ゆじろさんが上手いのは知ってるし今日も実際めちゃくちゃミュージカルが上手かったんだけど、そんなことは全くもって本質ではなくてとにかく“海”だったということに尽きる
2024-03-12 20:53:42海があまりにも海なので超が“鏡の中”だということがやっと理解できたし、超をこちら側に押しやっているときにはむしろ海の方が超の行動を映していたし
2024-03-12 20:57:24ひのさんといしーさんは同じ譜面で同じ楽器分類(ヴァイオリンとヴィオラのような)だと思ったけど、ゆじろさんといしーさんはヴォーカルとチェロかトロンボーン。声域は同じなのに倍音が違う。
2024-03-12 21:05:06ラストシーン、海がジャケットを着てソフト帽を被ってパイプをふかして、というダンディズムをお出しされる意味がずっと分からなかったんだけど、あれはダンディズムではなくて寧ろ草臥れて淡々とした日常の生なんだな
2024-03-12 21:20:27ゆじろ海は体格なのか仕立てなのかナチュラルに着崩れた背広越しに本人の肩のラインが見えるのと、小道具類も日常的に扱っている気楽さが感じられて
2024-03-12 21:20:28ゆじろ海は最初から死にたいからいしー超は背中を押す余地も連帯する余地もなくほんとうにただ鏡写しであいまいな存在で、らんらんと光る大きな目がこちらを見ている怖さよ
2024-03-12 22:10:06歌い方が好きすぎてあんまり顔とか芝居とか見れてない自覚あるんだけど、かざまさんがメチャメチャメチャ良かった今日推しの芝居も好きだなって思えて嬉しかった
2024-03-12 21:45:53最近まじめに韓国語勉強してるので、へ、だから平均くらい?のところ연애"해"?とか言われたりするのかなって思いついた 全然違うかもだけど
2024-03-12 21:55:11ゆじろ産みは「もう君がやってくれ」に押付けたい気持ちとそうすればもしかしたら上手くいくのではないかって望みがかすかに見える気がしたのと
2024-03-12 23:17:00「超」は紅の言うような「超越したい理想」なんかではなく自分に近いけれど自分では無い別の誰かなら超えてくれるのではないかという希望のよすが(だった)ように思った
2024-03-12 23:17:00鏡の中の“私”に超越したい理想を描いていることにそもそも違和感があったのだけど、鏡が自意識を表すモチーフとすれば超の方が視線や謗りに耐えられないし作品を書こうとすれば遺書に見えることにも納得できる
2024-03-13 07:43:59二者は要は同じものなんだけど、あくまでポジティブあるいは利己的に表現する紅にとっては“理想”で、第三者であるわたしにとっては“自意識”に見える。その第三者の目が「暇なインテリの戯言」という言葉にも繋がるのかも。
2024-03-13 08:31:07自意識のかたまりである초を切り離したら해に○○○○○が表れるの、それはそうなんだけどあまりにトリッキーすぎるだろとは思う fse.tw/TzKOLtgS#all
2024-03-13 08:57:38