有職故実・古文書など
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六衛府 @yukin_done

【黄櫨染御袍】黄櫨染は天皇の御袍にのみ用いられる染色で天皇以外誰も使用することが出来ない絶対禁色となっている。非常に難易度の高い染色で、安定して色を出すことは不可能とも言われており、歴代天皇の黄櫨染の御袍はすべて違う色をしている。 pic.twitter.com/OBfy9aY8QZ

2016-01-21 17:26:56
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織田信長朱印状 織田信長が天正8年9月17日付で、中川清秀に中国地方において二ヶ国を宛がった朱印状。筆跡上の特徴から、信長の右筆を勤めた楠長諳の筆によるものと考えられる。他、包紙・16通入り袋 ※中川家文書 神戸大学附属図書館 蔵 pic.twitter.com/g5vvGJz8rV

2016-08-21 21:45:14
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【青侍】公家に勤仕する侍のこと。多くは六位であるため袍の色が青系の縹であったことから青侍と呼ばれた。ほとんどの青侍の初叙は従六位下で諸大夫と違い極位の多くは正六位下であった。 ※地下家伝 国立国会図書館 蔵 pic.twitter.com/uDX5ZXrxhY

2015-11-17 12:28:35
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家格の関係で五位に叙任した青侍も存在する。上記「地下家伝」の画像の一条家の侍は従五位上まで昇叙して、死去の前日に正五位下に叙されている。

2015-11-17 12:45:42
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摂家・清華家になると諸大夫も近侍する。官位は羽林家に倣った武家官位とは違い、越階することなく、従五位上、正五位下などにも叙任されていた。

2016-08-01 09:44:23
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【衣冠束帯】歴史関係書籍によく衣冠束帯と出てきますが束帯と衣冠は別物です。束帯が最上級の正装、衣冠はそれに準じる物です。江戸時代の大名では束帯は将軍宣下、朝廷参内、衣冠は勅使饗応、紅葉山参詣時の装束でした。四位以上は黒、五位は浅緋色。 pic.twitter.com/WjNErlMaD2

2015-04-20 00:15:51
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衣冠の掛緒は侍従以上が紫組掛緒、諸大夫は紙捻。奴袴は三位以上が文藤、抜白、四位侍従以上が薄紫、四位諸大夫は濃紫、五位諸大夫は浅黄色。五位でも侍従であれば冠の掛緒は紫組掛緒となります。(高家など)

2015-04-20 00:27:37
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【有職雛】有職雛とは実際の公家の装束を忠実に写したもので、江戸時代中期以降、上層階級が人形師に特注で作らせた。おもに公家社会や大名家で飾られ、近代以降も上層階級に好まれた。 ※13代鍋島直泰夫人紀久子伝来 公益財団法人鍋島報效会 蔵 pic.twitter.com/rMEn7xZzrc

2016-02-29 00:57:21
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【喜連川】喜連川の殿中装束については徳川盛世録に記述があります。「喜連川家は四位侍従にして、白小袖の上 素襖 侍烏帽子を著す。喜連川家の烏帽子の掛緒は紫の組糸にして胸の辺りまでその端を結び垂る。」徳川盛世録 第四章 年始著服 P142

2015-06-01 02:31:07
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【喜連川】喜連川藩に許された特権 「国勝手」(参勤交代義務の免除及び妻子の在国許可) 「諸役御免」(幕府からの諸役賦課の免除) 「無高にて五千石」(表高は無高0で、実高は5000石) 10万石の格式 左兵衛督・左馬頭の自称 御所号の使用

2015-06-01 16:01:14
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家康の立礼による送礼あり 「慶長二十年閏六月。喜連川左兵衛督頼氏上京して謁し奉りまかでんとする時。御座を起せられて御送礼あり。これは室町将軍家の支族にて。鎌倉幕府の末裔なれば。その筋目を重ぜられての御事なり。台徳院殿御時より後は。御送礼の儀停められしとぞ。」(駿府政事録)

2015-11-10 09:24:29
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【変体仮名】『者』は漢文における助字で、訓読の際に「は」と読みますが、宣旨など、語尾に来た場合は「てへり」=「てえり」と読みます。画像は征夷大将軍に任じる宣旨ですが 宜しく征夷大将軍に為すべし者 者は「もの」ではなく「てえり」。 pic.twitter.com/Lpt5939Ekc

2015-11-19 12:02:44
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【変体仮名】1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていない平仮名の字体。現在の日本では、変体仮名は看板や書道など限定的な場面でしか使われていない。 ※「きそば」 ※「てんぷら」 ※「いろはにほへと」 pic.twitter.com/BGYXAl3S9S

2015-12-12 22:51:23
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【位署】文書に発給責任者を示す際の官・位・姓名の記し方。位署は必ず1行に収めるのが原則で、圧縮した字体を用いる。昔の口宣案など決められた空間に多数の字を収める場合は偏とつくりの間に次の字を挿入する破拆(はたく)という様式で書かれた。 pic.twitter.com/NS6BKIZxTc

2015-11-07 01:37:55
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位署の書体の書式が位署以外にも応用されているのか、自分にはわかりませんが、任命書などには現代にもその手法が使われているようです。 pic.twitter.com/41SGAgkZtn

2015-11-07 01:43:35
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古文書によく出てくる官職名の唐名 関白 ⇒ 太閤 (たいこう) 太政大臣 ⇒ 相国(しょうこく) 左大臣 ⇒ 左府(さふ) 右大臣 ⇒ 右府(うふ) 内大臣 ⇒ 内府(ないふ) 大納言 ⇒ 亜相(あしょう) 中納言 ⇒ 黄門(こうもん) 参議 ⇒ 宰相(さいしょう)

2016-08-21 21:06:32
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束帯の裾(きょ)の長さは室町時代・文明年間で天皇は一丈二尺、大臣は一丈、納言は八尺、参議は五尺、殿上の四位五位は四尺、地下は纔著(さいじゃく=かかとまでの長さで引きずらない短裾)でした。※裾は腰に紐で結び付けられています。 pic.twitter.com/emKHXYy5n3

2016-09-07 10:51:50
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初七日程度で儀式の大半が終わってしまう一般家庭でも喪主を務めると心労があるという。太古の皇室の殯は三年間。簡略化されても重要行事が2か月、各種行事が一年続く皇室儀式を察するに余りある。 ※隋書 卷八十一列傳 第四十六 東夷傳 俀國傳 pic.twitter.com/9r6cI5w3cV

2016-08-09 12:54:20
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【陪臣叙爵】御三家・御三卿などの家老は陪臣ながら従五位下に叙任されるが加賀前田家は最大4名の叙爵陪臣が幕府より許されていた。筆頭家老の本多家は陪臣ながら五万石の禄高で屋敷は一万坪。本多政重は慶長20年閏6月3日、従五位下安房守に叙任されている。 ※本多政重肖像 加賀本多博物館 蔵 pic.twitter.com/Yd2kbjYylu

2017-11-03 21:15:50
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江戸城に登城した諸侯は御玄関前で刀番に刀を預け、刀番は主君が退出してくるまで刀を持って待機する。御家門、御連枝、外様の一部11家は特別に御玄関式台上まで、御三家は大広間溜まで佩刀が許されていた。 ※千代田之御表 正月元日諸侯登城御玄関前之図 東京都立中央図書館 蔵 pic.twitter.com/fJ5rZ1Gt6D

2018-01-06 08:51:50
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江戸城御殿内では供連れが禁止されており、登城した諸侯は茶坊主の案内で一人で行動する。江戸城の表御殿は100以上の部屋があり、間取りを知らない諸侯が単独行動するのは不可能で、万一部屋を間違えて侵入すると厳罰に処せられた。 ※江戸城御本丸御表御中奥御大奥総絵図 東京都立中央図書館 蔵 pic.twitter.com/RCgybZ0fXU

2018-01-06 09:00:39
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江戸城松の大廊下は大広間から白書院に至るL字型の廊下で全長二八間半(51m)幅は広い所で二間半(4.5m)ありました。忠臣蔵などの時代劇で板張りの廊下の作品がありますが実際には畳敷きでした。ちなみに大広間は約490畳でした。 ※御本丸松之御廊下御三家部屋桜溜御数寄屋地絵図 東京都立中央図書館 蔵 pic.twitter.com/2LUG9JVKv9

2018-01-06 12:42:17
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【喜連川】「 喜連川家の装束. どんなに格式が高くても喜連川家は無位・無官であり、. 装束は基本それに照応するもの」という記述をネットで見かけましたが間違っています。著服こそ素襖ですが、烏帽子に四位侍従以上相当の紫組掛緒、諸大夫以上相当の白小袖の装束着用が特別に指定されておりました。 pic.twitter.com/SIRcTG4ViT

2018-01-07 08:34:50
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【江戸時代の屋形号】「屋形号」は御三家並びに有力な親藩、並びに室町時代の守護職にあった島津、佐竹、上杉の旧族大名、交代寄合の山名氏、最上氏などに免許されており、家臣は当主を「御屋形様」と呼んでいた。屋形号の上位である「御所号」は喜連川のみに免許され、箱玄関の造営が認められていた。

2018-01-07 09:36:56
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江戸時代の金銭借用書。一両借りた証文で、利息は幕府が元文元年に定めた上限値の年一割五分となっている。 「右金利足之儀者金壱両ニ付壱ヶ月銀七分五りツヽ之利銀差加」(月当たり銀七分五厘となっているが、金一両は銀60匁なので0.75×12÷60=15%) pic.twitter.com/k3KKqcforc

2018-01-26 10:21:44
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江戸時代の証文類は大体定型化しており、金銭借用の場合、書き出しが「借用申金子証文之事」(現銀の場合は銀子)など、金額と借用の原因、金利と返済期日、返済できなかった場合の約束「万々一相滞候ハヽ」、本文の結びの部分に「為後日○○仍而如件」、借主、請人(連帯保証人)、日付、貸主様 となる。

2018-01-26 10:30:04
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将軍宣下に際して江戸城大広間二之間に出礼した五位以下布衣その他の面々。四位以上との格差は歴然で、四品以上表大名の面々は大広間下段に伺候して拝謁するのだが、その面々が退出後、将軍が下段敷居際に立ち、老中が襖を開き、一言賀儀を言上後、すぐに襖が閉じられて拝謁は終了する。 ※徳川盛世録 pic.twitter.com/7nfCQ3Nt1A

2018-04-28 23:18:40
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随身の飾りは正面から見て左が俗称右大臣、右が俗称左大臣となります。公卿(三位以上)は武官兼帯でも闕腋袍を著しませんから黒の闕腋袍の随身は四位、官位相当の官職だと左近衛中将、赤の闕腋袍(五位)の随身は右近衛少将を表したものと思われます。四位五位の闕腋袍は供奉、儀仗時のみ。#ひなまつり pic.twitter.com/g9KsfaHs6A

2018-03-02 22:53:00
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奏者番が難読な読みを備忘した記録に「披露口」があり、紀伊守、摂津守の読みも書かれている。大輔は「たゆう」、少輔は「しょう」(「しょうふ」とはならない)が定式で、俗なる「たいふ」「しょうゆう」とはならない理屈までわざわざ書かれている。 ※「披露口」天保二年以降 東京都公文書館 蔵 pic.twitter.com/v5BEFMrxfv

2018-04-23 14:49:54
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続日本記の和銅6年(713年)5月の条に「五月甲子、畿内七道諸国郡郷名、着好字」との勅令があり、全国の地名の綴り改正が行われたとされているが、実際にはそれ以前に変えられた地名もある。二字の指示は延喜式に見える。 「凡諸國部内郡里等名、並用二字、必取嘉名」  ※延喜式 巻第二十二 民部省上 pic.twitter.com/7ZohemditT

2018-04-23 08:44:49
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江戸城本丸御殿の出入口は登城する者によって指定されており ①御玄関は御三家、表大名と溜之間詰大名など ②中之口は幕府の諸役人と譜代大名の一部 ③納戸口は老中、京都所司代、大阪城代、若年寄、側用人、側衆など ④風呂屋口は御三卿、中奥役職者 ※江戸城御本丸万延度御普請御殿向表奥惣絵図 pic.twitter.com/LfgTuoEZKw

2018-04-29 22:47:26
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@ianfunosenjin 画像は江戸城大手門と大手二之門の間ですね。大手門の手前には松平伊予守の屋敷があり、大手門橋を渡る通信使が描かれています。自分には特に違和感のない登城風景に見えました。通信使は御玄関から昇殿しなかったという言説は自分は否定的で通信使に威厳を示す意味でも御玄関が使われたと思います。 pic.twitter.com/iDM5Yq1oFQ

2018-04-30 07:59:04
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【大坂城代】従四位下、役料1万石。大坂城の城主は将軍であったので城代は本丸御殿ではなく大手門内千貫櫓の北、2600坪の城代屋敷で執務しました。城外に4618坪の下屋敷もありました。本丸は普段は使用されず、大坂城に御成りした将軍は江戸時代を通じて秀忠・家光・家茂・慶喜だけでした。 pic.twitter.com/f5uwGHYIg2

2017-05-07 20:11:51
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江戸城 白書院は大広間に次ぐ格式のある場所で、大名による将軍への表向きの単独謁見は白書院で行われる。ただし城中伺候席が大廊下・大広間詰、御譜代・御家門であれば溜之間詰以上で、官位が四位侍従以上の者に限られていた。 pic.twitter.com/CcKWPg20X5

2019-07-06 15:52:40
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拝謁を許された諸大名の着座位置は厳格に定められており、「畳何枚目」場所によっては「何枚目何筋目」まで指定されていた。白書院上段に将軍。 ①権大納言、②権中納言、③参議、④中将、⑤少将、⑥侍従。⑦⑧は四位諸大夫、五位諸大夫の指定位置で年頭拝賀以外の行事用に場所だけは定められている。 pic.twitter.com/UMgRgQLrP7

2019-07-06 16:00:34
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【藩】時代劇で「赤穂藩」とか、やたら「藩」という語が出てきますが、古文書で「藩」という漢語由来の語は新井白石などの儒学者が書いた書物に散見される程度で一般に認知されたのは幕末以降です。何々(地名)候、何々様御家中、何々様御領分などと呼称するのが一般的でした。 ※官許列藩武鑑 明治元年 pic.twitter.com/40Bg9PVNy4

2018-01-14 19:19:00
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六衛府 @yukin_done

日本の伝統文化、先達が築いた日本の文化・歴史を大切にしたいと考えています。伝統保守 / 無党派 / 日本史 / 有職故実 / 凌霜会 / 法学士 / 1アマ / 反共 / ゆうきん / ブロガー / 國體護持 / 古文書 / 昭和マニア/ ※民族差別的コメントはご遠慮下さい。