
「はー」 呼吸を整えるため、息を吐く。 (つまんねえな、普通の相手じゃよ、やっぱり) 手を握って閉じる。しっかりとした、当たり前の手だ。ただ、火傷の跡が幾つか。 昨日の雨でうっすらと濡れた地面には、意識を失い倒れている男がふたり。それから、目を瞬かせて立っている女がひとり。
2023-01-16 18:35:03
髪の長い、おっとりした雰囲気の女だった。だから妙な絡まれ方をするのだ。 そのまま、何も言わずに背を向けた。別に助けたかったわけでもない。誰か呼ばれた時のための大義名分が欲しかっただけだ。ただ人を殴り飛ばせば、厄介なことになるばかりだから。背に礼の言葉が飛んだが、無視した。
2023-01-16 18:38:06
(つまらん。せっかくの喧嘩もすぐ終わっちまうし) 「あのっ」 (この辺、あんまり店もねんだよな。なんでこんなとこ来たんだか) 「すみませんっ」 (俺もあの女も……) 「待ってー!」 チラチラと邪魔な声に、振り向いた。 「……さっきから、なんなんだよ!?」 「!」 そこにはあの女がいて。
2023-01-16 18:41:43
「よかったあ、気がついてくれて」 息を切らして、笑っていた。 「はいこれ、お財布を落としてます!」 「え」 慌ててポケットを探ると、確かにそこにはあるべきものがない。給料日直後で、下ろしたばかりの金が。 「…………」 何と言えば良いかしばし迷った。 「悪い」 それだけ言った。
2023-01-16 18:44:37
お礼をさせてくれませんか。女はそう言って、返事も聞かずに歩き出した。 「こっちに、私の好きなお店があるんです」 あんたも馬鹿だな、とまでは言わなかったが。 「絡まれた後にまた俺みたいなのを誘うか? 普通」 きょとんとした顔をされる。金と赤の髪とサングラスを気にもしないように。
2023-01-16 18:48:13
女が連れて行ったカフェは禁煙で、内装は可愛らしく、彼の趣味には全く合わなかった。ただ、何もないと思っていた街に一軒、こうした気に入りの場所を持っているような女なのだな、ということだけはわかった。ケーキはやたらと甘く、カフェオレは少し美味かった。
2023-01-16 18:52:43
この近くには他にも小さな公園だとか、好きな場所があるらしい。あんまり初対面の相手に行動範囲の話をするなとか、保護者じみた話をした記憶がある。次にたまたまその街に足を伸ばしたのは数ヶ月後で、女のこともすっかり忘れていた。店が少ないことだけ後から思い出して、舌打ちをして。
2023-01-16 18:54:45
歩いた先には、たまたま小さな公園があって、たまたま髪の長い女がハトの群れと一緒に佇んでいた。 女が彼を見て笑って、ハトがばさばさと飛び去る。 「独屋さん!」 覚えられてるのかよ、と口を曲げて、煙草を携帯灰皿でもみ消した。 公園は、禁煙だったからだ。
2023-01-16 18:56:58