占領により連合国との交易が途絶えたことで占領各国の工業力は潜在的な能力を発揮できなかったのです。1941年末に占領西部地域から納品された航空機は78機、1942年でも743機でした。 終戦までの総数もフランスは2517機、オランダは947機であり、ドイツ国内の11万機に対して微々たるものとなります。
2022-02-27 16:47:19「外国人労働者の活用拡大」 戦中では徴兵対象の拡大が行われますが、それは兵器工場労働者の徴用=兵器生産能力の低下を意味します。 埋め合わせとして女性労働者の活用(これは各国共通)が図られますが、ドイツでは他に「占領下の国からの労働力調達」が大規模に行われていきます。
2022-02-27 16:47:20これは占領地の産業転用が上手くいかず、即座に占領地から活用できるものとして「人的資源」に目が付けられためです。 戦争捕虜の他に民間人が志願、強制問わず集められ、1943年までに外国人労働者は650万人に達し、ピーク時の1944年秋には790万人とドイツ国内の労働力の20%を占めるに至っていました。
2022-02-27 16:47:20特に軍需部門ではこの割合が高く、3分の1以上が外国人労働者で占められていました。 個別の製造ラインによってはより高く、1943年には「Ju87は80%がロシア人により製造されていた」という旨の発言も残されています。
2022-02-27 16:47:20「戦中増産と旧型機」 戦争中期以降のドイツの航空機生産数は1942年の約1万5千機から1943年には約2万4千機と、1944年約4万機、と戦争の激化にもかかわらず戦争前期より大幅な伸びを見せます。
2022-02-27 16:47:21これは1941年代の増産への各種策の効果が出始めたこと、及び航空省の各航空会社への影響力拡大(不祥事を利用した経営陣の再編など)による介入(効率化とリソース集中による量産効果)により達成されましたが、代償も伴いました。
2022-02-27 16:47:21量産効果を得るためには生産機種を絞る必要があります。しかし当時開発中だったMe210、He177といった新型機の開発難航により、戦争前半で実績のある機種へのリソース集中が行われます。 結果、増産には成功する一方でBf109、Ju88といった技術的に陳腐化した機体が大量生産される事態へと陥ります。
2022-02-27 16:47:22日米で差の出た生産ピーク時と新型機の生産が軌道に乗った時期の合致について、ドイツでも上手くいかなかった、ということです。
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