
捕鯨母船日新丸(初代)。昭和11年(1936年)の完成当時、垂線間長163メートル、総トン数16,764トン、排水量32,590トンの巨船を、起工から157日で進水させ、58日で艤装を完遂した川崎造船所はその偉業を称賛されたという。 pic.twitter.com/DXYp3uzJ9m
2017-03-27 22:00:09

しかし、この巨船建造にあたってはまず出だしからつまづいた。当初本船は神戸川崎の誇るガントリークレーンを備えた第4船台で、昭和11年4月14日に起工する予定であったところ、「突如第4船台が使用できない事情」となり、やむなくより小さい第3船台で期日を繰り上げて起工する羽目になる。
2017-03-27 22:04:01
どうやら、1月23日付で第4船台が海軍指定になったらしい。ではここで、同時期の第3・第4船の建造状況を見てみよう。上の4隻が第4船台、下の5隻が第3船台で起工された艦船である。 pic.twitter.com/Awt32rLZ3b
2017-03-27 22:06:33

日新丸の建造秘話としてまことしやかに伝えられる話に、「川崎造船所は隣で建造されていた巡洋艦そっちのけで日新丸の建造に力を注いだ」というものがある。この話が本当なら、放っておかれたのは神戸生まれのお洒落な重巡こと熊野であるが、実際のところどうであったかは分からない。
2017-03-27 22:10:31
むしろ先の表を見る限り、何らかの事情で熊野が第4船台を当初予定より長期にわたって占有する事態になり、割を食ったのが日新丸であるように思える。
2017-03-27 22:16:51
アジ歴より、軍艦熊野の建造予定表。文書の日付は昭和9年3月28日。 第648号 9.10.13 軍艦熊野工事概括表認許の件 jacar.archives.go.jp/das/image/C051… pic.twitter.com/nQbYkd5CgY
2017-03-28 21:41:37

変更1回目。進水日が半月ほど伸びたが、竣工日は変わらず。昭和9年10月13日付。 第2313号 9.10.13 軍艦熊野工事概括表変更認許の件 jacar.archives.go.jp/das/image/C051… pic.twitter.com/0BGeeAwQ5V
2017-03-28 21:44:52

変更2回目。進水日と竣工日がちょっと延びた。 第2021号 10.9.4 軍艦熊野工事概括表変更認許の件 jacar.archives.go.jp/das/image/C051… pic.twitter.com/Zw2JVTc7hY
2017-03-28 21:47:17

変更3回目。進水日が半月伸びた。日付は昭和10年10月26日で時期的にヤバい感じがする。 第2445号 10.10.26 軍艦熊野工事概括表変更認許の件 jacar.archives.go.jp/das/image/C051… pic.twitter.com/ohI3lyCL4M
2017-03-28 21:50:36

変更4回目。いきなり進水が7か月、竣工が9か月延びる。文書の日付は昭和11年6月8日で、前回までの進水予定日昭和11年3月10日はとうに過ぎ去り、後追いで文書が出ている。 第1520号 11.6.8 軍艦熊野工事概括表変更認許の件 jacar.archives.go.jp/das/image/C051… pic.twitter.com/enYxNXssju
2017-03-28 21:55:25

この後さらに1回、進水日を1日変更する文書が出ていて都合5回。いずれも海軍省副官から川崎造船所宛である。日新丸の設計担当が第4船台使用不可の話を聞いたのが昭和11年1月23日らしいので、それまでに内々の話があったのだろう。三回目くらいでヤバかったんだろうなぁ。。。 pic.twitter.com/OKbFRDAfTW
2017-03-28 22:01:19


南氷洋捕鯨の漁期は12月上旬から、つまり捕鯨母船は10月中旬までに完成していないと間に合わない。後ろが決まっているのだから、第四艦隊事件がなければ日新丸は船台日数109日とかで建造されていたんだろうか。川崎は惜しい記録を逃したということなのかもしれない。 pic.twitter.com/IrTGeL7L8E
2017-03-28 22:22:21