
UR / 旧公団 槻田団地(福岡県北九州市小倉北区)の解体が始まっているとの情報を昨年末に入手し、今年(2023)の正月に私も現場に行ってきた。 #団地 #danchi pic.twitter.com/0KA3aD6Fbk
2023-01-15 22:17:05

私が解体情報を知った田村さん @tokyoesca (エスカレーターマニアで有名な方)のブログの写真では給水塔はまだ残っていたが、この撮影時期は2022年12月中旬だったようで… blog.tokyo-esca.com/entry/2022/12/…
2023-01-15 22:18:13
その後に私が訪れたときは、槻田団地のシンボルだった逆さとっくり型給水塔は跡形も無く、住棟は南端の1棟以外はほぼ解体されていた。残念。せめて給水塔の見納めはしたかったな。 pic.twitter.com/TgxWvObEf8
2023-01-15 22:19:16

正月なので現場は休み。念のため記しておくと、ここに掲載した写真はすべて公道から撮っており、現場には入っていない。 pic.twitter.com/Cv5U4hTfoS
2023-01-15 22:20:15

槻田団地の住棟は壁式鉄筋コンクリート造4階建ての階段室型板状住棟で棟数は4(竣工時は5、後年に1棟解体)、配置計画はオーソドックスな南面平行配置(正確には南南東向き)だった。画像はGoogleマップ3Dモードのキャプチャ。 pic.twitter.com/PQVwUohk4O
2023-01-15 22:21:38


日本住宅公団が発足したのは1955・S30年で、槻田団地の入居開始時期はその翌年の1956・S31年12月。建て替えによって数少なくなった昭和30年代モノの中でも、槻田団地は公団が発足した翌年の完成という正に最初期・最古級の団地だった。 pic.twitter.com/m11Z8hatKt
2023-01-15 22:26:07

槻田団地は、小倉北区と八幡東区の境界付近の小倉北区側に属する上到津に立地するが、槻田は八幡東区側の近隣の地名である。そもそも槻田団地が完成した1956・S31年は北九州市は成立しておらず、両区は小倉市と八幡市という独立した市の一部。 pic.twitter.com/6bXnnJcTz0
2023-01-15 22:28:23

団地名が上到津ではなく槻田となったのは、合併前の市の境界や町名が今と異なっていたからではないかと推測するが、そのうち調べようと思いながらずっと放置している。 pic.twitter.com/jIuhZ0aQDK
2023-01-15 22:29:27

また、地名としての槻田の読みは「つきだ(DA)」だが、団地名は「つきた(TA)」である。「つきだだんち」と濁音が連続すると発音しにくいので「た」に変えたのだろうか。画像はURの発表資料から。 pic.twitter.com/CmpN0BNXpf
2023-01-15 22:32:44

昭和30年代の建築なので、鉄筋はまだ異形鉄筋ではなく丸鋼が使われている。 pic.twitter.com/32VsVE3Ly0
2023-01-15 22:41:44


前述したように、槻田団地は当初は5棟だったが後に1棟解体されている。それは敷地北端(写真左側)の住棟で、私が団地巡りを始めた10年以上前には既に無かった。中央は植栽スペースだが木々の間が駐車場になっていた。 pic.twitter.com/BLBSGAh1iF
2023-01-15 22:49:33

階段踊り場がコンクリート腰壁ではなくスチール手すりとは、公団にしては珍しい。ちなみに、槻田団地と同年に建てられた公団大谷団地(北九州市戸畑区)はコンクリート腰壁だ。設計をいろいろ模索していたことがうかがえる。 pic.twitter.com/lYLm7qB3dA
2023-01-15 22:56:54


敷地の東側は民家が建て込んで接近できない。この写真は路地がかろうじて接する部分から撮影。あ、ネコチャン! pic.twitter.com/kiulIB9i8l
2023-01-15 23:09:43

白猫だけかと思ったらもう1匹いた。この毛並みはキジトラかな。やや赤味がかっているのは茶トラが混じっている? pic.twitter.com/NyCO6gwVJi
2023-01-15 23:15:05



@take_all_a 昭和49年に旧八幡区大字槻田の一部が北九州市小倉北区に編入されていますので、その対象エリアだったのかと city.kitakyushu.lg.jp/files/00094857…
2023-01-15 22:46:40