
月を喰いたいとなくけものが、この世界にはいるという。ただひたすらに空の月を求め、長い爪と牙と、恐ろしい姿でもって月のみを追いかける。 その鳴き声はまるで母を探し求める赤子の泣く様か、愛する人を失くしたものの慟哭のようにひどく寂しげだという。 #月食みと月
2020-02-06 12:53:50
その鳴き声を聞くまいと、月食みが近くに来ていると知ると、人は窓を閉ざしてやりすごす。 月の出る夜は、悲しいと、寂しいと、飢えていると泣きながら月食みが月を追いかける。月は空にあり、月食みに喰われぬようにと、逃げ続けているのだという。 #月食みと月
2020-02-06 12:56:01
月食みは世にひとりなのだという。ふるい月食みがおわりの息を吸ったとき、あらたな月食みがはじめの息を吐く。月食みは言葉を忘れる。ただなくことを覚える。 吐息は月に届くけれど、月は涙を落とすことしか知らない。藍色の空をただゆうらりと漂って、今宵も叶わないおいかけっこ。 #月食みと月
2020-02-06 12:58:16
月食みは自分が世にひとりだと、生まれた時から知っている。だから鳴く、泣く、哭く。 けれど月は月食みがひとりであることを知らない。空から見る世界には月食みのほかにもたくさんのいきものがいるのに、なぜ求められるのかわからない。ただ、月食みだけが月の涙を掴めるのだけれど。 #月食みと月
2020-02-08 07:35:36
月食みは空を見上げてひゅぅ、とないた。月食みの声は誰にも聞かれることはなく、草間に消え、代わりに月からほろりと涙が落ちた。 きらきら光る月の涙を拾い上げ月食みが泣く。いつ私にお前を食わせてくれるとなく声に、月はただ涙を落とす。 今夜も月食みは空を見上げてないている。 #月食みと月
2020-03-16 12:57:01
いつからおいかけっこが始まったのか、月食みも月も知らないし、覚えていない。月食みはひたすら月を食いたいとなき続け、月は月食みのなく声から逃げ続けている。月食みの目が月を捕らえようとらんと輝き、月が月食みを阻もうと銀砂の川や白絹の帳を生み出しているのは毎夜のこと。 #月食みと月
2020-03-16 12:58:43
月食みと月のおいかけっこは夜しかできない。だから、月食みの昼はないに等しい。うとうととまどろむ月食みの見る夢は、淡い。空の月をおもいながらまぶたを閉じると、月食みの眼裏は夜毎追い続ける月の姿を映す。いつ月を食えるのかと、その光をおもい、今日も小さくないている。 #月食みと月
2020-03-18 12:44:10
言葉を忘れた月食みのことを、まわりは可哀想だと、人から外れてしまったのだと哀れむ。けれど月食みは月を喰えないことのみが悲しくて、そして月を追えるのは己だけだと知っている。むしろその事実は月食みにささやかな幸せをもたらしているのだけれど、誰も知らないこと。月さえも。 #月食みと月
2020-03-19 12:37:56
言葉を忘れた月食みは、伸びた爪で空をひっかく。夜空の帳に傷ひとつ、銀砂の川に乱れが起きて、月食みは流れに飲まれて月を見失う。すると寂しさで月食みが月を乞うてはなくものだから、隠れた月はそろりと顔を出す。 逃げるために銀砂の川をつくるのに、それでも逃げないその心は。 #月食みと月
2020-03-19 12:40:36
言葉を忘れた月食みのなく意味を、その声の意図を、月は理解している。けれど月食みのなく声は月を食みたいというおもいばかりで、月は逃げるしかなくて。 月食みの言葉は常に理解されずに空に溶ける。ただ、月の他には星読みだけが月食みの声の意味するところを汲み取れるのだという。 #月食みと月
2020-03-19 12:48:26
月食みは月を食むことをひたすら求めているけれど、月がどんな味かは知らない。月に牙を突き立て食んで。その先を考えたことはない。 月の味はどんな味? 月食いは首を傾げて考える。 ひとはものを食べるのだと言う。月食みは何も食べない。ただ、常に月にだけ飢えている。 #月食みと月
2020-05-10 22:38:56
ひとは、食べるものの味を様々に言う。 あるひとは三角の白いケーキを甘いと言う。あるひとはとろとろの赤いスープを辛いと言う。あるひとは細長い緑の穀物を苦いと言う。 まるくてほんのり黄色の月の味は、どんな味なのだろう。白み始めた空に向かい、月食みはひゅいとないた。 #月食みと月
2020-05-10 22:42:09
夜が来る、よるがくる。 今宵もびろうどを広げたような濃紺の空に、月がかかる。月食みは今日も月を追う。 追いながら、思う。 昨日の月は、赤かった。今日の月は、白に赤が一筋見える。 思い返せば、青い月の夜もあった。金のときも、大きいときも、小さいときもあった。 #月食みと月
2020-05-12 23:49:36
そして、どのいろもとてもうまそうだった。 月の味を知らないで、食いたいとなく月食みはその庵治を想像する。 どの色の月を食んだら、いちばん美味しいと思うのだろう。 月を食いたい月食みは、今宵も淡色の夢を思い出しながら月を思う。 思いながら、月を追う。 #月食みと月
2020-05-12 23:52:54