
漫勉neo「手塚治虫」 浦沢直樹をホストに、かつて手塚プロでアシスタントをしていた漫画家、石坂啓、高見まこ、堀田あきおをゲストに迎え、当時の証言を聞く。そして漫画の肉筆原稿を目にし、また生前の手塚の原稿作業を追ったNHKのドキュメンタリー番組の映像を振り返りつつ、番組は進んだ。 pic.twitter.com/OakbqNZMVL
2023-03-15 23:27:31

石坂•高見•堀田の三氏が手塚プロに在籍していた1978年当時は、最も多忙な時期。週刊連載のブラックジャックを始めとして、ひと月の原稿の締め切りが18本もあったという。そんな手塚の原稿作業は、登場人物に簡単な下書きのアタリ(唯の◯とか)だけをつけて、ペン入れまで上げてしまうことも多々。 pic.twitter.com/ZjouKSYLfE
2023-03-15 23:42:36

キャラクターのキメ顔のコマでは、詳細に下書きを行う。また"逡巡"ともいえる修正作業も多くあり、原稿用紙に、更に部分的に紙を貼り、書き直すこともあった。それはある種、生原稿の美しさには拘らず、印刷の「版下」だと捉えていたのでは、とは浦沢直樹氏の弁。 pic.twitter.com/VX6Om1Rc5F
2023-03-15 23:52:58

手塚の原稿作業は、下書きと登場人物のペン入れが主。他、背景やベタ(墨入れ)、効果線などはアシスタントが行った。その為、手塚による「背景指定一覧表」や、カラー原稿の為のチャートも存在。アシスタントはその指示に従い、カケアミや彩色をしていたのだそう。 pic.twitter.com/MGIv1etnex
2023-03-16 00:04:45



かつては高田馬場にあった手塚プロダクション。石坂啓、高見まこ、堀田あきおらが、当時を懐かしむ場面も。 pic.twitter.com/j9FxpcfKCk
2023-03-16 00:09:12



そしてこの番組ならでは、当時の手塚治虫の映像と証言から、浦沢直樹が同じ作業をなぞる。手塚は薄い紙の原稿用紙の下に、雑誌アサヒグラフ(大判で柔らかい)を敷いて漫画を描いていた。それを真似した浦沢は「フワフワして描きにくい」と。しかし「アトムのような丸っこい絵が描きたくなる」とも発言。 pic.twitter.com/JjAiYBZtL6
2023-03-16 00:25:06



番組終盤では、ゲスト三氏それぞれが思い出の原稿について語る。石坂啓氏は火の鳥乱世編の、村人が豊作を祈る群舞。こちらの85人に及ぶモブは、手塚がペン入れまでを全て行ったのだという。影も、村人の持つ花笠も。凄い。 pic.twitter.com/EBY9X16v1E
2023-03-16 00:38:23



堀田あきお氏が選んだのは、火の鳥異形編の冒頭のカラー頁。俯瞰で見た雷を大きな渦で描き、下には小さく走る人。その斬新な構図。浦沢直樹氏はこれを「富嶽三十六景のようだ」と評した。 pic.twitter.com/DVezZIrgrV
2023-03-16 00:46:39


高見まこ氏が選ぶは、火の鳥乱世編の終幕近くの場面。登場人物の弁太と女房のヒノエの行く末。1頁の中、上段は逃げた山中で野垂れ死ぬ二人、下段には源平の戦を逃れて海原を行く二人が。そんな二つの「もしも」を同時に描いたシーン。浦沢氏はこれを「今の時代なら数頁費やす」と発言。 pic.twitter.com/dqg8anv3qn
2023-03-16 01:05:16



番組は、手塚治虫氏の生前の映像とメッセージで締められる。当時56歳の手塚、「あと40年ぐらい描きますよ、僕は」「アイデアだけは、バーゲンセールをしても良いぐらいあるんだ」 享年六十。早い死であったが、遺したものは大きい。日本近代漫画の偉大なる祖。 pic.twitter.com/Y8kEumas7c
2023-03-16 01:20:52

