割と不定期に浮上してくるいつもの命題について。
1
加藤AZUKI @azukiglg

「「なぜ人を殺してはいけないのか」という命題と、今のSNSでの議論に共通する「当事者性」の問題」togetter.com/li/1957657 をお気に入りにしました。#Togetter

2022-10-13 11:46:25
加藤AZUKI @azukiglg

「殺してはいけない理由」のお題定期的に多方面から出てくるよね。僕も前に考えてた気がする。

2022-10-13 11:50:11
加藤AZUKI @azukiglg

今は逆に a)殺してもいい(許される、賛成される、賞賛される)理由 をまず考えてみて、それから、 b)自分が殺される側になったときに、その【殺してもいい理由】を許容できるかどうか? を重ねて考えてみるといい気がする。 (a)が納得でき、(b)で受け入れられるなら殺しても問題ない、てなる。

2022-10-13 11:51:02
加藤AZUKI @azukiglg

これを考えるに、 1)個人の行動として、別の個人を、自分個人の判断で殺しても許されるか?(犯罪) 2)国家の行動として、別の国家の勢力を、国家の判断で殺しても許されるか?(戦争) っていう異なる状況での行為が、割と混同される気はする。

2022-10-13 11:52:47
加藤AZUKI @azukiglg

「殺さなくても殺されないなら、殺さないにこしたことはない」 これは、個人の殺人でも戦争の中で起きる攻撃/反撃の結果としての殺人でも基本は同じだと思う。

2022-10-13 11:54:37
加藤AZUKI @azukiglg

「(自国の)法が許容する条件下での殺人をしなければ、自分が殺害されてしまう場合」 に許された反撃(抵抗)の結果の相手の死と、それをしないことによって起きる自分の死、受け入れられないのはどっち? みたいな。

2022-10-13 11:55:09
加藤AZUKI @azukiglg

反戦論とかとセットでも語られがちなこのテーマで、ラディカルな反戦平和主義者が時折、 「敵兵を殺すくらいなら殺されたほうがマシだ!」 と煮詰まって叫び出すのを見かけることがある。 個人の信仰に基づいた選択の結果、その個人が「殺すより殺されるを選んで死ぬ」のは、その個人にとっては正しい

2022-10-13 11:56:36
名無しブラックハンド総帥 @nns_blackhand

実のところ「人を殺してはいけない」という文章の定義があやふやなところが、毎度毎度この議論が混迷する最大の理由なんじゃなかろうかと… twitter.com/azukiglg/statu…

2022-10-13 11:56:57
加藤AZUKI @azukiglg

でも、その考え方をした人は「殺されていなくなってしまう」ので、次第に賛同者が減る(物理)。 で、「殺されるくらいなら殺して生きのびる」という人は、実際に生きのびる確率が「殺されることを許容する人」よりは高くなるから、賛同者の比率はこちらが上がる。

2022-10-13 11:57:37
加藤AZUKI @azukiglg

ので、 「殺さなければ殺されるかもしれない」 という前提条件の場、機会では、「殺しても許される理由」が勝つ。自己生存は正義。

2022-10-13 11:58:27
加藤AZUKI @azukiglg

逆に、 「自分が殺されようとしている訳ではないのに、他人を殺そうとする」 は、自己生存を脅かされてない時点で、「殺しても許される」という条件が成立しない。 「自分が相手を殺そうとしてないのに、相手が自分を殺しにくるのを、受け入れられるか?」 たぶん、答はNOだ。

2022-10-13 11:59:40
文里💉x7 @wenly_m

@azukiglg 人間は動物の群れからさらに上位の社会性を手に入れた結果、古今東西、統治者による刑罰以外でも殺された側の家族を筆頭とする社会集団が殺した側への復讐を企図するんだよね。原因によっては「仇討ち」として美談になることも。現代でもまま見られる復讐のエンドレスになって収拾付かないことも多々。

2022-10-13 12:01:16
名無しブラックハンド総帥 @nns_blackhand

いっちばんの元ネタに立ち返ると「どうして、人を殺してはいけないんですか?」という問いに「…誰が『人を殺してはいけない』って言ったの?」と誰も確認しなかったことがすべての始まりと申しましょうかw twitter.com/azukiglg/statu…

2022-10-13 12:02:05
加藤AZUKI @azukiglg

前提条件の設定がないところで論題が独り歩きしがち(ヽ́ω`) @nns_blackhand

2022-10-13 12:00:05
つるや@なろうにて小説執筆中 @tyurukichi_AA

@azukiglg ちなみに生き物の世界だと「周囲に容易に調達可能な資源がどのくらいの密度で存在するか否か?」と「ライフサイクルはどのくらいか?」によって同族食いの頻度が変わってくる。原生生物とかだと「手当たり次第に食べる」だし。

2022-10-13 12:02:16
加藤AZUKI @azukiglg

「相手が自分を殺そうとしているかどうかを、どのように観測/推定するのか?」 次のテーマはこれで、 1)対面してつかみ合い、罵り合いになる 2)対面して相手が襲いかかってくる これ以外では、内心を完全に観測/判定するのは難しい。 ただし、個人の場合は。

2022-10-13 12:04:53
加藤AZUKI @azukiglg

国vs国とか、行動の事前事後に行為についての声明が伴う集団による殺害行為とかの場合、「その国の政府の統制下にあるか」「その集団に所属しており指導者の統制下にあるか」で、「殺意の観測/推測」がある程度可能になる。

2022-10-13 12:06:23
加藤AZUKI @azukiglg

「交戦中の他国の兵士に、こちらの兵士、民間人を殺害する意志があるかどうか」を個別には判断できなくても、交戦中の相手国政府(権力者)の方針から、兵士が次に取る行動を推測はできるので、推測に基づいて「反撃、抵抗、敵国兵士の予防的殺害」が、自己生存のために可能、てなる。

2022-10-13 12:08:07
加藤AZUKI @azukiglg

結局、「人を何故殺してはいけないのか」は、「どういう条件なら人を殺しても許されるのか」を論じることとセットというか、実質同等になる気がするし、「どういう条件でなら、自分が殺されても仕方ないと思えるか」を考える命題にもなっていく気はする。

2022-10-13 12:09:13
加藤AZUKI @azukiglg

問いの中に、議題提起者の意図が複数あり、回答者が「どの意図に沿った意見を述べるか」で回答が変わるが、その回答はいずれも間違いではない(正解が複数存在する)ってなる。

2022-10-13 12:10:00
加藤AZUKI @azukiglg

でも、 「人を殺してもよい」 「人を殺すのは良いこと」 は、絶対に(できるだけ)肯定したくない(自分が殺されたくない)という意識が、 「殺さざるを得ない」 「殺してもよいケース」 を丸ごと否定しようとしてしまい、話がややこしくなる。

2022-10-13 12:10:54
加藤AZUKI @azukiglg

A)もし【○○】ならば B)【××】しても許される C)ただし【○○】が【△△】の場合は許されない みたいな、(B)を許すための前提条件が設定されていて、それをクリアすることが求められてる、みたいな構文の問いは割とあると思うんだけど、(A)(C)がすっ飛ばされて(B)だけが独り歩きするのはよく見かける

2022-10-13 12:12:53
加藤AZUKI @azukiglg

これは、政治家の失言が生えるプロセスとかでよく出てくるw メディアが報道する際、読者視聴者にヒステリックな反応が出ることを期待して、報道内容を省略した見出し、スローガンを付けることがあるが、大抵それらの見出しやスローガンは【誤読】される。

2022-10-13 12:14:31
加藤AZUKI @azukiglg

元の発言者(多くの場合は政治家や著名人の長文発言の一部)と誤読されたスローガンが紐付けされて、元の発言者の失言や暴言にされてしまう、とか、まあよくあること。

2022-10-13 12:15:18
加藤AZUKI @azukiglg

A)「なぜ人を殺してはいけないのか」 B)「どういう条件なら人を殺しても許されるのか」 a)「なぜ自分が殺されるのは許せないのか」 b)「どういう条件なら自分が殺されても許せるのか」 ここらへんの問いも同様に、条件設定によって変わるとかそういうのの類なので、主語クソデカ議論に飛びこむの危険

2022-10-13 12:17:30
1
まとめたひと
加藤AZUKI @azukiglg

安全保障趣味者。 平和を希求するより安全を確保するほうが現実的。 全ての理想はコストに見合う範囲でなら実現を願うべき。 分を知り、身の丈に合うことをしましょう主義者。 集合知と猫の下僕。 Tweetの利用はご自由に&計画的に。