昨年(2019年)に肥薩線 人吉駅(熊本県人吉市)の石造機関庫を見学した話を先日述べた。機関庫は駅構内にある現役の施設なので、見学は事前の申し込みが必要だ。なお、7月の豪雨災害後の実施状況は未確認(詳細は現地の観光協会に問い合わせのこと)。 pic.twitter.com/z5e05cfnxi
2020-09-08 23:04:55さて、人吉駅構内にある人吉鉄道事業部の事務所の一室が集合場所に充てられており、見学者はまずそこに出向く。 pic.twitter.com/98OzCdn0Kj
2020-09-08 23:05:41この集合場所の部屋がちょっとした鉄道資料室になっていたので、今回は展示物を何点か紹介したい。私は資料室の存在を現地で初めて知った。事前に把握していれば早めに行ってじっくり見たのだが。 pic.twitter.com/d2NLPr5OcR
2020-09-08 23:06:31サボ(行先表示板)。丸印に「ヒト」はたぶん人吉機関区の意味。上下のサボは人吉~湯前(ゆのまえ)を結ぶ湯前線(現 くま川鉄道、豪雨で被災して不通)、中央は八代~隼人を結ぶ肥薩線のもの。 pic.twitter.com/avrDC2wdZe
2020-09-08 23:09:37これはキャプションが無かったのだが、人吉機関区で使用された信号の状況を表示するパネルと思われる。 pic.twitter.com/uW3xitXGCq
2020-09-08 23:15:251923・T12、横河橋梁製を記した橋梁プレート。ただし橋梁名は未記載。肥薩線の全線開通は1909・M42なので、大正時代にどこかの橋桁を何らかの理由で架け替えたことになる。 pic.twitter.com/PHpdXq0TVR
2020-09-08 23:21:29ならば工事記録を調べれば分かりそうなものだが、キャプションには「橋名不詳」。橋桁の鋼材はアメリカのイリノイ スチール社、リベットは浅野小倉製鋼所(後の住友金属小倉製鉄所、現在の日本製鉄九州製鉄所、福岡県北九州市)。 pic.twitter.com/aGsfzeYPrf
2020-09-08 23:21:50肥薩線の路線図(人吉駅近くの案内板より)。以前も述べたが、同線の八代~人吉は「川線」、人吉~吉松は「山線」、吉松~隼人は「田園線」という愛称で呼ばれている。7月の豪雨では球磨川沿いを通る川線が大きな被害を受けた。 pic.twitter.com/LGOPH42ytd
2020-09-08 23:27:59渓谷や山間部に通した肥薩線でも特に難工事だったのが、山線の矢岳(やたけ)~真幸(まさき)にある矢岳第一トンネルだ。トンネル坑口には当時の最高責任者、逓信大臣 山縣伊三郎と鉄道院総裁 後藤新平が揮毫した扁額が掲げられている。
2020-09-08 23:28:49その扁額の写しで、矢岳 / 人吉側の坑口にある逓信大臣 山縣伊三郎が揮毫した「天險若夷(てんけんじゃくい)」。天下の難所を超えられるようになった、という意味らしい。 pic.twitter.com/TJlbY1pTUQ
2020-09-08 23:29:36こちらは真幸 / 吉松側の坑口にある鉄道院総裁 後藤新平が揮毫した「引重致遠(いんじゅうちえん)」。重い荷物も遠くに運べるようになった、という意味。 pic.twitter.com/zUUnMytva6
2020-09-08 23:30:22豪雨災害前に熊本駅・人吉駅と吉松駅の間を往復していた観光列車「いさぶろう・しんぺい」。この名称は扁額を揮毫した二人に因み、吉松行きの際は「いさぶろう」、人吉・熊本行きは「しんぺい」として運行される。つまり列車の進行方向に対面する扁額の書き手が名称になっている。写真は門司港駅で。 pic.twitter.com/alCZzWxvks
2020-09-08 23:35:03肥薩線の被災により、「いさぶろう・しんぺい」は同じく肥薩線を走った「かわせみ やませみ」との連結で2020年8~11月まで博多~門司港を運行中だ。門司港行きは「しんぺい」、博多行きは「いさぶろう」の名称で走る。これは肥薩線の進行方向に合わせたのかな? pic.twitter.com/D6qMXL8gMu
2020-09-08 23:41:57パネルを何枚か。これは人吉駅前のお店について。下の建物は先日紹介した人吉駅前の弁当屋「人吉駅弁やまぐち」。 pic.twitter.com/wj0zBRhZnV
2020-09-08 23:55:027月の豪雨で流失した肥薩線の第二球磨川橋梁。上は竣工した1908・M41の翌年の写真。 pic.twitter.com/LaB0L0cElm
2020-09-08 23:55:42やはり豪雨で大きな被害が出た八代市の坂本地区(当時は坂本村)の沿線風景。鉄道開業後も球磨川の水運が村にあった製紙工場の輸送手段として併用されていた。 pic.twitter.com/dovzcFqygT
2020-09-08 23:56:36