( NHKテキスト100分de名著 #黒い皮膚・白い仮面 を読んだ段階でのまとめです。邦訳本を読み終えたら、さらに付け加えるかもです)
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

1週遅れたけど、読むお。 ✔️NHKテキスト100分de名著 #黒い皮膚・白い仮面 の第2回「内面化される差別構造」(「乳白化願望」は本日放送)。 ✔️『黒い皮膚・白い仮面』フランツ・ファノン著、海老坂武・加藤晴久訳、みすず書房、1998.9.22. 仏政府はファノニズムを敵視し、彼を暗殺しようとした。 pic.twitter.com/ZAayIjhNny

2021-02-08 13:45:09
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とりあえず、テキストを一気読みしたので、 (ⅰ) ファノンに影響を受けた J. H. コーンの言葉 (ⅱ) Négritude と Humanitude (ⅲ) 「北アフリカ症候群」・制度的精神療法と現代の機能不全モデル批判 (Gender Performative は余計かな💦) まずは #100分de名著 の引用から twitter.com/chokusenhikaem…

2021-02-09 19:27:43
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(p.24) 支配される者の言語感覚 クレオール語を、ファノンは「方言 patois」と呼んだ。 フランス語は支配者の言葉。 「片言で話す」の「片言で(petit-nègre)」には、「ニグロの話すフランス語」の差別的なニュアンスがある。 フランス語で書く以外に選択肢がなかった。

2021-02-09 19:41:38
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(p.44) 自らの声、自らの叫びをより遠くへと届けるための手段として彼に自由に使える言語はフランス語しかなかった。 (p.51) 黒人の子どもは主観的に白人の態度をとる。悪魔や悪人や蛮人は常にニグロやインディアンの姿をとって現われる。勝者との自己同一視が行われ征服者や伝道師になっと思い込む

2021-02-09 19:50:15
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私はニグロである。だがもちろん私はそのことを知らない。なぜなら私はニグロであるからだ。 (p.60) 乳白化(lactification)願望 黒い皮膚の人間には、自分の個別性を逃れ、自分の現存在(être-là)を無化しようという企てが見られる。 トニ・モリスン『青い眼がほしい』「奇蹟だけが自分を救ってくれる

2021-02-09 19:59:47
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という強い確信に縛られていたので、彼女は決して自分の美しさを知ろうとはしなかった。彼女はただ、見えるものだけを、つまりほかの人々の眼だけを見て暮らした。」 二項対立的なマニ教的世界観においては、白人は常に〈美〉の側に、黒人は〈醜〉の側に固定されている。

2021-02-09 20:04:22
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彼女は逆説的にも自分の現実に対して盲目になることを望んでいる。 (p.74) まなざしが他者を規定する 人種差別とは、その差異を認識した人がどのように感じるかにすべてがかかっている。  「私を愛してくれる時、ひとは皮膚の色にもかかわらずだと言う。私を毛嫌いする時、皮膚の色のためではないと

2021-02-09 20:11:54
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付け加える。いずれにせよ私は地獄の悪循環から抜け出せない」  常にある「皮膚の色」とともに差別的な表象を背負わされた集団との関係においてしか捉えていない。 サルトル『ユダヤ人問題についての考察』ユダヤ人を作るのは反ユダヤ主義である。  黒人を作るのは他者のまなざしなのだ。

2021-02-09 20:18:02
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「ほら、ニグロだよ!」(pp.77-9)(黒人の生体験、p.134) の次の描写は、まさに宮地尚子の #環状島 モデルの、真上に加害者、足元に井戸の底。金時鐘の #南中をやどす男 の影の中にある日本語をほうふつとさせる。  「周囲には白人が、目を上げれば空が己の臍(へそ)をひきむしっている。大地は私の足の pic.twitter.com/xkcLRvYzG0

2021-02-09 20:38:28
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下で軋む。そして白い、白い歌。すべてのこうした白さが私を真っ黒に焼く…。」  他者のまなざしによって自分の生きている世界が足元から崩れ落ちていくような体験は、サルトルの「他有化」「疎外」(aliénation)の経験にほかならない。 ファノンは白人の「対他的存在」(他者の対象としての自己)となる

2021-02-09 20:52:20
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ジョージ・ラミングも「ニグロとは、〈他者が〉ニグロとして見る人間のことである」と書く。 「ニグロの下着はニグロの臭いがする。私はそっと片隅に行き、沈黙を守る。目立たず、忘れ去られてあることを願う。そう、私は何でも受け入れます。だが、人に見られるのはもうごめんだ!」

2021-02-09 20:59:32
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(p.86) ファノンは白人のまなざしの対象であることを拒絶し、彼を「他有化」しようとする白人をまなざし返す。 (p.87) 自分がニグロであること、みずからの「ニグロ性」を引き受け、肯定する。それが「ネグリチュード(négritude)」という文化運動の根幹にある態度。

2021-02-09 21:10:31
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白人が黒人に与えた蔑称である「ニグロ」を敢えて自分たちのものとして引き受けているところに抵抗の側面がある。マルティニークの詩人、エメ・セゼールが唱えた。  しかし「理性がギリシアのものであるように情動は黒人のもの」というサンゴールの言葉に、ファノンは疑念を抱く。

2021-02-09 21:18:32
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黒人の特性とされるものは、白人の特性のネガとして規定されてしまう。  アラン・マバンクは「作家は自らの問いを表現するために書いているのであって、フランス文学の発展に役立つために書いているのではない」と述べた。フランス語圏の文学はつねに本場フランスからの承認・認知を必要としている

2021-02-09 21:24:19
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「白人は、私の非合理には合理を、私の合理には「真の合理」を持ち出してきた。どうやってみても私の負けだった。」しかしネグリチュードは通過地点であり、手段でしかないというサルトルにファノンは苛立つ。黒人は、白人に対してしか、白人のためにしか存在しないことになる。

2021-02-09 21:31:06
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黒人は受動的な存在として、世界の意味を主体的に構成する機会を奪われたままだ。 (p.104) 被植民者を非時間的な存在に貶め、だからこそ支配・教導しなければらないとするのは、典型的な植民地主義の思想である。  他者に変化の可能性、「未来」を認めない。

2021-02-09 21:39:02
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(p.106) 支配者が当然だとみなし享受しているものが、被支配者からは徹底的に奪われている。それは自由である。 (p.107) ファノンにとって人間とは何よりも、自らの意志によってある状況を受け入れたり拒絶したりできる「可能性」を持った存在である。「可能性」は「自由」と言い換えてもいい。

2021-02-09 21:43:14
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(p.111) 黒人は、もはや、自分を白くするか、姿を消すか、といったジレンマの前に立たされていてはならない。生存する可能性を自覚することができなくてはならない。私の目的は、動機がひとたび解明されたなら、彼が葛藤の真の源に向けて、すなわち社会構造に向けて、行動(あるいは受動)を選ぶことの

2021-02-09 21:50:09
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できるようにすることとなろう。  「一定の状況を引き受けたり否定したりする」ことのできる「可能性」こそが、人間を人間たらしめるとファノンは考える。そして、その社会の構造は人間によって変革しうるという信念がある。

2021-02-09 21:55:53
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(p.113) 「北アフリカ症候群」エスプリ誌、1952. 原因らしきものが全く見当たらないアラブ人たちの苦しみを医師たちは理解できず、アラブ人たちは仕事をしたがらない不真面目だという偏見が強化された。  ファノンは「状況診断」を参照した。患者の性格や不安、関心事などの心理的側面と家族関係や

2021-02-10 00:00:12
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友人関係、職業などの社会的な側面を考慮して、患者の苦しみを理解しようとする。  彼らの多くは故郷を離れて単身でフランスにやって来た出稼ぎ労働者。多くが独身者で劣悪な生活環境で暮らす。ファノンはその現実を重く見る。  モンセ街の北アフリカ移民労働者たちは人間関係を持っているだろうか。

2021-02-10 00:09:23
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彼には友人があるだろうか。彼は孤独ではないのか。市電やトロリーバスの中の彼らは無意識な存在に、根拠のない存在に見えないだろうか。彼らはどこからやって来たのか。どこへ行くのか。人々は彼らを見ない。  多くのフランス人は北アフリカ人を見ない。ファノンは彼らの苦しみを内側から感じている

2021-02-10 00:13:55
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(p.117) 彼らが自分の場所を見出だせない所 君(フランス人=白人)が彼らに場所を作ってやらない所 彼らのためには全く場所がない所 そして、君は、そんなことに興味ないと! それは自分のせいじゃないと、あえて私に言うのだ!  彼らに、諸君もフランス人であると、言ってきたのは誰なのか。

2021-02-10 00:19:37
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彼らはそのことを学校で習った。街で。兵舎で(そこでは、足に靴があった)。戦場で。 (p.119) 人間を疎外的な状況から解放するためには、社会構造そのものを変革しなければならないとファノンは考えた。植民地支配がそうした状況を作り出しているのなら、そのような状態は解消されなければならないと

2021-02-10 00:25:49
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(p.120) ファノンはサンタルバンの精神病院でフランソワ・トスケルと制度的精神療法を実践した。医療や社会の制度そのものも治療の対象と捉え、「医師」と「患者」の関係を対等にして、病院内の様々なクラブ活動における集団作業を基礎に、社会的関係性の中での創造的な主体形成を目指した。

2021-02-10 00:31:53
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1953年に主任医師として赴任したアルジェリアのブリダ精神病院で制度そのものを分析することを実践することになる。 看過は差別への加担 ファノンはヤスパースの形而上学的罪責観を引用しながら言う。 (p.123) 「私はもはや、私の兄弟にあてがわれた運命と袂を分かつことはできない。

2021-02-10 00:39:03
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私の行為の一つ一つが人間にかかわってくる。私の躊躇の一つ一つが、私の卑劣な行いの一つ一つが人間を顕にする。アラブ人であれ、ユダヤ人であれ、黒人であれ、人間に対してなされる差別はすべて、一人の人間である自分に対してなさた差別であり、それを見過ごすことは、自分自身が差別に加担している

2021-02-10 00:43:30
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ことになり、同時に自分の中の人間を否定することになる。 第7章、ニグロと認知の結部でファノンは言う。 人間はひとつの " Oui " である。だが人間はひとつの " Non " でもあるのだ。人間蔑視に対する " Non "。人間の卑賤に対する " Non "。人間搾取に対する " Non "。 pic.twitter.com/8mMfg4Y4uH

2021-02-10 00:57:56
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人間にあって最も人間的なもの、すなわち自由の圧殺に対する " Non "。  他者と自らの人間性をともに尊重する状況に対して " Oui " と言えること。それらを否定する状況には断固として " Non " と言うこと。その自由、その可能性こそが人間を人間たらしめる。

2021-02-10 01:06:47
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誰の中にもある「人間」。そこに肌の色は関係ない。白人だろうが黒人だろうが、ファノンは普遍的な人間を信じていた。  ニグロの使命はない。白人の重荷はない。 黒人が奴隷制の過去に閉じ込められてはならないのなら、白人もまたその加害者として過去に閉じ込められてはいけない。

2021-02-10 01:12:59
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不寛容に対して不寛容で答えることはできない。不寛容に対して寛容で答えることが人間なのだ。  過去のことは水に流す。だが、「いま」、そして「今後」、人間が他の人間の誇りを踏みにじるようなことが起これば、断じてゆるさない、と。

2021-02-10 01:18:10
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(p.127) 私はある日世界で自己を発見する。そして自分にただひとつの権利を認める。他者から人間的行動を要求する権利を。 (p.128) ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない。 (p.129) パトリック・シャモワゾーは、ファノンが「我々アルジェリア人は」と世界に語りかけ、名前をアラブ風に変え

2021-02-10 01:24:13
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た時、アンティル人を捨てたのかと思ったが、そうではなく、何かが彼の上に開いたのだと語る。その何かとは「こんにち我々すべてが自分の中に発見しなければならないもの」で、それを「関係性の木」と呼んだ。  それは単一的なアイデンティティではなくて、変化と多様性に開かれた柔軟なものだ。

2021-02-10 01:43:42
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それこそが現代のように全世界がさまざまな関係性の網の目で結ばれた世界においてあるべきアイデンティティのあり方であると。それこそ関係性を生きる人間にほかならない。  (了)

2021-02-10 02:27:29
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結論に代えて、の冒頭のエピグラフに、ファノンはMarxの『ブリュメール18日』を引いていて示唆的だ。 [p.249] 黒人の不幸は奴隷化されたということである。 白人の不幸と非人間性はどこかで人間を殺してしまったということである。 それはまた、今日なおこの非人間化を組織化しているということである pic.twitter.com/1w394VfGoE

2021-02-10 02:37:25
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黒人であるこの私の欲することはただひとつ。 道具に人間を支配させてはならぬこと。 人間を発見し人間を求めることがこの私に許されるべきこと。 [p.250] 私の最後の祈り、 おお、私の身体よ、いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ! pic.twitter.com/Fs5Jfnugh3

2021-02-10 02:43:05
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(ⅰ) James H. Cone は『誰にも言わないと言ったけれど~黒人神学と私』榎本空訳、新教出版社、2020.3.31. p.37 で、 自分に大きな影響を与えた思想家たちを挙げている。 マルコムX、ジェイムズ・ボールドウィン、リチャード・ライト、アルベール・カミュ、そしてフランツ・ファノン。 pic.twitter.com/6fSVFH6P8W

2021-02-10 03:15:02
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(p.58) 私の文章は、私の血から押し出されてきたものなのだ」とクロード・マッケイは言っている。私の場合、それはビアーデンの黒人の血であり、他の黒人たちの血なのである。 (p.59) ペンを取って「キリスト教とブラック・パワー」を書き始めたとき、私は自分に誓った。 黒人としての尊厳がかかって

2021-02-10 03:22:34
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いるときに、仮面をかぶることは金輪際しないと。 (p.82) 黒人になるとは、自分の心、魂、思考、そして体を、奪われた者たちの生きる場に置く、ということである」。黒人になるとは、イエスがニコデモに言ったように「新しく生まれる」こと、「水と霊」、解放的な黒人の霊によって、新しく生まれ変わ

2021-02-10 03:26:21
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ることなのだ。 (p.144) 黒人は他の誰かを愛せるようになるために、まず自分を愛する事を知る必要がある。人は、自らの価値を自覚せずに生きることはできない。黒人解放の神学で私が表現しようと試みたのは、白人神学と彼らの教会によって否定され無視されてきた黒人の自尊心である。

2021-02-10 03:28:35
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(p.172) 神学とはいつもセカンドステップなのだ。貧しき者たちの共同体が正義を求めて闘っている時、それに対する応答として神学は立ち現れる。 (P.209) キリスト者となることは、黒人となることとどこか似ている。それは逆説であり、多くの不調和を抱えた大いなる矛盾である。

2021-02-10 03:32:40
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黒人として育ってみるといい。人は否応なく次の問いに迫られるはずだ。なぜ白人は、私をあたかも人間でない存在のように扱うのか。その答えは簡単に見つかるものではない。しかし私は、この過酷な現実を学ぶとともに、両親にこう教えられてきた。「彼らの憎しみを真似してはいけない」。

2021-02-10 03:33:41
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なぜなら、ボールドウィンが書いたように、「憎しみは担ぐには重すぎる荷物である」から。 (p.234) 「自分が持つはずのものを持たないことを笑う」「泣かないために笑う」生存のためのユーモアである。真夜中の漆黒にあって、私たちは笑うことができるのだ。

2021-02-10 03:39:26
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(p.241)  ボールドウィンはこう言った。「ここで問わなければならないことは、「なぜあなたがたはニガーが必要なのか」ということです。」 (p.262) 私たちは黒人になることなくして白人と共に生きることはできないのだ。白人に敬意を持って向き合うには、まず自分自身を尊重しなければならない。

2021-02-10 03:43:13
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私たちは黒人になることなしに人間になることはできないし、人間になることができなければ、白人と共に生きることもできないのだ。 (榎本) コーンにとって黒人の歴史とは、背負うか背負わないかの選択肢としてではなく、背負わざるを得ないものとしてある。

2021-02-10 03:49:10
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黒人として南部のアーカンソーに生まれ育ったコーンには、それを背負わないという選択肢はなかった。自ら背負わされた十字架を引き受け、それに応答していく。  これをコーンの基本となる神学的態度だと考えるが、これは召命に応えるということであり、呼びかけに応えるということである。

2021-02-10 03:49:57
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コーンの神学の核は、コール&レスポンスにある。 自分を呼ぶものに対して応えていく、そこにはある種の誠実さを伴う。「誠実である(integrity)」ということは、自分がどこから来たのかを覚えることであり、応答することに自分の全存在をかけることであり、何よりも自分の魂に火を灯すことである。

2021-02-10 03:51:15
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(ⅱ) " Négritude "(ネグリチュード)の鍵は、尊厳の回復にあった。これを踏まえ、1980年、スイスの詩人 Freddy Klopfenstein は " Humanitude "(ユマニチュード)を提唱した。人類遺伝学者 Albert Jacquardや老人病専門医Lucien Miasらを経て、1995 年,ジネストとマレスコッティが広く普及させた。 pic.twitter.com/vsiHmNtd62

2021-02-10 04:07:09
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いまや日本の介護現場でも人口に膾炙しているから、説明は無用だろう。「老いる」という人間の第三の誕生にあたって、人間の尊厳・社会性を再び取り戻すために、希薄になっていく絆を積極的に結び直していくためのマルチモダール・コミュニケーションケア技法である。 通底するのは尊厳の回復である。 pic.twitter.com/Iu2835vPlg

2021-02-10 04:26:07
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(ⅲ) ファノンは医学博士号を取得した後、短期間だけマルティニークに戻って医師として働くのですが、その閉鎖的な状況に絶望したようで、再び故郷を離れ、その後二度と故郷の地を踏むことはありませんでした。彼が新たな勤務地として選んだのが、フランス南部のサンタルバン精神病院でした。

2021-02-10 12:47:26