戦前42隻のタンカー船隊の一角を占めていた旧式低速油槽船 【附】日本タンカーの船体構造の進化
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天翔 @Tensyofleet

大正末期、本邦の民間における航洋油槽船は、わずかに4隻38,324重量トンを数えるのみであった。写真は光洋丸→第三小倉丸(10,127重量トン,小倉石油)。大正末年に英国から購入した改装油槽船だが、横浜船渠で工事中に爆発事故を起こして就航は1927(昭和2)年となった。 awm.gov.au/collection/C25… pic.twitter.com/iIZYuyWmJg

2020-02-03 21:55:51
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天翔 @Tensyofleet

昭和に入って国内の石油需要の拡大と共に油槽船の新規建造が進められ、1931(昭和6)年には15隻161,299重量トンまで拡大している。写真は帝洋丸(13,740重量トン,日本タンカー)、試運転速力17.53ノットで建造当時日本最速。 awm.gov.au/collection/C25… pic.twitter.com/vpIaCCjEKv

2020-02-03 22:00:19
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天翔 @Tensyofleet

1929(昭和4)年6月、海軍は優秀船保護政策を公布した。後の船舶改善助成施設などに比べて余り知られていないが、載貨重量トン1万トン以上、満船速力14ノット以上のタンカーに積み荷を保証し、また海軍用石油を輸送する場合には、民間よりも有利な運賃を適用するというものである。

2020-02-03 22:05:52
天翔 @Tensyofleet

開戦までの民間運賃と海軍運賃の一覧。支那事変勃発までは相当有利な運賃設定がなされていることが分かる。先の帝洋丸も、この優秀船保護政策適用船となっている。 pic.twitter.com/AlSvtI7PFZ

2020-02-03 22:10:15
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天翔 @Tensyofleet

この運賃の優遇ー実質的な運航経費補助―に加えて「船舶改善助成施設」「優秀船舶建造助成施設」で油槽船そのものの建造助成を実施した結果、1941(昭和16)年12月の時点で、本邦のタンカー船隊は42隻502,775重量トン(捕鯨母船6隻を加えて627,085重量トン)まで成長している。 awm.gov.au/collection/C24… pic.twitter.com/d42omJrRSf

2020-02-03 22:19:01
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天翔 @Tensyofleet

わずか10年の間に約4倍に急増したタンカー船隊も、1945(昭和20)年8月、無事終戦を迎えることが出来たのは、船齢17年のさんぢゑご丸(11,412重量トン,三菱商事)ただ一隻のみであった。

2020-02-03 22:26:21
天翔 @Tensyofleet

戦前における本邦タンカー船隊の大まかな状況はこのとおりですが、詳細についてはアジ歴のこちらなど。 表紙 日本タンカーの歩み 付 油槽船一覧表 油槽船輸送量調表 jacar.archives.go.jp/das/image/C080…

2020-02-03 22:29:22
天翔 @Tensyofleet

以下与太話。 最初は優遇されていた海軍運賃も、支那事変勃発以降は民間運賃を下回ることが多く、運航会社側からは再三の値上げ要求が出ています。当初は海軍輸送ばかりだったタンカーも、段々民間輸送の割合が増えています。

2020-02-03 22:35:34
天翔 @Tensyofleet

一方で、石油製品の民間消費量は昭和5年から10年で倍、海軍の備蓄需要の増大、さらには欧州大戦の影響で外国籍タンカーの減など、タンカー需要そのものは非常に旺盛であったのが開戦直前のおおまかな状況です。

2020-02-03 22:38:47
天翔 @Tensyofleet

(再掲)油槽船光洋丸→のち第三小倉丸と改名(7,350総トン)。1916年に英国で貨物船として建造された後に糖蜜輸送船に改造され、再度タンカーに改造したもの。太平洋戦争に参加した日本の油槽船としては、最も古い部類に属する。 awm.gov.au/collection/C25… pic.twitter.com/8OVgj9rHxv

2020-02-04 22:14:30
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天翔 @Tensyofleet

油槽船大神(だいしん)丸(5,574総トン)、1919年英国建造。第一次世界大戦における英国の戦時型油槽船で、一般貨物船の貨物倉をそのまま油槽に設計変更したため、三島型、中央機関、中央トランク型(船体横断面が凸型)、デリックなしという独特の外観をしている。 awm.gov.au/collection/C24… pic.twitter.com/vItoMMdLY7

2020-02-04 22:15:46
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天翔 @Tensyofleet

油槽船御津(みつ)丸(5,682総トン)。外観からも分かるように、先の大神丸と同型の英国製戦時型油槽船。なお、日本海軍の給油艦野間も同型である。 awm.gov.au/collection/C24… pic.twitter.com/IjVDLjQzOh

2020-02-04 22:19:17
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天翔 @Tensyofleet

油槽船瑞洋丸(7,386総トン)。光洋丸→第三小倉丸と同型の貨物船から糖蜜輸送船を経た改造船。 awm.gov.au/collection/C25… pic.twitter.com/Ct76G1n3p4

2020-02-04 22:23:28
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天翔 @Tensyofleet

油槽船八紘丸(6,046総トン)。1917年にアメリカで油槽船として竣工、1920年ノルウェーに売船、1927年に捕鯨母船に改装。便宜置籍船としてアメリカの旗の下にオーストラリア近海で捕鯨を行い、1939年パナマに売船されて母船設備を撤去、再度油槽船に。1940年日本に売船。 awm.gov.au/collection/C24… pic.twitter.com/K9pxULtAep

2020-02-04 22:29:02
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天翔 @Tensyofleet

これら速力10ノット程度の中古船も、開戦前の本邦タンカー船隊42隻の一画をなす存在であった。

2020-02-04 22:31:41
天翔 @Tensyofleet

日本初の国産航洋型油槽船として計画された紀洋丸(9,287総トン,三菱長崎建造,東洋汽船)。諸般の事情からタンカーとして運航されたのは、竣工から10年余を経た1921(大正9)年以降となった。 pic.twitter.com/ubadT8taCq

2021-04-18 13:38:54
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天翔 @Tensyofleet

本船の油槽船としての図面。船体に縦通隔壁はなく、積荷の自由表面を制限するのは膨張トランクのみとなっている。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/ajxc3YHklv

2021-04-18 13:45:55
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天翔 @Tensyofleet

時代は少し下って1922(大正11)年、橘丸級3隻(帝国石油,6,500総トン,播磨造船建造)において、初めて船体中央に1条の縦通隔壁が設置された。船体構造に採用された「イッシャウッド式」は、名前だけはどこかで耳にしたことがあるかもしれない。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2021-04-18 13:51:20
天翔 @Tensyofleet

アジ歴には、橘丸級油槽船(橘丸,満珠丸,干珠丸)の図面がある。 油漕船に関する件 jacar.archives.go.jp/das/image/C080… pic.twitter.com/ffO0zj8Slz

2020-02-18 22:44:04
天翔 @Tensyofleet

それでも冬季北太平洋の荒海には抗しがたかったらしく、時折船体に破損が生じていたようだ。みんな大好きさんぢゑご丸も、就航2年を目前に荒天に遭遇して船体中央部に損傷が発生している。 jstage.jst.go.jp/article/jjasna… pic.twitter.com/sUznd4lgQv

2021-04-18 14:07:32
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天翔 @Tensyofleet

これらの事故を受けて、縦通隔壁を2条にしたのが富士山丸以降の本邦油槽船。以後、戦標TL型を含めて終戦までこの基本的構造に変化はない。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2021-04-18 14:14:12
天翔 @Tensyofleet

富士山丸はまたそれまでの油槽船とは異なり、日本で初めて油槽の縦通隔壁を2条として、不足気味であった船体の縦強度を強化している。川崎型もこれを受け継いで同じ構造になっている。 (左が富士山丸、右が東亜丸) pic.twitter.com/6j5D5vRN4m

2021-04-18 12:45:17