貨幣についてのツイートをまとめてみました。雑学要素が高めなので面白くないかも知れません。
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六衛府 @yukin_done

【試鋳貨】量産する前にデザインの確認等のために試験的に鋳造する貨幣 ※試鋳貨 5円銅貨 昭和26年(1951) 3.13g 造幣局鋳造 第28回 銀座コインオークション出品 落札価格 5,400,000円 pic.twitter.com/fbCuwTjbk4

2018-03-11 13:35:39
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六衛府 @yukin_done

【不発行貨】貨幣の形式、素材・品位・模様などが決定し、法令で公布されながら、何らかの理由により発行されなかったもの。10円洋銀貨は朝鮮戦争勃発によるニッケル相場高騰が中止理由。 ※不発行10円洋銀貨 昭和26年(1951) 2.75g 造幣局鋳造 第28回 銀座コインオークション 落札価格 300,000円 pic.twitter.com/GNmtPxEbh7

2018-03-11 14:52:04
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六衛府 @yukin_done

現在の前のデザインの1円玉だが、市場に流通したのはアルミ製ではなく真鍮製(銅と亜鉛の合金)。現在の1円玉に移行する過程だったと思われる。 ※試鋳貨1円アルミ貨 昭和25年(1950)  造幣局鋳造 2011 September Long Beach Signature World & Ancient Coins Auction 落札価格 104万円 (9500USD) pic.twitter.com/pYI8ykuWoZ

2018-06-20 08:06:23
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六衛府 @yukin_done

実際に発行された1円黄銅貨。発行したものの、額面価格が材料価格を下回ってしまい、潰される可能性が出たため、昭和28年12月31日に銭と厘の単位の通貨が通用禁止になると同時に、通用禁止になりました。戦後発行された円単位の貨幣で現在無効なのはこの1円黄銅貨のみです。 pic.twitter.com/CKnioK95dG

2018-07-25 11:15:17
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六衛府 @yukin_done

明治3年、二円半金貨の見本打ちとして作られた銅製の試鋳貨。二円半金貨は製造されませんでした。 ※試作二圓半銅打貨 落札価格2,659,200円 オークションワールド pic.twitter.com/WYUTpi9SDK

2018-10-14 23:21:24
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六衛府 @yukin_done

明治初期、試験的に極めて少数が製造された20円プルーフ金貨。明治3年銘だが、製造されたのは明治4年とされている。日本の貨幣としては過去最高額の5000万円以上で落札された。 ※二十圓金貨幣 プルーフ 明治3年銘(1870年) 造幣寮鋳造 落札価格 5110万円 (470,000USD) Heritage Auctions 2017 pic.twitter.com/pAXz4VP9jD

2019-02-01 16:45:21
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六衛府 @yukin_done

【硬貨関係の合金名】 洋白(洋銀) 銅・亜鉛・ニッケル ※新500円硬貨 黄銅(真鍮) 銅・亜鉛 ※5円硬貨 白銅    銅・ニッケル ※50円 100円 旧500円硬貨 青銅(砲金) 銅・亜鉛・スズ ※10円硬貨 ※銅72%、亜鉛20%、ニッケル8%の洋白はニッケル黄銅と呼ぶ

2015-12-22 06:57:58
六衛府 @yukin_done

江戸時代、包封せずに献上・贈答用として使用できたのは大判のみで、しきたりであった。大判の表に「拾両後藤」と花押が書いてあるのだが、この拾両は金の質量44匁(金1両=4匁4分)のことで小判10枚という意味の「拾両」ではない。公定価は享保小判に対して七両二分。 ※享保大判金 第13代後藤延乗墨書 pic.twitter.com/nWlQSaYHbr

2020-04-14 15:33:07
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六衛府 @yukin_done

【大判】「金一枚」「黄金一枚」などとして恩賞、贈答用に用いられていた大判に公式に通用価値が設定されたのは享保10年で、享保大判一枚に対して享保小判と一分判で七両二分と定められた。表の墨書に拾両後藤(花押)とあるのだが、これは通貨単位の小判一両の10倍の意味ではなく、金44匁の質量表示。 pic.twitter.com/xir5tuWb3Q

2018-03-21 01:15:19
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六衛府 @yukin_done

最初に作られた大判は安土桃山時代の天正菱大判で現在は数枚しか確認されていない。この大判の墨書の後藤の「藤」辺りにある埋め金は量目調整用のもの。3年前にスイスのオークションに出品された。 ※天正菱大判 Hess Divo AG, Zürich 落札価格 1億4300万円(1,100,000CHF) pic.twitter.com/ifqwbMTf3C

2018-03-21 01:27:55
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六衛府 @yukin_done

【包金】25両・50両などの一定額の小判を和紙で包封し、額面、包封者の署名捺印が施されたもので、包封者表書の絶大な信用力により中身を改められることなく流通した。金座・後藤家による「後藤包」、両替商による「両替屋包」があった。 ※保字小判五拾両包金(天保小判両替屋包) 日本銀行 蔵 pic.twitter.com/bonyPYOgTC

2017-10-10 08:00:23
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六衛府 @yukin_done

すでに中身を鑑定・保証済みである包金銀の「封印切り」は商慣習上のタブーとされ、裸金となった場合、まとまった金額の小判を両替商に持ち込み、手数料を払い、真贋鑑定、摩耗欠損の検査(銀の場合は再秤量)を行う必然性が生じた。正貨そのものに価値を持たせた金銀貨の流通上の慣習は現代とは違う。

2017-10-10 08:28:01
六衛府 @yukin_done

【包銀】500匁など定量で丁銀・豆板銀などを和紙で包封し、量目、包封者の署名捺印が施されたもので、包金と同様に包封者表書の信用力により中身を改められることなく流通した。銀座で刻印打ちを世襲していた大黒常是の「常是包」、両替商による「両替屋包」があった。 ※銀五百目包 日本銀行 蔵 pic.twitter.com/yFFhZs08kZ

2017-10-11 01:21:48
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六衛府 @yukin_done

前ツイートの銀五百目包は大阪の豪商「辰巳屋久左衛門」の包封で両替屋包、中身は丁銀12本です。辰巳屋の資産は少なくとも200万両あったと言われています。明和年間に二朱銀などの定数貨幣が鋳造されますが常是が定数貨幣の包封を辞退したため、銀座役所で包封され、「銀座包」と呼ばれています。

2017-10-11 01:34:58
六衛府 @yukin_done

包のまま流通して、包を破ると面倒なことになっていたわけですが、よく考えると中身を見た所で真贋の鑑定は素人には無理なので、両替商の刻印が入った包みのままのほうが俄然価値があったわけで納得です。日銀所蔵の金銀包も中身は確認していないそうです。包自体に文化的価値があるからとか。

2018-10-14 17:40:25
六衛府 @yukin_done

幕末の日本から金が大量に海外に流出した原因は日本の金銀比価が安政期で1:4.65だったのに比べて、海外相場は1:15.3程度だったことが原因。天保小判3枚を海外で銀換算すると銀307.7gに相当し、外国人は両替だけで利益を得ることができた。800万両(金地金153トン相当)が海外流出したと見られている。 pic.twitter.com/aECI7B8297

2019-02-02 17:41:46
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六衛府 @yukin_done

江戸時代に流通した貨幣で「判」と呼ばれるものは金貨を意味していました。江戸初期から流通していた一分判金を「一分金」と呼びますが、これは江戸後期に鋳造された一分銀と区別するための天保期以降に始まった便宜的な呼び名と思われます。 ※壱分判金 金銀圖録 貳 国立国会図書館 蔵 pic.twitter.com/VPDftDm43J

2020-10-25 19:02:45
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六衛府 @yukin_done

小判の4分の1の価値を持つ一分は使い勝手が良かったようで比較的高価な取引の際に使われていたようです。 ※画像左 慶長一分判金  金座 後藤光次、桐紋の刻印 ※画像右 安政一分銀  一分銀だけ銀座の座の字が異字体になっている。「定」は品位保証の定極印。「常是」は銀座役人 大黒常是の世襲名。 pic.twitter.com/aJ8ysprLmU

2020-10-25 19:25:31
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六衛府 @yukin_done

【九六銭】江戸時代、銭差しに通した銅銭96文の束を100文として流通させる習慣。現代人には理解し難いですが96文は100文でした。江戸時代の数学書「塵劫記」にも九六銭の計算方法が掲載されています。九六銭による計算を「省銭」、100文=100文による計算を「調銭」と呼んでいました。 pic.twitter.com/yqncpgI5k6

2017-11-03 21:38:39
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六衛府 @yukin_done

銀一分は銭1000文(九六銭勘定だと960文)なので、そこそこ価値があったと思います。かけそばが16文でした。時代劇の酒場で「つりはいらねぇよ」といって一分銀を置いていくシーンがありましたが、絶対にあり得ないと思いますw pic.twitter.com/872pohvMbh

2020-10-25 19:53:54
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六衛府 @yukin_done

96というのは2でも3でも4でも6でも割り切れるという便利な数なので何かと重宝されたのではと思います。48文でも50文として流通したので現代人の感覚では厄介です。ただ、御年貢金などは省銭ではダメできっちり調銭で計算されたそうです。

2017-11-03 21:51:04
六衛府 @yukin_done

現在も有効で法的に通用する明治時代発行の銀行券(紙幣)は明治18年発行開始の旧兌換銀行券1円(大黒1円)と明治22年発行開始の改造兌換銀行券1円(漢数字1円)の1円札二種類のみ。 pic.twitter.com/H3ZyWj2cuP

2016-06-03 19:34:00
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六衛府 @yukin_done

両者共に不換紙幣の扱いとなっているので銀貨とは交換できないが、現在でも法貨として額面である1円の価値が保証されている。理由は簡単で「日銀券」だから。大日本帝国時代の紙幣が現行の通貨であることからも国家としての連続性を感じることができる。 ※参考 旧兌換銀行券1円 未使用 楽天市場 pic.twitter.com/Yr4Um0oPEF

2019-10-02 02:57:57
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六衛府 @yukin_done

戦前の1円札が現行紙幣として残っている理由は昭和21年の新円切り替えで従前の5円札以上の通用が法的に停止されたため。1円未満の小額紙幣は昭和27年にすべて通用停止になっている。 pic.twitter.com/6dUfndLirQ

2020-02-14 09:04:56
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六衛府 @yukin_done

日銀総裁印、通し番号の無い旧1万円札が過去のオークションに出品されている。何とも言えない違和感が逆に面白い。 ※日本銀行券C号1万円札 オークションワールド 落札価格 288万800円 pic.twitter.com/N4cVAEo3gC

2021-04-02 09:03:30
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六衛府 @yukin_done

甲号五十円券。昭和金融恐慌が原因で取り付け騒ぎが発生した昭和2年に製造されましたが、200円券のみが発行され、50円券は見本券のみ現存しています。2日間で急造されたために裏は白紙になっています。落札価格は826万円(74,750USD)でした。 ※Heritage Auctions 2011 Sep 12 pic.twitter.com/VQiiJF6gzf

2021-04-02 08:27:13
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六衛府 @yukin_done

かつての日銀は社会の激変に備えて、あらかじめ紙幣を印刷しておくことがありました。戦時中に準備され、終戦直後に短期間のみ流通した日本銀行兌換券1000円甲号券は製造当時の額面価値だと現在の180万円相当額でした。 発行開始日 昭和20年8月17日 通用停止日 昭和21年3月2日 pic.twitter.com/aWChWzLK6E

2021-08-14 23:43:15
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六衛府 @yukin_done

北朝鮮の偽札製造は朝鮮労働党39号室が関わっているとされ、カラー印刷技術は、世界トップレベルといわれているスイス・ヘキサゴン社が開発した測定器を使用、偽造防止マイクロ文字も再現、磁性インクのインク量や磁性体の量も本物同様に再現されており、一部の銀行ATMを通る精度。 ※画像は真券 pic.twitter.com/69U6yZBwpu

2017-10-20 08:49:38
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六衛府 @yukin_done

すべての鑑定機をすり抜けると豪語し、裏サイトで販売されている北朝鮮製の偽人民元。レートは偽札8000元分で1000元 pic.twitter.com/k9kkvJkkMX

2015-09-27 13:12:37
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六衛府 @yukin_done

日本の天保通宝は価値が下落しながらも明治初期まで流通していました。発行は金座によるものでしたが、形を大型にして楕円形にしたことで良貨が悪貨を駆逐する、グレシャムの法則を回避できたのではと思うのです。銀座が四文銭で成功した時も意匠に工夫するなどのそれなりの方策を取っていたようです。

2019-09-02 02:34:10
六衛府 @yukin_done

李朝は日本で天保通宝が流通していることを知ったのか、大院君が財政難を解決し、景福宮を再建するために日本と同様に常平通宝の当百銭を発行しますが、こちらは従来の1文銭が流通しなくなり物価が5倍以上になるなど激しいインフレを招きます。李朝は懲りずに後年に5倍流通の当五銭も発行しています。 pic.twitter.com/DPT03vqgQh

2019-09-02 02:23:45
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六衛府 @yukin_done

【李氏朝鮮の通貨】1876年の日朝修好条規で開国した朝鮮は1883年典圜局を設立し銀貨・白銅貨などを発行しましたが、流通区域は漢城周辺と朝鮮西北部だけでした。他の地域は17世紀に発行された常平通宝などが依然として流通していました。 pic.twitter.com/mxlYMgotDG

2016-08-11 01:17:50
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1904年、アメリカの特派員が150ドルを釜山で両替した際の画像。アメリカ人記者の前に積み上げられているのはドルから両替された朝鮮旧通貨。※Collier's Weekly 1904.6.4 pic.twitter.com/0OaR67n7Fy

2016-08-11 01:28:49
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10銭硬貨がアルミ製に変わるという記事。当時の公衆電話は交換手が相手を呼び出して、通話が始まると利用者が硬貨を料金箱に投入、落下時に料金箱内の鐘の音が鳴り、それを交換手が聞いて支払確認をしていたので上手く機能するのかが話題になっている。 ※昭和15年3月24日付け 釜山日報 写真は六衛府 pic.twitter.com/66LHEftQX6

2021-10-28 01:53:59
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六衛府 @yukin_done

料金箱にアンプが入っていたわけではないので、落下する硬貨の重量で鐘の音量が決まるわけで、ニッケル製の4gの硬貨が1.5gになって、交換手が電話ごしに聞き取れる音量で鐘が鳴るのかという話です。送話器が固定された形式の公衆電話が昭和27年まで使用されていた理由が個人的に理解できた気がします。 pic.twitter.com/57AK94ajOC

2021-10-28 09:57:42
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まとめたひと
六衛府 @yukin_done

日本の伝統文化、先達が築いた日本の文化・歴史を大切にしたいと考えています。伝統保守 / 無党派 / 日本史 / 有職故実 / 凌霜会 / 法学士 / 1アマ / 反共 / ゆうきん / ブロガー / 國體護持 / 古文書 / 昭和マニア/ ※民族差別的コメントはご遠慮下さい。