スティーブン・ストレンジを養父だと思ってる夢女の幻覚。
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Prologue

ぱこ @pakko800

エレベーターの扉が開いてワンフロアの自宅に入った途端、スティーブン・ストレンジは眉を顰め溜息を吐いた。 時刻は22時24分。夜想曲(ノクターン)にはうってつけの静かな晩だが、問題はそこではない。 ネクタイを緩めながら、カツカツと自らの領土(院内)を闊歩するのと同じリズムで部屋を横切る。

2022-05-05 14:40:17
ぱこ @pakko800

「なぜまだ起きている」 ガラス張りの扉をノックなしに開け放つと、奏者の肩と同時に音階がビクリと跳ねて硬直した。 「……おかえりなさい、パパ」 「質問に答えなさい。アンナはどうした。また寝たフリをしてベッドを抜け出したのか」 あのシッターはクビにしよう。 トムソンチェアを降り、俯きがち

2022-05-05 15:13:14
ぱこ @pakko800

にこちらに近づく少女の顔よりスティーブンの目を引くのは、最近コレクションに加わったハリーウィンストンの腕時計の盤面だった。 「ごめんなさい……」 「ピアノ演奏は指先の訓練には適しているが、そこまでがむしゃらにやる価値があるのか?演奏家なんて馬鹿げた夢を持っているわけでもあるまいに」

2022-05-05 15:13:14
ぱこ @pakko800

「それは、」 口籠もって何かを言いかけた声を温度のない淡々とした言葉が遮る。 「第一、お前は集中力が長続きしないから適性がない。無駄に時間を費やして成長期の代謝の阻害をしてどうする。将来の夢は落ちこぼれの負け犬とでも作文に書くつもりか」 「あ、あのね、パパ!」 「……なんだ」

2022-05-05 15:21:51
ぱこ @pakko800

容赦なく降り注ぐ言葉の針に負けじと張りあげられた声の主に、ようやくスティーブンのアースアイが向けられた。 子ども用のネグリジェ姿で肩を縮こませている少女の手には、端が皺ばんだ紙が握られている。 おずおずと差し出されたそれは、ピアノ教室の発表会の告知だった。 面倒だ。

2022-05-05 15:39:11
ぱこ @pakko800

一も二もなくスティーブンの脳裏を過った感想だった。 保護者同伴であることは当然というより、そもそも名門教室に通うような子息の親同士の交流会を兼ねていることは明らかだ。 手術(オペ)を口実に欠席しようと考えるが、直近の予定をリストアップしてみたところ都合の悪いことに当直ですらない日だ。

2022-05-05 15:39:12
ぱこ @pakko800

重い溜息を吐きかけたところで、ふと紙片ごしに上目遣いにこちらをうかがう少女の不安げな表情が目に入る。 そんな顔でこっちを見るな。 スティーブンの嫌いなものトップ3に入るのは、この自らの庇護下にある少女の怯えながらも愛情に飢えた子犬のようにすがりつくその視線だった(残りは余計な応急処置

2022-05-05 16:08:27
ぱこ @pakko800

しか能のないヤブ医者とクレーム処理の面倒な金だけはある患者だ)。 仮にも、自分はこの子どもの成長を見守り最大限援助する義務がある。 そう自分に言い聞かせて、眉間のシワを指で揉みながら、スティーブンは膝を折って少女に目線を合わせた。 「週末は仕立て人を呼ぶから良い子にすること。それから

2022-05-05 16:08:27
ぱこ @pakko800

練習にかけて期末テスト勉強を疎かにしないこと。それが守れたら、保護者欄にサインをしてもいい」 「……いい、の?」 幼児特有のつぶらな瞳をさらに大きく広げて、彼女は頬を紅潮させた。 たかだか同伴して出かけるだけの何がそんなに興奮材料になるのかスティーブンには全く理解が及ばない。

2022-05-05 16:08:28
ぱこ @pakko800

だが、これで寝かしつけにこれ以上苦労させられないというなら多少の代償は致し方ないと割り切って、柔らかい髪の毛に「神の手」と呼ばれる指先を置く。 「ちゃんと約束が守れたらな」 「……うん!わかった」 少女は頬を緩ませ、所在なさげに組んでいた手でぎゅっと自分自身を抱きしめる仕草をする。

2022-05-05 16:12:56
ぱこ @pakko800

「どうかしたのか?」 「パパとお出かけ……ひさしぶりだから、うれしくて……」 もじもじと喜色を乗せた小さな声は心の底から幸せそうで、最後に連れ立って出かけたのはいつだったかと記憶を手繰ろうとして── 「スティーブン!」 ハッと意識が覚醒世界に引き戻された。 見渡せば、見慣れた埃臭い

2022-05-05 16:33:54
ぱこ @pakko800

サンクタムのダイニングルームが広がっている。 「ソファでうたた寝する暇があったら、掃除を手伝ってくれよ」 いつも不機嫌そうなウォンの声で起こされたことを認識しながら、今見ていた夢の内容を反芻するようにスティーブンは口髭を手でなぞる。 「なんだ。悪夢でも見たのか?」 「いや……」

2022-05-05 16:33:55
ぱこ @pakko800

まるで現実かのように実感のはっきりとした夢だった。 夢の中で見ていたはずの少女の顔は今や輪郭すら朧げであるし、当然自分には娘などいたこともないのだが。 「昔の夢に、知らない少女が出てきて……私を父と」 「お前に娘?それが事実だったら、迷わず児童相談所に電話してるところだな」

2022-05-05 16:37:53
ぱこ @pakko800

軽口を叩くウォンに余計なお世話だと言ってやりたかったが、胸に巣食う奇妙な空虚感に気分を阻害される。 ——夢は、多次元の並行世界の自分と意識がリンクしてそこでの現象を追体験している。 いつか夢の仕組みに対して、魔術的観点から自分が立てた仮説だ。 天才脳神経外科医だった自分が今や魔術師に

2022-05-05 16:48:26
ぱこ @pakko800

なり、何度か世界を救ったりもした。 そんな奇想天外で数奇な運命があり得るのなら、あるいはどこかの世界では自分が家族を持つようなこともあったのだろうか。 「……そんなはずはない」 「何だって?」 「いや、ただの独り言だよ」 迷いを拭い去る言葉の裏で、何かを掴み損ねたような感覚をそっと

2022-05-05 16:48:26
ぱこ @pakko800

なかったことにしながら、スティーブンはソファから立ち上がる。 ニューヨークの街並みを眺望する天窓から差し込む光が、部屋の隅に置かれた寂しげなピアノをぽつんと照らしていた。 To be continued…

2022-05-05 16:48:26
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まとめたひと
ぱこ @pakko800

↑20成人済雑食。好きなことを好きなだけ。刀剣/FGO/twst/etc. │プロカル/フィクトセクシャルでポリアモリーな夢女。二次元と三次元の境目をぶらぶら。TLは見てたり見てなかったり。│アイコン:ゆず煮込み様