A急食堂

青虫 @aomusi_aqtrain

手作りのホワイトソースは少しゆるくて、丸めるだけで一苦労。揚げている間にお約束のようにパンクして、笑ってしまう。白い皿にはトマトソースを敷いて、不格好なクリームコロッケを二つずつ。横にはレタスもね。この間の返事がイエスなら、もう少しでチャイムが鳴る。ノーだったら、少し泣くだけ。

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十八番のパプリカのポタージュをあなたは無感動に食べている。火加減に文句をつけ、塩胡椒を勝手に振って、改善提案に暇がないね。とうとう僕は席を立って、オレンジの鍋蓋を開けて叫ぶのだ。「シェフの恋人にはなるものじゃない！」あなたはやはり淡々とスプーンを口に運ぶ。「怒った顔が好きなんだ」

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二人してなんだか眠れなくて、毛布の中でつつき合ったり、小声で歌を歌っていたけれど。明日も早い。君は六時起き、僕だって七時起きだもの。こんな夜にはホットミルクを作る。僕はジンジャーとはちみつをたっぷり、君はバニラエッセンスとウィスキーをほんのひとたらし。飲んだらキスをして、眠ろう。

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突然の入院から十日。点滴に繋がれっぱなしの手首が、ずいぶん伸びた気がする髪が、辛くて毎日泣いている。今僕の体の中身は点滴の成分と一緒だ。チーズおかきが食べたい。鰻と卵と干瓢と煮椎茸と桜でんぶの太巻きが食べたい。炒飯が食べたい。きみは笑いながら頷いて、スマホにメモをしてくれる。

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ぽこぽこ煮え立ったお湯にブロッコリーを落とす。冷蔵庫の中ですっかり黄色くなってしまった彼らに、ごめん、と呟く。このところ色々あったんだ。ずっと心配させていたけど、彼と別れたよ。塩加減はどう？少し辛いかな？だけどやっぱりごめん、さんざん泣きつくしたのに、まだ涙が出るみたいだ。

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アールグレイの香りが立ち上る夜は特別。あいにく僕らは二人とも下戸だから、乾杯といえばもっぱら紅茶なんだ。オレンジを房から綺麗に剥いたきみが、たっぷり濡れた指を舐めて嬉しそうに笑うから、つられて僕も笑う。「そんなに甘いの？」「いや、とんでもなく酸っぱいんだ」

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春待ちに聴くイパネマの娘も悪くない。ミートローフを一欠片噛み締めながら、カウンターの奥を窺う。コーヒーマシンの陰に隠れたあなたがひょっこり顔を出して、僕に気づいて少し首を伸ばしてぱっと笑う瞬間がとてつもなく好きなんだ。今日は歩きだから、やっぱワインを一杯頼むよ。おすすめは何？

青虫 @aomusi_aqtrain

手のひらの中のほんの1分の動画では、それはもう居ても立っても居られないほど美味しそうだったから。実際、僕らはこうやって慣れない料理なんかをしているわけだけど。「少々とひとつまみはどっちが多いの？」「飴色ってどんな色？」昼が過ぎていく。ああ、憧れのビーフストロガノフよ。

青虫 @aomusi_aqtrain

「島が見えた！」驚いたようにトースターからパンが飛び出す。キャプテン、航海の調子はいかが？僕はといえばあなたの突拍子もない寝言で、すっかり目が醒めてしまったよ。春キャベツとベーコンの巣ごもりサラダは自信作、玉ねぎのさっと煮スープも上出来だ。キャビンをノックするから、早く起きてよ。

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猫の額ほどの小さな庭は僕の薬箱なんだ。今日のお茶は、アップルミントとレモンバームとローズマリー、ちょっと風邪気味だからセージも摘んできた。ポットの中のきらきらの緑色は宝石みたいでしょう？あなたはどうにもハーブティーなんてものが好きじゃないみたいだけど、そんな顔しないで飲んでみて。

青虫 @aomusi_aqtrain

君がシリアルにオレンジジュースを、僕が冷凍ベリーにヨーグルトをかければ、僕らの簡素な朝食は完成だ。半年前から余儀なくされた、たった三十分の早起きも、いぎたない僕には深刻だった。朝食は摂らない主義だとまさかお互い言いそびれたままだったなんてね。一生ものの、僕らのとっておきの笑い話。

青虫 @aomusi_aqtrain

"可愛い"チンバリのエスプレッソマシーンがご機嫌斜めで、今日のカフェメニューはマキネッタを直火にかけて淹れるんだって。ほっとかれるのが好きって公言している手前、その銀色のポットばかり可愛がっていないで少しは俺のことも構ってよね、などとは言えない有休の午後。エスプレッソは美味い。

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高速を飛ばして一時間。行列に並んで一時間。また高速を一時間。ごめんと差し出された大きな箱を受け取りもせず、頭を冷やすのにはちょうどいい時間だったねなんて憎まれ口を叩いたけれど。前の彼は行ったきり戻って来なかったんだ。グレーズたっぷりのドーナツはきっと甘いんでしょ？「ねえ、好きだ」

青虫 @aomusi_aqtrain

不意に伸ばされた手に手を取られて、硬い輪っかを薬指に通される。ただの指輪ではないと念を押すけれど、それがわからないほど鈍感じゃないよ。そんなことより。プロポーズってさ。お互い残業帰りのくたびれた深夜、コンビニの鍋焼きうどんとビールに見守られながら行う儀式ではないのじゃないかな。

青虫 @aomusi_aqtrain

スーパーに並ぶ野菜が春を纏っている。献立は君の方が上手いけど、今夜の当番は僕だから仕方ない。じゃが芋は挽肉と絡めてあまじょっぱく煮よう。玉ねぎは焼きなすの上にこんもり乗せてもいいし、南蛮漬けにたっぷり入れてもい。あとは、ごぼうと人参があったよね。具だくさんのけんちん汁なんてどう？

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春だ。国道沿いの工場、神社、中学校の校門前、どこも桜が満開。平凡な感性の僕は、それだけのことにとても感動してしまい、信号待ちの間に写真なんか撮ったりしている。今頃スーパーに寄っているのだろう倹約家の君は怒るかもしれないけど、あそこのニューヨークチーズケーキは絶品だろう？

青虫 @aomusi_aqtrain

ゴポゴポと排水溝にスープが吸い込まれていく。まるで空が鳴るような音だなあと思いながら、ただじっとそれを見ている。ブーケガルニを束ねている時は、あんなに楽しかったのに。彼の出張が一日延びた今となっては、食べる気にもなれない。会わない間に痩せてしまうよ。まあ、いいダイエットだけれど。

青虫 @aomusi_aqtrain

ペシミストを気取るつもりはない。ただ、此度の告白で、物語は少々悲劇的に動きやしないか。「ペシミストとベシャメルソースって似てるよな」よおく息を吹きかけたグラタンを恋人が頬張る。君の親だって驚いたろう？「ちっとも似てない」僕はペリエを一口飲んで、ペスカトーレをぐるぐるに巻きつけた。

青虫 @aomusi_aqtrain

ベランダの野菜が実をつけた。僕らの初めてのベランダ菜園は成功だ。もっとも、熱心にレシピを調べる君に向かっては言えないけど、ミニトマトふたつにピーマンひとつじゃ昼食の材料にもならない。とはいえ。僕は料理をする君を眺めるのがとても好きで、そのためだったらこの空腹くらい我慢できるのだ。

青虫 @aomusi_aqtrain

「俺にとってお前って、高嶺の花っていうより高い所に成った桃みたいなもんだった」そんなこと初めて聞いたけれど、最近さっぱりなかったときめきというやつをうっかり感じてしまったし、旬の桃を丸ごと囓る君のびしょ濡れの手には率直に言えばひどく欲情している。僕ほうがおいしいと思うよ、なんて。

青虫 @aomusi_aqtrain

目を瞑って見たものが夢ならいい。失敗したオムライスを、そうすることでしか愛情を示せない君が不機嫌そうにかき込んで、僕は笑いながら空のコップに水を注ぐのだ。塩辛いでしょ、と聞くと、別に、と答えてまた水を飲んで。俺のこと好き？と聞くと今度は黙って水を飲む。あれから季節が二つ変わった。

青虫 @aomusi_aqtrain

一晩漬けたラムと朝採りアスパラガスのソテーは絶品。あんなに頑張ったのに下処理の甘い「愛みたいなもん」のスープだけが、生臭くて塩辛くて、無理やり飲み込んでも胸のあたりにつかえるばかりだ。おどけて撮ったきみのセルフィーは触れても動かない。一人きりの食卓にも、いつか慣れるのだろうか。