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ゆーや @yuuya_kdn

閉店まぎわのスーパー。40%オフになった惣菜に手をのばしたら誰かの手がそれに重なった。「あ、失敬」この時間まで残っていることのめったにない上ロースカツ4割引きは少々惜しかったが、他人を押しのけてまで所有権を主張するのは浅ましい。詫びてパッケージから手を離したが、かちあった手の主は

2023-10-26 22:32:05
ゆーや @yuuya_kdn

パッケージをとってはいかなかった。いや、むしろパッケージではなく膝丸の手首を握っている?「…あの」「それ、夜ごはんのおかず?」柔らかな声につい相手の顔へ目をやって、膝丸は硬直した。柔らかそうな金糸の髪。蜜色の瞳。肩にかけた純白のジャケットが驚くほど似合っている。なんと美しい人か。

2023-10-26 22:37:23
ゆーや @yuuya_kdn

「ちがった?」「あ…」膝丸がぽかんとしていたからだろう。その人は首を傾げ、膝丸は我に返る。「いや、その通り…だ。夕餉にしようかと」「ということは、おなかすいてるよね?」「は?…あ、ああ、まあ」「じゃあ、僕とごはんを食べよう」にっこり言われて、今度こそ膝丸は二の句が継げなくなった。

2023-10-26 22:40:51
ゆーや @yuuya_kdn

「僕ね、サーロインの600グラム」近くの体育大生御用達のステーキハウスでその人は豪快な注文をする。「きみは?800ぐらいいく?あ、もちろん僕が払うから心配しないでね」「で、では俺も…600で」少々見栄を張ってしまった。そう質はよくないが安くがっつり肉の食えるこの店は膝丸もたまに利用する。

2023-10-26 22:51:25
ゆーや @yuuya_kdn

だがいつもなら頼むのはせいぜいが300グラムだ。いくら安くとも牛肉をそこまで頼めるほど懐は暖かくない。だが一度頼んでみたいと思っていたことも事実だった。「ひとりじゃこういうお店、入りにくいからさ、助かったよ」膝丸の正面でその人がにっこりと言う。確かに一見は高級焼肉店こそ似合いそうな

2023-10-26 22:59:31
ゆーや @yuuya_kdn

人ではあったが、一方でこんな学生向けの飯屋にも違和感なくなじんでいた。ふしぎな人だ。だが何よりふしぎなのは、スーパーの惣菜コーナーで突如「ごはんを食べにいこう」などと言われて唖然としたくせに自分が結局こうしてついてきていることだった。知らない人についていってはいけません、と

2023-10-26 23:02:25
ゆーや @yuuya_kdn

諌められるような年齢でも性別でもないが、それにしても無防備にすぎるだろう。だが、なぜかこのひとには警戒心がまったくわかないのだ。その理由が知りたくて、膝丸は「ではお供しよう」と答えたのだった。

2023-10-26 23:04:55
ゆーや @yuuya_kdn

ほどなくしてじゅうじゅうと音を立てる鉄板に乗せられた分厚い肉が運ばれてきた。「あっ」「うん?」その人が無造作にステーキソースに手をのばして思わずその手を押さえた。「そのままでは服が汚れる。紙エプロンをつけてくれ」「…ああ、これがそうなんだ」みんな用意がいいと思っていたんだ、と

2023-10-26 23:14:01
ゆーや @yuuya_kdn

その人は優美な手つきで紙製のエプロンを襟元に入れる。「む?落ちてしまうね」「首の後ろで結ぶのだ」首をひねっているのを見て、つい立ち上がってしまった。後ろへ回ってエプロンの紙紐を結んでやる。ふわりと、ほのかな、だがひどくよい香りがして、ひどくどぎまぎした。「ありがとう」膝丸が席に

2023-10-26 23:16:44
ゆーや @yuuya_kdn

戻るとその人が正面でにっこりして、いっそう心臓が速くなる。「こうした店はあまり来られぬのか」動揺をごまかそうと目をそらして話を変える。うん、とその人は頷いた。「言ったろう?ひとりじゃ入りにくいって。弟がいれば誘うんだけど」「弟さんは?」「行方不明でね」さらりと重いことを言われて

2023-10-26 23:20:19
ゆーや @yuuya_kdn

ちょうど飲もうとした水が喉に詰まった。「げほっ、げほっ」「おやおや。大丈夫かい?」「あ、ああ」「まあ、そのうち見つかると思って探しているんだけれど、たまには肉を食べないと力が出ないからね。さ、食べよう」「ああ、そうだな。いただきます」かるく手を合わせて食器を取る。肉を切り分けて

2023-10-26 23:23:14
ゆーや @yuuya_kdn

頬張ると肉汁が口の中に広がる。自然と相好が崩れた。「おいしいね」「ああ」「足りなければおかわりを頼んでね。ごはんでもお肉でも」「あ、いや、さすがにこれで十分だ」「遠慮しなくていいんだよ」そう言いながら、そのひとは品のいい手つきで肉を切り分け、そして自分の口へ運ぶ。尖った八重歯が

2023-10-26 23:26:56
ゆーや @yuuya_kdn

ちらりと唇からのぞいて、どきっとした。慌てて自分の皿に視線を向けたが、ちらちらと盗み見てしまう。なぜだろうか、この人は膝丸に何かを思い起こさせる。それが何かは、模糊としていて判然とはしないのだが。その人はせっせと肉を切り、口元へ運ぶ。合間に大口をあけてライスを頬張る。それでいて

2023-10-26 23:29:11
ゆーや @yuuya_kdn

やはり品はいいのだ。「…」肉を切り分け、フォークで刺して、あーんと頬張る、その大胆でいて美しい所作。「もうおなかいっぱい?」「あ」その人が小首を傾げてはっとする。いつの間にか、膝丸は手をとめてしまって魅入られたようにその人を見つめていた。「いや、大丈夫だ。…その」迷った。だが。

2023-10-26 23:32:24
ゆーや @yuuya_kdn

「あなたを見ていると、なにかを…誰かを思い出すような気がするのだ」そう。このひとのように品よく、だが豪快に、細身に見えるのにどこに入るのかと思うほど食べる健啖なひとを、膝丸は知っている…ように思う。「そうなんだ?」にっこりとその人は笑って、いっそう膝丸はどぎまぎする。

2023-10-26 23:35:47
ゆーや @yuuya_kdn

「じゃあ、またごはんに誘ってもいい?」「え?い、いや、それは」「だめ?僕またきみとごはんが食べたいな。まだこのごはんも食べ終わってはいないけど。だめ?」「っ…」だめ、ではない。もっとこの人とこうして向かい合っていたい。膝丸は確かにそう思っている。だが。「なぜ、俺にそのような」

2023-10-26 23:38:11
ゆーや @yuuya_kdn

「運命を感じたから」にっこりときれいな笑みが返してきた言葉。運命。そう、運命だ。膝丸も、この人に運命を感じた。「…そう、だな。また機会があれば」「じゃあ明日もよろしくね」「えっ」「ほら、冷めてしまうよ」「あ」慌てて、膝丸は肉に意識を戻す。だがやはり食べながらその人を見てしまう。

2023-10-26 23:43:48
ゆーや @yuuya_kdn

今度はその人も膝丸を見ていた。ちらと見ると視線が合って、にこりと微笑まれる。かっと顔が熱くなって、慌てて目をそらす。その繰り返しだった。どきどきして、だが、ひどく幸せにも感じて、いくらか気恥ずかしく思いながら笑い返すとその人はいっそう美しく笑った。

2023-10-26 23:47:34
ゆーや @yuuya_kdn

「誰かを思い出すような気がするのだ」『そいつだよ』『目の前です膝丸さん!』『その人です!』『ああもう、じれったいな!』『髭切も思い出すまで待つとか言ってないでさっさと襲うなりして思い出させろよ!』そんな思惑が周囲のテーブルを飛び交っていたと膝丸が知るのはだいぶあとのことであった。

2023-10-26 23:52:14