと、、ダウンジャケットに入っていた鍵で玄関をあけて、家に入った。 それから、姉の写真が据えられた仏壇に線香をあげて、手をあわせた。 * 寝て起き
2023-01-29 08:00:10ると、庭の穴はもうなくなっていた。 スマートフォンには、2日分の通知が溜まっていた。LINEの画面を見ると、相手の写真はもとにもどっている。少しほっとする。 電話をかける。それから、着替えをして、家を出た。 * 「おはよう、」 「あけまして、おめでとうございます」 そういって、玲奈
2023-01-29 08:00:11はかるく頭をさげた。それから、連絡がつかなかったことについてひとしきり文句、年末の家族の話から、正月番組に出たタレントのこと、年賀状をよこさない同級生の話。そうして5分ばかり一人でしゃべってから、急にきょとんとして、 「どうしたの。……顔色。」 「いや、ちょっと、夢見が」 「初夢な
2023-01-29 08:00:11のに?」 ぼくは苦笑して、曖昧にうなずいた。 「そう、……初夢なのに」 それから、少し頭をかいて、話題をかえる。ぼんやりと、考える。 そろそろ、報告にゆかなくては。もうじき、……姉の命日だ。 (姉のこと おわり)
2023-01-29 08:00:12