日本国憲法9条2項は、日本人は阿呆か野蛮かのいずれかであると言っている条文である。 9条を守り敵に屈したとしても、人は個人の尊厳をもっているのであるから、生きてさえいれば良いという事だ。このとんでもない考え方を絶対平和主義と言う。
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遠田大亮 @DaisukeEnta

【徳育なければ知育なし】 これは、戦後にあって、徳育が失敗した、というより放棄されたということである。そして、それが戦後教育の全体を泥沼へと引きずり込む直接の原因となった。というのも、徳育は教育全体の連環のなかで、いわば扇の要の役を果たしているからである。 国民の道徳西部邁 pic.twitter.com/F42BMJXoEB

2023-03-28 16:25:23
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遠田大亮 @DaisukeEnta

すでに世間の眼にされされつつあることであるが、学校における学級崩壊と学力低下、そして巷間における(思春期から青年期にかけての)弱年者たちの乱暴狼藉は眼を覆いたくなる程度に達している。それらは、おおよそ全て、徳育の混乱さらには消失の結果なのである。 国民の道徳西部邁

2023-03-28 16:35:12
遠田大亮 @DaisukeEnta

体育のことを脇に置くとすれば、、教育は徳育と知育の2つにわけることができる。戦後日本の徳育は、これまで述べたように、人権主義でまるごと染め上げられていた。知育のほうについては、一方で詰め込み教育、受験教育、偏差値教育などが「人材の選抜」という客観的要請に従って推し進められた。… twitter.com/i/web/status/1…

2023-03-29 12:57:32
遠田大亮 @DaisukeEnta

他方で、その失敗への反省もあって、自由教育、学校塾教育、ゆとり教育などが展開された。しかし、いずれにせよ、知育の成否は「精神の力強さ」としての徳の大小に依存すると考えれば、まず議論されるべきは徳育についてである。 国民の道徳西部邁

2023-03-29 13:04:00
遠田大亮 @DaisukeEnta

戦後、学校の教科にかかわる制度としては、道徳教育は廃止された。そのかわりに、とくに国公立の教育機関においては、ホームルームなる制度が普及させられた。尊厳ある子供たちの自主性に基づく討論、それが道徳教育のかわりをなすと見做されたのである。しかしホームルームでは、当然のことながら、子… twitter.com/i/web/status/1…

2023-03-30 08:28:09
遠田大亮 @DaisukeEnta

つまり、日本の歴史のなかで育まれた常識・良識を身につけていない、あるいは身につけようとすらしていないものたちの自主性は、社会を傷つけ、ついには自分をも壊すのだ、ということを指摘するのは、ホームルームにおける禁句であった。 国民の道徳西部邁

2023-03-30 08:37:39
遠田大亮 @DaisukeEnta

歴史感覚こそが子供たちの自主性の根源であるのだと言うことすら確認されないままのホームルームであるから、それは、まず、放埓に自分の意見を言い合う場となり、次に、民主主義の名において教室の異端派や少数派を抑圧する場となった。 国民の道徳西部邁

2023-03-30 08:46:57
遠田大亮 @DaisukeEnta

つまり、教育の全体的な雰囲気から逸脱する子供を、ホームルームを通じて排除し、それをきっかけにしていじめをすら加える、という事になった。つまり多数派に属するという事が人間の尊厳の証拠となり、民主主義の多数決によって少数派を排除するのが自主的な営みとなった。そのように振る舞うのが戦後… twitter.com/i/web/status/1…

2023-03-31 08:19:05
遠田大亮 @DaisukeEnta

そのようにして排除されるものは、尊厳に値するのが人間であるという大前提があるからには、人間ではないとみなすほかない。そういう理路が、子供を含めて、人々の間に無自覚にせよ形成される。そうであればこそ、戦後の「いじめ」はかつてない残酷実を帯びる。 国民の道徳西部邁

2023-03-31 08:33:55
遠田大亮 @DaisukeEnta

付言しておくと、自主性を重んじる徳育のもう一つの柱とされたクラブ活動においても、これと大同小異の事態が発生していたであろうことは、想像に難くない。要するに、少数者を異常の部外者であると認定することで、それが多数決による排除ということなのである。 国民の道徳西部邁

2023-03-31 08:38:00
遠田大亮 @DaisukeEnta

戦後の人間主義は、どんな人間も排除されて然るべき不徳と不知を持っているという前提に立っていないため、排除されたものを人間に非ずとみなす他なくなったわけである。その意味で、人間主義は残忍なイデオロギーであると言ってよい。 国民の道徳西部邁

2023-03-31 12:33:33
遠田大亮 @DaisukeEnta

結局のところ、その名に値するような道徳教育は戦後にはなかった。これが戦後における知育の教育の不毛さをもたらしたのである。知育に関して、どの程度の詰め込みがいいかとか、どの程度のゆとりが必要なのかというテクニカルな議論の前に、知育を受けんとする子供たちの「活力」の源泉がどこにあるか… twitter.com/i/web/status/1…

2023-03-31 12:41:05
遠田大亮 @DaisukeEnta

あえて極論をいうと、「やる気」さえあれば、つまり、知識を得んとする底力さえあれば、知育は教室においてのみならず、塾においても過程においても、独学においてすら、こなせるのである。 国民の道徳西部邁

2023-03-31 12:43:59
遠田大亮 @DaisukeEnta

そればかりか、とりわけ社会人文系の知識についていうと、様々な学説の真理としての耐久性はそれほど大きくはないのである。わかりやすい例で言えば、この世に起こる現象はすべて階級社会の現象として説明できるという唯物史観がそれである。 国民の道徳西部邁

2023-03-31 16:54:51
遠田大亮 @DaisukeEnta

戦後、いろいろな教科書にその学説が紹介され、教師もそれに基づいて社会現象や歴史過程を説明してきた。ところが今や、学問や言論の世界でそういうマルクス主義的な社会観や歴史観がどの程度の説得力をもっているかと言えば、ほとんど無いと言って良い。 国民の道徳西部邁

2023-04-01 09:07:55
遠田大亮 @DaisukeEnta

そのように、やがて反証されるのが知識の運命なのであってみれば、知育において最も必要なのは、知識の吸収そのものであるよりも、知識に対する解釈の「仕方」だと言って良い。知識に対する取り組み方が強靭なものになれば、それが精神の活力となって知識の取捨選択をそれこそ自発的に行う事が出来る様… twitter.com/i/web/status/1…

2023-04-02 07:47:11
遠田大亮 @DaisukeEnta

知育への活力がなければ、知識の誤謬も歪曲も見抜けない。誤謬・歪曲が判明したときに修正が利かなくなる。また知識の吸収そのものは、活力さえあれば、書物を通じて行うことができる。逆に言えば、活力がない子供たちにどんな知育の制度を与えても、なかなか効果はあがらない。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 08:12:09
遠田大亮 @DaisukeEnta

そして活力を養うのが徳育の本務なのであるから、徳育なければ知育なし、断言して差し支えないのである。 さて、徳育の仕方であるが、まず、子供たちが教室で学ぶ必要があるのも、また多くの場合は独学が弊害ある者であるのも、独りでは精神の活力を身につけることが出来ないという点にある。… twitter.com/i/web/status/1…

2023-04-03 08:15:44
遠田大亮 @DaisukeEnta

公徳の樹立、つまり、人々の間の外面の関係における徳義の確立は、独りで学んでいるのでは身につけることができない。公徳が欠落していれば、人間は精神の活力において失調を来たす。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 08:21:45
遠田大亮 @DaisukeEnta

いずれにせよ、活力の源が道徳ということなのであるから、徳目の学習や実践が必要なのは、それ自体においてよりも、子供たちが活力をもって社会の中で生きるときの支えがルールでありマナーであるという意味においてなのだ。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 08:22:54
遠田大亮 @DaisukeEnta

ルール・マナーに接することによって鍛えられる精神の強さ、それが徳という事である。そして徳がなければ、いくら教科書をあてがわれ、いくら試験をやらされても、せいぜいのところ、その場しのぎの知識しか身につかない。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 08:25:58
遠田大亮 @DaisukeEnta

日本の現在において、子供たちの学力低下が目立って来ているのは、つまるところ、徳義の不足に原因があるとみて良いであろう。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 08:26:45
遠田大亮 @DaisukeEnta

かつて、福澤諭吉が喝破した事なのだが、他人に迷惑をかけなければ何をやっても自由だ、というのは、劣等な自由論にすぎない。 国民の道徳西部邁 pic.twitter.com/qUzIZPWgCZ

2023-04-03 11:14:20
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遠田大亮 @DaisukeEnta

「自分」が歴史という精神的土壌において形成されたと認識し、さらに「自分」のうちに、私心や個人だけでなく、公心や集(団)心もあると認識するなら、人はかならず、過去からいかなる道徳を受け継ぎ、未来にいかなる道徳を引き継がせるかについて、無関心ではおれなくなる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 11:16:36
遠田大亮 @DaisukeEnta

あっさり言えば、自分達の孫、子の世代に対しても何ほどか責任を持たなければならない、という事である。そうならば、それが残されたら将来の世代が迷惑に思うような制度や風習を、現在において禁じるべきだ、という徳律が成立する。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 11:28:52
遠田大亮 @DaisukeEnta

つまり、「他人」は現在の他人に限られないし、ましてや目の前にいる他人という事ではないのである。そういう空間的および時間的な他人一般に対して迷惑になるような事をしてはならない。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 11:35:03
遠田大亮 @DaisukeEnta

そう考えなければ、まとまなパブリック・ソサイアティ(公共社会)をつくる事ができない、これが福澤諭吉の言わんとしたところである。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 11:35:36
遠田大亮 @DaisukeEnta

他の言い方をすると、人間の精神には、目前の状況に縛られない力がある、と言う事だ。人間の能力を十分活性化させるためには、まだ生まれていない人々およびまだ会ったことの無い人々の事についてまで想像力をはたらかし、その人々とのありうべき関わりについて論理力を駆使しなければならない。それを… twitter.com/i/web/status/1…

2023-04-03 12:31:20
遠田大亮 @DaisukeEnta

少女売春が放任されるような事になってしまったら、自分の娘、孫娘、そして曾孫娘も、そういう放恣な社会の中で暮らさねばならなくなる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 12:38:29
遠田大亮 @DaisukeEnta

例えば彼女らが、街角で中年男たちから売春をしないかと誘われる事になる。その時に彼女らが感じるであろう不快感や社会に対する失望、と言うような事をまで想像するのでなければ、道徳について論じる資格はない。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 12:38:46
遠田大亮 @DaisukeEnta

家族の姓は、当然ながら、当該の家族が社会という外部に対して示すものである。中国のような別姓システムは、男女それぞれの出自家族を明示しようと言うもので、強固な血統意識に根差している。 国民の道徳西部邁 pic.twitter.com/9vG6og6Rqh

2023-04-03 13:02:44
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遠田大亮 @DaisukeEnta

いずれにせよ、姓は家族の対外的な表示なのであって、家族の内部では名前で呼び合っているわけである。欧米でも家族の内面ではクリスチャンネームが互いの呼称である。家族の姓はその外面において重要となるという事を押さえておけば、家族にとって外面的な働きをするものは誰であるかをまず問われなけ… twitter.com/i/web/status/1…

2023-04-03 13:29:37
遠田大亮 @DaisukeEnta

それは男であることが多く、それゆえ男の姓を家族の姓とする、という傾きになったと思われる。もちろん、女たちが社会に、というより男たちの産業社会に、進出していくにつれ、女もまた家族にとっての外面的な働きを担当することになる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 13:35:31
遠田大亮 @DaisukeEnta

それに応じて女たちの姓も家族に冠せよという動きが出てくる。 しかし、ここで厄介な問題が生まれる。男と女が外面的な働きをほぼ均等に分担し、それゆえ家族に、2つの姓をあてがうとすると、外部の人々はその家族をどういう姓で呼んでいいのかがわからなくなる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 13:56:59
遠田大亮 @DaisukeEnta

そういう技術的なことよりも、現代社会における家族の標準的な在り方として、主として男が外部に対して、そして主として女が内部に対して、それぞれ責任を持つべし、という道徳が失われることの方が重大である。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 14:03:48
遠田大亮 @DaisukeEnta

こうした分業体制にもとづく男女の協業こそが家族を作り上げるのだ、という価値観が壊される。もちろんそれは標準型であるから、それから逸脱する家族があって当然である。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 14:08:46
遠田大亮 @DaisukeEnta

しかしその逸脱とて、標準からの距離が測定されていなければ、逸脱に必要な努力がどのようなものであるかがわからなくなる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 14:09:06
遠田大亮 @DaisukeEnta

【主婦の仕事は家族をめぐる社交のアート】 母親は、標準としては、家族の内面の仕事を引き受ける。その種の仕事は、一般に、おおよそ同じことの繰り返しが多い。つまり、炊事・洗濯・掃除にせよ出産・育児・(家庭内)教育といい、ルーティン・ワークであることが多い。 国民の道徳西部邁 pic.twitter.com/uvAvaiRmdA

2023-04-03 17:24:30
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遠田大亮 @DaisukeEnta

その繰り返しを凡庸きわまりないと断じるものが増えている。しかも、キャリアウーマンとやらが専業(と呼ばれている)主婦たちの人生の在り方を貶める、という光景までみられる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 17:27:53
遠田大亮 @DaisukeEnta

同じ事を繰り返すという事は、人間の活力が乏しい事の現れではない。逆に、同じ事を繰り返すことができるのは、その人に活力がふんだんにあるおかげなのである。それのみならず、全く同じことの繰り返しという事は家事においてもありえない。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 17:30:56
遠田大亮 @DaisukeEnta

例えば料理がその典型であって、日々の繰り返しのなかにも日々の微差を見つけるようなやり方で、その主婦の人格をかけた味と言うものが出来てくる。また、その料理を誰にいかに供するかについて、つまり家族をめぐる社交のアートのようなものを、主婦は作り出すことができる。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 17:35:49
遠田大亮 @DaisukeEnta

そのようなデイリー・ワークは、愚かな人にはいかにも凡庸に見えようが、少しばかりの洞察力があれば、なぜゲオルグ・ジンメル(ドイツの哲学者)が「家庭を作ったのは女性の偉大な功績であった」と言ったのか、すぐ了解できるのである。 国民の道徳西部邁

2023-04-03 17:43:31
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まとめたひと
遠田大亮 @DaisukeEnta

農業、農政、農協等“農”に関してのツィートが多いです。 (個人的には)GHQの占領政策や押し付けられた憲法を金科玉条としたままでは、日本農業はもっと衰退すると考えています。 山形県農協中央会勤務。農協監査士。明治大学法学部卒。山形県酒田市出身。 過去のツィートは、以下↓のまとめサイト(min.t)からどうぞ。