自分の見ている世界の綺麗さを伝える相手がいること、藍子ちゃんにとっては重要なところですね 共感してくれる相手だとなおよし twitter.com/hirano_everyda…
2021-03-14 23:17:29藍子「もう見る人がいなくなっても、世界はこんなにも綺麗なのかって、ちょっと悲しく思ってたんです。でも実はそう考えること自体が間違ってて。世界が綺麗だって思ってるのは私で、そう思ってる私がいなければ、世界そのものは綺麗なわけでも、汚いわけでもない、って気づいたんですよ」
2021-03-14 23:13:49確かに、高森藍子は「世界は綺麗でも汚くもない」ではなく「世界を綺麗だと思っている自分がいる」という方を大事にしそう
2021-03-14 23:18:20「この世界が本当の姿じゃないって、いつ気づいたんですか……?」 「ごめんなさい、ほたるちゃん。実はほたるちゃんに出会う前、ずっと昔に気づいていたんです……ごめんなさい……ごめんなさい……」
2021-03-14 23:19:45個が世界の一部であるという上で、世界の一部としてではなく個としての自覚を大事に生きる高森藍子、無限に解釈一致できる
2021-03-14 23:20:00抱えきれない孤独と絶望に浸されて、徐々に独我論に陥っていく藍子...辛い...もっとください... twitter.com/hirano_everyda…
2021-03-14 23:21:39「この景色が綺麗」っていうある程度一般化された価値に、「しあわせ」っていう個別具体的な付加価値を乗せていきますからね藍子ちゃん
2021-03-14 23:23:58終末世界の高森藍子=高森藍子以外の人間が存在しない(動物や昆虫などはいる)というのが前提としてある気がする(例外あり)ので高森藍子にとって「人との繋がり」や「幸せを分かち合う存在」がどれだけ大切かが分かるとか分からないとか
2021-03-14 23:27:36誰もいなくなった世界でほたるちゃんの姿だけを幻覚として見ながら、 時に降り注ぐ瓦礫を回避し、時に正確な手当をし、 たった一人で二人きりの世界をお散歩する藍(ほた)
2021-03-14 23:32:46あるいは、こういう「共有する存在」がいなくなったら「自分の感じている『幸せ』は本質的なものではない」と気づいてしまうのかもしれない
2021-03-14 23:33:45本当に藍子ちゃんが独りになったら、その時は日記でも書くんじゃないかなぁ……他のもしかしたら居るかもしれない誰かか、未来の自分に向かって
2021-03-14 23:37:13「お元気ですか、今日は天気がいいでしょうか、もしこの日記を誰かが見ているのであればそれはとても幸せな事ですね」 「もし私が居なくなってしまった後、世界が元通りになったのなら、ううん、本当の世界が私が居た世界であったとしても」 「私にとっての幸せは、今あなたが生きている世界だから」
2021-03-14 23:41:15ゲームなんかでよくある「その真実を知れば君はきっと後悔することになる」 これはトゥルーエンドではあるけどハッピーエンドではないんです
2021-03-14 23:42:26「もし私しか世界に人がいなくなったら?」 「うーん…難しいお話ですね…だってそれは幸せを誰とも分かち合えないって事ですよね…」 ━━あの日の記憶が蘇る。 “もしそんな事が起きたなら” 勿論考えたこともある。 けれど考えたくはなかった。 それが起きてしまえば笑えなくなってしまうから。
2021-03-14 23:46:19「こんにちは、この日記を読んでいる人はいますか?」 「もし誰かがこれを読んでいたのなら、きっとそれは幸せですね」 「もしかしたらその頃には私はどこにもいないかもしれません」 「でもこの日記が誰かに読まれているのならきっと世界は元通りになったんだなぁって思えますから」
2021-03-14 23:54:02高森藍子という存在が本当に掴みどころがないせいで終末世界みたいな少しくらいようで幸せな考察ができるのは凄いところだなあって思ったりしてます
2021-03-14 23:55:21「幸せ」をモチーフにしたキャラクターとかは沢山いても雰囲気によってこんなにも儚さが出たり優しさが見えたりする宝石みたいに見る方向によって色んな雰囲気が出てくる不思議な人だなあって
2021-03-14 23:59:43