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関連性理論・適切性条件・言語行為の調整・マンスプレイニングと発語内的力・解釈的不正義・解釈的周縁化・言語の強奪・ジェンダーモダリティ・
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抜粋②)『言葉の展望台』三木那由多、講談社、19.7.2022. (p.40)  Sperber, Dan & Wilson, Derdre の関係性理論 ( Relevancve ) では、人は他人の発言を受け取った時、その発言を自分にとっての関連性を最大化する形で解釈しようとするものと考える。 pic.twitter.com/JmCSNwR6gg

2022-10-21 17:06:11
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関連性は情報を多く汲み出せるほど高くなるが、他方で情報を汲み出すための処理能力が増えれば減少するとされ、私たちはできるだけ少ないコストでできるだけ多くの情報を手に入れようと、この両者のトレードオフの中でうまくバランスを取ろうとする。

2022-10-21 17:06:12
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発言をする側も、聞き手が関連性を最大化しやすいように発言を選ぶことになり、結果的に無駄に処理労力をかけさせるような発言は基本的には控えるようになる。わざわざ処理労力のかかる発言をするのは、それに見合った豊かな情報がある場合に限られる。

2022-10-21 17:06:13
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「LGBT」という言葉遣いが一部メディアで使われる時、問題は発言の背後にあるコミュニティなのだ。その発言はもっぱらそれ以外の人々に向けられている。つまり非当事者のコミュニティを想定した発言なのだ。

2022-10-21 17:06:14
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当事者やアライは自分たちが関係する話題であるにもかかわらず、この情報のやりとりがなされるコミュニティから脇に置かれ、蚊帳の外に追いやられていることになる。  コミニュケーションはコミュニティを背景になされる。

2022-10-21 17:06:15
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ちょっとした発言に、発言者がどのようなコミュニティに属し、どのようなコミュニティに属していないのか、あるいは発言者と同じコミュニティに属して、いまコミニュケーションが試みられている受け手とは具体的に何者であり、誰がそこから追い出されているのか、ということがときに透けて見える。

2022-10-21 17:06:15
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(p.47) 発言が適切になるための条件が満たされているかどうか確認が取れていないにもかかわらず、その場で「こういう風に言う以上、条件は満たされているのだろう」とみなし、発言の適切さを疑わないで済ます、ということを David Lewis (1979) は「調整( accommodation )と呼んだ。

2022-10-22 16:24:53
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少なくとも一部の場合においては、条件を満たさない言語行為があけっぴろげになされた時、その言語行為は不適切なものとして終わるのではなく、むしろその言語行為を適切なものとすべく条件を事後的に満たすことが目指される。

2022-10-22 16:24:53
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このメカニズムによって、トイレで実際の利用に先立って「きれいにご利用いただきありがとうございます」と言われると、このままでは不適切となるその感謝を適切なものにすべく、利用者は感謝に値する利用法を目指すよう促される。

2022-10-22 16:24:54
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はっきりと命令や依頼の言葉を語るのではなく、表面上は感謝という好意的に受け入れやすい振る舞いをしつつ、調整のメカニズムを通じて相手の行為を方向づけている。  しかし言語行為の調整は、ときに有害な仕方で、相手をコントロールすることがある。

2022-10-22 16:24:55
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Casey Rebecca Johnson (2020) は、「マンスプレイニングと発語内的力」で、女性が何かを主張しても、しばしばその発言は主張ではなく、一種の質問であると見なされ、マンスプレイニングはこの誤認のもとで女性の発言への反応として生じる、と分析している。

2022-10-22 16:24:56
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女性の言語行為を誤認させる社会的条件がこの問題を引き起こしていると述べるのだが、マンスプレイニングは必ずしも先立つ質問(だと誤認したもの)へのリアクションとしてなされるわけではない。まずそれがなされ、そのあとで調整によってその言語行為を適切にする条件が整えられるようになっている。

2022-10-22 16:24:56
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マンスプレイニングは説明の一種で、そして説明は相手が質問をした、あるいはするのが適当である場面(美術館等) でなされる。  マンスプレイニングがなされた時、調整によって、そのリアクションのもととなる質問がなされるに相応しい状況が、いままさに成り立っていると事後的に見なされるようになる

2022-10-22 16:24:57
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これはつまり、マンスプレイニングをされた側が質問をするための条件を満たしている、つまり無知であるという想定が、その場で採用されるようになる、ということだ。  それは、それが向けられる人物が無知な存在であると想定するよう会話参加者たちに促す行為なのだ。

2022-10-22 16:24:58
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しかもそれは、その人物が実際に無知であるかどうかとは関係なく効力を発揮する。聞き手が無知だからマンスプレイニングがなされるのではない。マンスプレイニングがなされることで、聞き手が「無知な者」の位置に押し込められるのである。

2022-10-22 16:28:08
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「女性は無知だ」というステレオタイプがマンスプレイニングを誘発したとしたら、そのマンスプレイニングがいわば自作自演式に女性である聞き手を無知な存在という枠に事後的に当てはめることになり、出発点にあったステレオタイプをその会話に組み込んでしまうことになる。具体的な害とはこのことだ。

2022-10-22 16:31:31
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(p.54) 必要な言葉がないということによる不利益というものがある。そうした空白地帯において、言葉をめぐるポリティクスは何重にもなって立ち現れてくる。  ひとつには、言葉の形成に関するポリティクスがある。Miranda Fricker (2007) は「解釈的正義」を論じた。 twitter.com/tankashoukai/s…

2022-10-24 12:26:18
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どのような言葉や概念がつくられ、蓄積されるかは社会的な営みの問題だが、ときに一部のグループがそもそもそうした営みへの参加を制限されてしまい、そのためにそのグループにとって大事な言葉や概念が提案されなかったり、されても蓄積されることなく消えるがままにされていたりすることがある。

2022-10-24 12:26:19
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これをフリッカーは「解釈的周縁化」と呼ぶのだが、解釈的周縁化を受けているグループは結果的に自身の経験を語る言葉や概念が見出だせず、それを自分でうまく理解したり、他人に伝達したりする際に困難を経験することになる。これが「解釈的不正義」と呼ばれる現象だ。blog.goo.ne.jp/omarihajoto/e/…

2022-10-24 12:46:59
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言葉が足りなくとも、既存の言葉を用いながら既存の言葉や枠を超えた何かについて語ることはできる。ただ、そうした語りは、言葉の助けがない分だけ、意味の占有を受けやすくなる。  聞き手が話し手よりも優位にある時に起こりうる、話し手の発言が話し手自身はまるで想定していなかった意味を

2022-10-24 12:58:56
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担うものとして理解されたうえで、話し手の意図よりも聞き手の理解が優先され、現にそれを意味したものとされてしまう。  まずは言葉をつくり、たとえそれが広い社会での蓄積に含められずとも、せめてその言葉を必要とする者たちのあいだで共有される、ということが重要だ。bing.com/ck/a?!&&p=0029…

2022-10-24 12:58:56
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そのように共有された言葉でさえ、ときに思いがけず奪われてしまうことがある。Derek Anderson (2020) は『言葉の強奪』で、そうした現象を分析している。  本来は社会における構造的な差別を指すはずだった「レイシズム」という言葉が、そうした差別の存在を否定する人々によって

2022-10-24 13:15:58
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単に〈肌の色の違いを理由とした扱いの差〉を指すかのように用いられだし、後者の用法が広まることによって前者の用法が無力化されてしまう。「セクハラ」のような言葉も、それが指し示すはずの社会構造上の格差の存在を否認する人々からは、単なる心理的な嫌悪感の表明のための言葉と見なされ、

2022-10-24 13:22:14
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少なくとも一部のコミュニテイにおいてはそちらの用法が広められ、無力化させられているように見える。  女性やマイノリティには、いくつもの語るべき経験がある。それでも、言葉が常にそうした「べき」の要求に見合うものとなっているわけではない。

2022-10-24 13:25:32
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言葉が足りない時、必要な言葉を補おうとしても解釈的周縁化によってその実現が阻まれていたり、別の既存の言葉で伝えようとしても意味の占有によって語るべきものとは別の何かを語っていることになってしまったりする。言葉をどうにか付け足しても、強奪され、無力化されることがある。

2022-10-24 13:28:53
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言語の手が届かない空白地帯は、言語的なポリティクスのひとつの前線となる。  Florence Ashley (2019)は、「ジェンダー・モダリティ」という言葉を用いて、トランスの人々はジェンダー・モダリティのゆえに差別を経験している」といった語り方をするよう提案している。link.medium.com/kkfRlzZunub

2022-10-24 13:48:20
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(p.69) 話し手の意図や言葉の本来の意味はときに無力で、意図も言葉も捻じ曲げて意味をわがものにしようとする力に、話し手はしばしば屈してしまう。自分の発言の意味を決める権利が、他人に奪い取られてしまう。twitter.com/killingme4444/…

2022-10-24 15:28:40
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話し手の意に反して意味が奪い取られてしまうような暴力的な事態も起こりうる。  それなのに、言語哲学では話し手の意図を重視するコミュニケーション観が根強い。ひょっとしたらそれは、自身の発話の意味を他人によって占有される経験が少ない人々ばかりが言語哲学を担ってきたからかもしれない。

2022-10-24 15:28:41
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もしそうだとしたら、そうでない視点で、言葉の意味を奪われてしまうのがむしろ当たり前であるような人々の視点で、言語哲学を、コミュニケーションを、考え直すことには、大きな意義があるのかもしれない。

2022-10-24 15:32:35
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(p.90) Grice, Paul (1975) は、心理状態というのは、脳に物理的に備わっている何かなどではなく、ある動物がある状況である振る舞いをした時に、その状況に置かれたという事実とその振る舞いをしたという事実の間に「説明の架け橋」を与えるために仮定される理論的概念なのだ、と述べている。

2022-10-24 15:45:28
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たとえ同じ発言であっても、それがなされた状況次第でその合理的な説明に必要となる心理は変わることがある。その人がなぜその発言を繰り返すのかということ自体が説明されるべきものになる、ということも重要だ。twitter.com/nino26291221/s…

2022-10-24 15:49:17
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聞き手は、話し手が同じ話を繰り返すというまさにそのことに基づいて、話し手が物事をどういう面から見ているのか、どう感じる傾向なのかといった話し手の性格に関する何事かを見出すことがある。同じ話の繰り返しは、同じ話であるにもかかわらず、ときに雄弁に話し手について聞き手に知らせてくれる。

2022-10-24 15:55:29
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会話の場面に参加するのは言葉や情報ではなくあくまで人間なのであり、人間にはそのひとが発言した言葉の内容だけには還元できないようないくつもの側面がある。会話というのは単なる情報の交換ではなく、人間の交流なのだ。

2022-10-24 15:59:14
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(p.94) 中村桃子『「自分らしさ」と日本語』(2021) は、女の子による「ぼく」の使用の背景を、「大人の女性」と見なされることがイコール異性愛市場の商品として扱われることになる社会の構造との関係から分析している。その中で、トランスや同性愛者にとっての一人称の選択の困難も紹介されている。

2022-10-24 16:14:35
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私が知りたいのは、一人称代名詞を選ぶことのできなかった者の、自らについて明示的に語ることをやめた者のありかただった。というのも私が選んだ道は、自分のことを指す言葉をできるだけ用いないようにするというものだったからだ。  決定的な悲劇はだいたい第二次性徴が進んでいく思春期に訪れる。

2022-10-24 16:32:52
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「認めてもらうために『男らしく』がんばる」と「それに耐えきれず体調を崩して何もできなくなる」との繰り返しだった。(大学以降になると、後者は過度な飲酒とうつ病へと姿を変えた)。  結果的に私は、できるだけ一人称代名詞そのものを使わないという道を選ぶようになった。

2022-10-24 16:37:36
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一人称代名詞が社会の規範と自らのアイデンティティのあいだで折り合いをつけながら選ばれるものであるのなら、私の場合は折り合いがつかなかったのだろう。  折り合いがつかなかった人々の言語使用についての研究には、まだ私はうまく巡り合えていない。

2022-10-24 16:42:15
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Perry, John (1979) は『本質的指標詞の問題』で、「穴の空いた砂糖のレジ袋を持ち歩く買い物客がスーパーで砂糖をばら撒いている」と自分こそが砂糖をばら撒いている張本人だと気づいて「私が砂糖をばら撒いている」と理解した状況の比較をしている。

2022-10-24 16:53:06
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いずれも同じ人物(ペリー)について、そのひとが砂糖をばら撒いていると述べているのだが、前者を思考しているときには、ペリーは砂糖をばら撒く人物と自分自身とを結びつけてはおらず、後者の思考に至って初めてこの結びつけがなされる。

2022-10-24 16:56:31
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「私」は単に誰かを名指すだけの言葉ではなく、その名指された人物がまさに話し手自身であるという自己認識を伴って用いられる言葉なのであり、この機能は同じ人物を名指す他の表現によっては肩代わりできない。「私」が持つこの機能を、他の言葉で代替することはできない。私は自分自身が謎だった。

2022-10-24 17:08:05
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(p.111) Gilbert, Margaret (2013) は「共同的コミットメント」という概念について述べている。  コミットメントには2種類ある。私が、「これから毎朝ジョギングしよう」という個人的なコミットメントと、私と友人とが「これから毎朝一緒にジョギングしよう」という共同的コミットメントである。

2022-10-24 17:21:40
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前者はたとえ破っても他人から責められる謂れはないが、後者を破れば同じ共同的コミットメントに参加しているひとはそれを非難する権利を得る。共同的コミットメントは他人に対する義務を生じさせるのだ。

2022-10-24 17:24:43
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(p.118) トランスへの差別は、生まれた時に分類された性別について、「この性別の人ならそれに即したアイデンティティを形成し、こういう振る舞いをし、装いをするはず」という周囲からの期待にうまく合わせられない人なら、狭義のトランスであるかないかを問わず、幅広く受けうるものなのだ。

2022-10-24 17:49:18
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そうした観点から、「アンブレラタームとしての『トランスジェンダー』」という発想が語られることがある。狭義のトランスジェンダーに限らず、トランスジェンダーへの差別を受けうるような幅広い人たちを「トランスジェンダー」という言葉の傘の下に集め、連帯を呼びかけているわけだ。

2022-10-24 17:49:39
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厄介なのは、「真理条件的意味論」ではうまくアンブレラタームとしての「トランスジェンダー」の意味が捉えられなさそうなところだ。実際にトランスへの差別が向けられる人は多種多様であって、その全員に共通し、他の人々には当てはまらない特徴なんて見出しようがないのである。

2022-10-24 17:54:21
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Brandom, Robert B. (2000) が解説していることだが、「推論主義」は言葉の意味を、①その言葉が用いられる状況と②その言葉が用いられることから生じる帰結のペアとして捉える。①は「『雨が降っている』と言えるのは、大気から水滴が落下している時だ」という話だ。

2022-10-24 18:02:38
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推論主義のポイントは②が加わっているところである。「『雨が降っている』と言われているからには、きっとすぐに道がびしょ濡れになる」というような、「雨が降っている」という言葉が用いられる場面で推論を介して得られる情報もまた、その言葉の意味を構成していると考える。

2022-10-24 18:06:59
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私たちは単に現実の状況を見て、それに当てはまる言葉を発しているのではない。言葉を発したり、他人から言葉を受け取ったりした時には、そこから推論を介してさらなる情報を得ようとする。そのように情報をもたらすことそのものが、言葉の意味の本質的な要素の一部なのだと、推論主義は考える。

2022-10-24 18:11:40
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推論主義を採用したなら、アンブレラタームとしての「トランスジェンダー」について何が言えるだろうか?  重要なのは、その言葉が用いられた時に、そのことから得られる帰結という観点を用いることができる点だ。

2022-10-24 18:19:41
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その帰結は、「その人はトランスジェンダーへの差別を受ける者たちと当事者として連帯する一員となる」といったものになるだろう。推論主義の立場からしたら、まさにこうした帰結をもたらすということがアンブレラタームとしての「トランスジェンダー」の意味を与えると言えるようになる。

2022-10-24 18:20:07