1929(昭和4)年11月の竣工以来、サンフランシスコ航路に就航していた日本郵船の浅間丸は、1937(同12)年8月末に香港で4年に1回の定期検査のための入渠を終えた。 searcharchives.vancouver.ca/m-s-asama-maru… pic.twitter.com/kQf3h7WcM6
2019-11-01 23:35:529月1日、引き続き造船所の岸壁に係留されていた浅間丸は、台風接近の為夜に入ってから離岸し、少し離れた湾内に投錨した。深夜、迎えた嵐の中で走錨したイタリア船コンテ・ベルテ(18,765総トン)、英船タランバ(8,018総トン)と相次いで衝突し、右舷錨鎖が切断されてしまう。
2019-11-01 23:44:57その状態がこちら。 M/S Asama Maru (b.1929, Mitsubishi Zosen Kaisha Ltd., Nagasaki) digitaltmuseum.no/011014226848/m… @DigitaltMuseumさんから
2019-11-01 23:49:48@DigitaltMuseum 右舷船尾にコンテ・ベルテ、次いで左舷船尾にタランバが衝突したため、舷側上部が損傷している。 M/S Asama Maru (b.1929, Mitsubishi Zosen Kaisha Ltd., Nagasaki) digitaltmuseum.no/011014226843/m… @DigitaltMuseumさんから
2019-11-01 23:52:23@DigitaltMuseum 岩盤の上にどっかり座り込んでしまった浅間丸の救援は日本サルベージに依頼され、エンジン2基撤去、50トン浮力タンク10基、海底掘り下げ平均1.4mの大工事が行われた。 M/S Asama Maru (b.1929, Mitsubishi Zosen Kaisha Ltd., Nagasaki) digitaltmuseum.no/011014226845/m… @DigitaltMuseumさんから
2019-11-01 23:57:59@DigitaltMuseum ようやく離礁することができたのは、翌1938(昭和13)年3月11日、191日後のことであった。浅間丸は三菱長崎造船所に曳航の上、4か月以上を費やす修理と改装を受けて、再びサンフランシスコ航路に復帰したのは9月15日、座礁から1年以上が経過していた。
2019-11-02 00:03:19@DigitaltMuseum この浅間丸座礁事件の原因となった台風による被害状況を記したWebサイト。コンテ・ベルテやタランバの姿もある。 benjidog.co.uk/bisn/Typhoon.h…
2019-11-02 00:08:43