展覧会・レオポルド美術館 エゴン・シーレ展(東京都美術館)
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lousism @lousism

二月の頭ぐらいに突如咳が止まらなくなり、PCR検査をしたところ陽性反応が出て自宅療養開始。外出も出来ず、しかし部屋で遊んだり読んだり書いたりするには絶妙に体調が悪くて延々とのたうち回り続けるつらい日々があったわけですがまぁ今回は置いといて。回復後の2023年2月22日、上野の展覧会へ赴く。 pic.twitter.com/cKKW02HMKz

2023-05-13 23:35:41
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東京都美術館、レオポルド美術館 エゴン・シーレ展。目玉作品である『ほおずきの実がある自画像』をやたらあちこちで見掛けた記憶があるので注目度の高かった展覧会なのだろう。ただエゴン・シーレの作品はそこまで多くなく、もっと幅広くウィーン世紀末芸術の画家達を集めた展覧会となっていた。 pic.twitter.com/NjWWHAF6Mo

2023-05-13 23:56:04
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エゴン・シーレの他にも様々な世紀末ウィーンの画家達が紹介されており、コロマン・モーザー、リヒャルト・ゲルストル、オスカー・ココシュカに到っては独立したフロアまで貰っていた。そのためエゴン・シーレがいまいち展覧会の軸になり切れておらず、ちょっとテーマが散漫だなぁという印象はあった。

2023-05-16 22:23:14
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これについては、未知の世紀末ウィーンの画家達に触れる機会を得られたと前向きに考えよう。ポスター芸術や風景画も紹介されていたけれど、特に興味深かったのは自画像や肖像画だった。ここで一つの問い。自画像や肖像画において表現されているのは、被写体の個性なのか。それとも画家の個性なのか。 twitter.com/lousism/status…

2023-05-16 22:25:55
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「新芸術集団の仲間たち」「サロン文化とパトロン」の章では複数の画家達の肖像画が並んでいるのだけど、どれも一筋縄ではいかない、モデルよりもむしろ画家達の個性のほうがどんより影を落としたような作品ばかりだった。人間の姿が「個性」の重力によって翳る程に、画家達の「個性」の強さが現れる。

2023-05-16 22:31:22
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リヒャルト・ゲルストル。大胆過ぎるタッチで描かれた風景画の迫力も凄かったが、やはり『半裸の自画像』が印象的。仄かなオーラを纏った白い腰巻きだけの半裸の男性。宗教的な厳かささえ漂う作品であるが、何よりも「自分自身を直に見詰める」ことへ深刻さが余りにも重たい。 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA…

2023-05-16 22:33:11
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肖像画はモデルを「より良く」描こうとするばかりのものではない……勿論「より良く」描くことが求められた時代もあったはずだけど……画家の個性は他者の肉体をも平気で「上書き」し得るのだ。ましてや自画像ともなれば、画家の個性が画家自身の肉体を自ら「上書き」するというえげつない行為である。 twitter.com/lousism/status…

2023-05-16 22:42:22
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ここで思い出しておきたいのが、木漏れ日のなかに佇む裸婦像を描いたルノワールの作品が、当時はまるで死体が腐敗しているようだと酷評されたというエピソードだ。人間の肌に緑や紫の色を乗せることが、いわば人間の肉体を殺してしまう行為であった時代があったことが窺える。 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD…

2023-05-16 22:49:19
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ただし、印象派が人間の肉体に緑や紫の色を乗せたのは光の質感の追求……あくまで新しい技法で自然を捉えようとしただけだったのだろうと思う。しかし人間の肉体に別の質感を「上書き」してしまう彼等の挑戦は、自画像や肖像画の描き方を変えてしまったのではないか……と素人ながらに仮定してみる。

2023-05-16 22:53:49
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エゴン・シーレの描く人間は、著しく肌色が悪く、肉は弛み、骨は角張り、ちょっと心配になるほどに不健康な印象を受ける。そうだ、まるで死体のように……『ほおずきの実のある自画像』はその隙のない巧みな構図もさることながら、その余りにも文字通り過ぎる「顔面蒼白」の存在感に圧されてしまう。 pic.twitter.com/MJCHpOK0CD twitter.com/lousism/status…

2023-05-16 22:55:07
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死体のようなルノワールの裸婦と、死体のようなエゴン・シーレの自画像。この二つは恐らく何処かの線で繋がってはいるのだろうと思いつつ、同時に決定的に異なってもいる。ルノワールの裸婦を青褪めさせるのが自然の光と影なら、エゴン・シーレの自画像を青褪めさせるのは彼の己自身への眼差しなのだ。

2023-05-16 22:56:13
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くりっとした瞳でじっとこちらを見る顔面蒼白の男性と向き合ってうちに、はて、僕もまた真っ青な顔をしてここにいるのではないか? という不安さえ沸いてくるようだ。画家が己の姿に「上書き」した不健康過ぎる質感が、画面を越えて僕の肌の質感をすら冷たくする。僕もまた「上書き」されそうになる。

2023-05-16 22:58:39
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エゴン・シーレ展で撮影可能だったのは風景画エリアのみ。まぁ撮影可能エリアがあっただけでも温情なのだけど……展示されていた彼の風景画は画像の通り平面的、装飾的、抽象的で、どんよりした不穏な色彩もあって独特の不安な印象を醸している。しかしやはり彼の凄みは人間を描いてこそだとも思う。 pic.twitter.com/42lmc5mufH twitter.com/lousism/status…

2023-05-16 23:11:41
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『ほおずきの実のある自画像』とともに展示されていた『自分を見つめる人 Ⅱ (死と男)』と『叙情詩人(自画像)』の二作品も印象深い。まだ二十代前半の青年だったはずの画家が、まるで病んでガリガリの老人のような醜い姿を自分自身に「上書き」してしまう。何処か宗教的な苦行の趣すらある自画像。

2023-05-16 23:22:09
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世紀末ウィーンの自我の危機、表現主義などについてはいつか復習し直すとして……『啓示』『母と二人の子ども Ⅱ』の二作品は平面的かつ装飾的ながら華やかさは微塵もなく、顔面蒼白の……まるで死体のような……不気味な人間の姿を通して、真っ直ぐに死を見詰めようとする宗教的な厳かさを感じる。

2023-05-16 23:39:52
lousism @lousism

一緒に展示されていたエゴン・シーレと同時代の画家達の作品と比べても、彼の対象へと「上書き」の強さはやはり群を抜いている……師匠であるクリムトと比較するには僕の知識が足りないが……『悲しみの女』や『母と子』においては、女性や子供の肖像ですら骸骨のような際どいグロテスクさを帯びる。 twitter.com/lousism/status…

2023-05-16 23:59:27
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今回の展覧会では彼のドローイングやデッサンも多く展示されていた。デッサンの技量まで推し測れる鑑賞眼は僕にはないのだが、しかしドローイングやデッサンでさえモデルの女性の肌は青褪め、肉は弛み、骨は角張って、ちょっと不安な気持ちになる。人間の、見てはならない部分を見せられたような。

2023-05-17 00:08:23
lousism @lousism

晩年のエゴン・シーレは表現主義的な傾向が薄れたということだけど、しかし『カール・グリュンヴァルトの肖像』にしても『縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ』にしても決して一筋縄では行かない、不健康というか、不穏というか、決して「より良い」肖像画にはならない画家の個性がある。

2023-05-17 00:21:05
lousism @lousism

人間を「より良く」……リアルに、正確に、なんなら美化するぐらいの気持ちで描く技術というのは古来ずっと存在していたはずだけど、モデルを、或いは自分自身を不健康に、不穏に、不気味に「上書き」する技術というのはどう発展していったのだろう……というあたりは勉強しなければならないところだ。 twitter.com/lousism/status…

2023-05-17 00:45:05
lousism @lousism

絵画においては写真の登場……僕達は自画像程には不健康そうでもない、28歳の若さで亡くなったエゴン・シーレの姿を写真を通じて観ることが出来る……の影響なんかもあったとは思う。けれど多分それだけではない、「上書き」の衝動を産み出す大きな要因があったのではないか。 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8…

2023-05-17 00:52:39
lousism @lousism

多分それを解き明かす鍵が文学……つまり写真のような芸術の根幹を揺るがしかねない機械技術の影響を(そこまで)受けずに済んでいたはずの当時の文学にあるのかなぁ、なんて考えたりもする。全然詳しくない時代だから何とも言えないけれど、文学は如何にして人間を「上書き」したのだろうか……?

2023-05-17 01:00:28
lousism @lousism

エゴン・シーレは流石のインパクトだったけど、それ以外の展示は……クリムト展には行ったことがあるけれど世紀末ウィーン芸術、またウィーン分離派(やエゴン・シーレが参加した新芸術集団)については僕の経験値が浅く、足りない知識を充足するにはちょっと今回の展示は薄いかなぁという印象…… twitter.com/lousism/status…

2023-05-17 01:11:54
lousism @lousism

さて、東京都美術館では企画展示室の他に公募展示室やギャラリーがあって、芸術系の団体による展示も行われている。例えばアマチュアの油絵作家の作品を観て、企画展に出てくる作品と比べちゃうと流石に技術的に足りないよなぁ、と思ってしまうのはまぁ普通の感想だろう。問題は「現代芸術」である。

2023-05-17 02:05:46
lousism @lousism

僕達は良く分からない現代芸術に出会っても、まぁ現代芸術だし? 良く分かんないからこそ凄いんじゃね? と軽い気持ちで流してしまったりしないだろうか。しかし、では良く分かんないうえにまだ正当な評価を与えられていない「アマチュア現代芸術」に出会ったとき、僕達はどう反応すればいいのだろう?

2023-05-17 02:09:03
lousism @lousism

良く分かんない現代芸術は、作家の経歴とか、作品のキャプションとかによってその評価が担保されている。誰かが先に評価して解釈してくれているはずだという前提で僕達は現代芸術を観ている……或いは観がちである。ではそういう担保がまだない現代芸術がずらっと並んでいたら、僕達はどうすればいい? twitter.com/lousism/status…

2023-05-17 02:14:30
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ここに現代芸術のジレンマがあるような気もする。現代芸術においてはアイデアやコンセプトが重要だが、アイデアやコンセプトは技法や技術に比べて他の作品と比較しにくい。アマチュアの油絵が技術的に足りてないのは判断出来る。でもそこのアマチュアの現代芸術は、足りているのか? 足りてないのか?

2023-05-17 02:19:17
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故に現代芸術は、難解なアイデアやコンセプトを評価して解釈してくれる人達の権威に頼るか、或いは敢えて一般にも分かりやすいアイデアやコンセプトを立てるかの二極に別れやすい……のではないか。この辺りは、以前SNSで話題になっていた「現代芸術」がまさに後者であったことにも繋がってくる。

2023-05-17 02:26:02
lousism @lousism

現代芸術の話だからって他人事ではない。なんせ僕達は、文学フリマで「アマチュア純文学」という如何にも良く分からないものを売っているのだから。自分達の作品を評価して解釈してくれる権威なんていない。しかし一般にも分かりやすいアイデアやコンセプトを宣伝するというのも、何か違う気がする。 twitter.com/lousism/status…

2023-05-17 02:30:27
lousism @lousism

でも実際のところ……現代芸術だってそうだと思うけれど……純文学にはその歴史が蓄積してきた純文学に必要な技法や技術があり、アイデアやコンセプトに頼らなくともある程度は巧拙を測ることが出来るはずなのだ。しかし純文学もまた、現代芸術のように概念的な/理念的なものを求められがちではある。

2023-05-17 02:37:03
lousism @lousism

だから僕は勝手に「雑文学」という曖昧な看板を立てて、純文学から距離を置く可能性を考えたりするわけだ。権威に頼るのか、それとも一般におもねるかを秤に掛けるのではなく、普通に小説を小説として読んでもらうために。ところで個人文芸サークルLousismは法事のため、文学フリマを欠席致します……

2023-05-17 02:41:52
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まとめたひと
lousism @lousism

ああ、地滑りだね、私達だけが生き残るのか、私達だけが死に絶えるのか、賭けてみようか? min.togetter.com/id/lousism