志賀が昭和4年から昭和13年までの10年間を過ごした家。
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ゾシア @nevertheless019

今日の目的は、奈良公園そばにある「志賀直哉旧居」を訪うこと 志賀は昭和4年から10年の間、この地に居を構えた 建物は志賀が手放したあとも取り壊されずに残り、昭和53年に奈良学園が取得してからは建築当初の形に復元・修復され今に残り、一般公開されている pic.twitter.com/OhtNVpWX1H

2023-06-30 21:18:34
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玄関に掲げられる扁額は画家・熊谷守一によるもの。実篤と志賀は熊谷のもとを訪れ親しく交友を結んだ。志賀が贈った鉄斎の朱墨で書かれている。新潮文庫の表紙絵は熊谷によるもの 2階。東大寺別当・上司海雲から贈られた二月堂経机のある書斎と、谷崎から譲られた菩薩像のあった客間。左は模像で、 pic.twitter.com/moHuCl2l0A

2023-06-30 21:34:17
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観音菩薩立像の実物は志賀が手放した後、会津八一記念博物館に所蔵されている。谷崎が奈良で購入(!)したらしい。平安期の作(下記リンク参照) 旧居で解説してくださった方によれば、光背と像は微妙に位置がずれており、別に造られたものであるそうな butsuzodiary.hateblo.jp/entry/2022/10/…

2023-06-30 21:53:14
ゾシア @nevertheless019

2階の窓からは左(西)から、若草山、御蓋山(三笠山。春日前山とも)、花山(春日奥山とも)が一望できる。古代の歌の世界がすぐそこにある。新緑の今の季節が最も美しいし、ちょうど降っていた雨がさらに緑を鮮やかに見せる より良い眺望を得るため志賀は窓を大きめにとるよう大工に希望したという pic.twitter.com/h98O9GkTW5

2023-06-30 22:06:29
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志賀は家に少なからぬ拘りがあり、東京や熱海の住まいも自ら設計を行ないあるいは指示をしたのは有名。もちろんこの奈良の建物もそうで京都の数奇屋大工・下島松之助にわざわざ建築を依頼している 窓の格子の形や、廊下と部屋の間のなんでもない壁にも障子を嵌め込む(志賀のお気に入りだった)など、 pic.twitter.com/lYZoivdRt0

2023-06-30 22:15:14
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自分と家族が住む家を、どう住むか、住む楽しさまで考えたのがこの家(奈良の住居を建てたときの志賀の文をさがしたが見つからず) 1階にも書斎がありこちも北向きの部屋。〈明る過ぎると気が散るので〉(「私の書斎」) このいずれかの書斎で「暗夜行路」の最後、大山のくだりを書いたのだった pic.twitter.com/54ww4LVCBL

2023-07-02 23:35:13
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書斎の隣は茶室 自ら茶をたてることなく、妻と娘のお茶稽古に使われた 床の間には毎回志賀が自ら選んだお花と、友人実篤の色紙軸(これはレプリカだが)が飾られる。軸も本人の選 天井が不思議な形をしているが、こういものなのかな 陰険ではなく明るい茶室であった pic.twitter.com/dxmd3OgLBH

2023-07-02 23:40:23
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茶室の外は中庭 数多くの樹木が植えられるなか飛び石が点在し中庭を移動できるようになっている 客が手を清める蹲踞(つくばい)や庭の隅には待合がある。茶室に入る前、途中の休憩に使われるのが待合 元は友人と寝転がり将棋でも指す日本間を希望したが大工に本格的な茶室を作られてしまったという pic.twitter.com/fdPF1g2b9A

2023-07-05 00:18:16
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中庭を巡る廊下には竹格子。低い位置にあるため中と庭と双方から見えにくくしてある 洗面所と浴室(五右衛門風呂)は元あった場所に復元されたもので、浴室には当時珍しいシャワー(ただし冷水)があったという 住み込みのお手伝いさんが数人おり、女中部屋も設けられていた。それなりの広さ pic.twitter.com/uNVy3kQnAQ

2023-08-11 19:40:45
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女中部屋の隣に台所 都市ガス・水道・電気を通し造り付けの冷蔵庫(氷で冷却)まで備えられる贅沢は当時最新型 ハッチ(食器棚を兼ねる)を挟んでダイニングと通じており、戦後流行するダイニングキッチンが早くも昭和初期に実現している 器の通り道を見たときは感動したね。女中さんにも優しい発想 pic.twitter.com/n8imPVAvhM

2023-08-11 19:50:43
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台所の隣の食堂 広くゆとりあるスペース。庭へ通じるベランダから日光が入り明るく、風通しもいい 食堂の隅には埋め込み型のソファがあり、食後あるいは執筆に疲れた後、志賀と家族はここで寛いだという pic.twitter.com/xDuNPDcEj3

2023-08-11 19:57:54
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この住まいのハイライトは、食堂に隣接し庭を臨むサンルーム 社交の場として利用され、実篤や小林秀雄、尾崎一雄、小川晴暘、多喜二ら来客と語らうサロンとなった(高畑サロンと呼ばれた) 天窓から降り落ちる陽の光の明るく清潔なことよ。床には特注の塼(煉瓦のこと)が敷かれている pic.twitter.com/pZZqpzxrni

2023-08-11 21:36:37
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翻って最もプライベートな空間 夫人の間。押し入れに仏壇を置く台が設けられている 左に志賀の居間、右に子供の寝室。6人の子息がいたから寝室も広い どの部屋も3方向にある庭のいずれかに面しているため明るく開放的 pic.twitter.com/fyFc7aDJTL

2023-08-11 21:47:00
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最も広い南庭。南庭がサンルームに接し、南向きだから日当たりも当然いい 怪しげな溝のような構造物は、何かと思えば「屋根付き子供用プール」。もっと大きなプールを作りたかったが多額の費用がかかるためこんな妙なものが出来上がってしまった プール……寺で見る大きめのトイレに見えなくもない pic.twitter.com/vpqDEmE5ls

2023-08-11 21:55:15
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里見弴宛の手紙に、こう書いた 〈生活はもちろん調子(音楽的)もありたいが、習字でいふ入木道的でもありたい。二つの一致する生活が理想だ〉 入木道とは、王羲之の筆は力強く墨が木に深く染み込んだことをいう まさしく、自然の暖かさと流れを取り込み人の賑わいを予言する質実な建物といえよう pic.twitter.com/kEumfzykYz

2023-08-11 22:07:23
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ゾシア @nevertheless019

志賀邸の近くに住んでいた人(志賀の近くに引っ越してきた人) 弟子の滝井孝作や尾崎一雄、新進気鋭の兵本善矩、画家の若山為三、女流の網野菊の名も 網野菊はその頃京都の粟田口にいた志賀のところへ原稿を持ち込み、志賀に評価されて雑誌に紹介してもらった逸話が。後、志賀を追って奈良に越した pic.twitter.com/nZEGKgnWkq

2023-08-11 22:24:19
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まとめたひと
ゾシア @nevertheless019

だいたい本と食べ物。書道4年目。画像はこの世で最も美しいとされる、溝口健二監督「近松物語」の香川京子。丸は若冲/旅行などのまとめは下記リンク