pp.471-476 「女性の就労および人権問題としてのケア責任の再分配~男性の「関わらなさ」から考える~」 平山亮
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抜粋) 『精神科治療学』37(5) 2022 pp.471-476 「女性の就労および人権問題としてのケア責任の再分配~男性の「関わらなさ」から考える~」 平山亮 女性の就労をいかに支えるかという問いは、子どもや高齢者などの「依存的存在」に対するケアの責任をいかに再配分するかという問いと不可分である。 pic.twitter.com/wYpApr18Po

2022-05-30 04:20:04
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家庭におけるケア責任の分配に関して、日本の「女性偏重」は著しい。家庭の無償労働(1日あたり)の平均は、OECD諸国全体だと女性262分、男性136分であり、女性は男性の約1.9倍長く従事しているが、日本に限ると女性224分、男性41分となり、女性の無償労働時間は男性の5.5倍にのぼる。

2022-05-30 04:20:05
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さらに日本では、女性へのケア責任の偏りが、女性が就労しているかどうかに左右されない。  この偏りは女性の就労の障壁となる。ケア責任を負うことは、ケアの受け手に「他律」されることを意味する。ケアは自分の都合でスケジュールを立てにくい仕事だからである。

2022-05-30 04:20:05
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ケアの受け手は自分の生活に必要な活動を自分だけでは行えない「依存的存在」だから、放置することはその生存を脅かすことに繋がる。ゆえにケア責任を負う者は、「依存的存在」を中心に自らの生活スケジュールを組まざるをえなくなる。

2022-05-30 04:20:06
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しかしながら職場を含めた公的領域は、ケア責任を負わない個人、その意味で「自律」可能な個人を前提に構成されている。あらかじめ設定された職場のスケジュールに合わせる態勢を、自らの意思で整えられることが勤め人には求められる。

2022-05-30 04:20:06
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私的領域におけるケア責任を丸抱えする場合、女性は自身の生活を丸ごと「他律」されているため、その要求に十全に応えることは難しい。家庭で「依存的存在」を抱える多くの女性が就労の制限や中断を迫られる理由である。

2022-05-30 04:20:06
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就労は、自立の基盤となる経済的資源を得るための中心的手段であるから、就労の制限や中断は、他者に依存して自身の生活を維持せざるをえない「二次的依存」を招く。ケア責任をいかに再配分するかという問いは、「二次的依存」に伴う従属的な社会的位置から解放されるための人権の問題にほかならない。

2022-05-30 04:20:07
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Ⅱ. なぜ男性はケアをしないのか  ケア責任がなぜ女性に偏るのかという問いは、なぜ男性はケア責任を負わないのかという問いでもある。構造制約説をみてみよう。「依存的存在」は恒常的に誰かの支えを必要とするために、ケア責任を果たすには受け手のそばにいて関わる時間が一定程度必要である。

2022-05-30 04:31:24
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この資源としての時間は、長時間労働を慣行とする就労体制のもとでは不足しがちである。特に、男性が世帯の主な稼得者であることを前提とした社会では、男性は長時間労働の慣行に「適応」してでも就労を続けざるを得ず、結果的にケアに携われなくなると考えるのが構造制約説である。

2022-05-30 04:37:32
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「平均的に見れば」日本の男性の就労時間が長いことは事実である。男性の1日あたりの平均的な就労時間は、OECD全体で317分なのに対し、日本では452分である。女性の就労時間はOECD全体で平均218分、日本のみだと272分である。日本は女性も男性も国際的に見て就労時間が長いが、男性は特に長い。

2022-05-30 04:54:14
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だが、国内の統計を見る限り、男性の就労時間とケア時間には共変関係がほぼ見られない。就労時間が最も短い東京都では育児時間が長いが、それ以外では両者に関連が見られず、統計的にも有意な相関は見られない。 pic.twitter.com/mPmcUW0Xsm

2022-05-30 05:01:01
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ケア時間の長さは、むしろ就労以外の可処分時間を本人がどのように使うつもりであるかに左右されうる。それは、就労のない休日の余暇時間の男女差を見ればわかる。  20代から40代の女性の趣味・娯楽・教養のための時間は、男性に比べて一貫して短い。 pic.twitter.com/4ZTHs37NQe

2022-05-30 05:18:47
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就労に時間をとられる人が多い平日の差は小さいが、多くの人にとって休日となる日曜日は差が顕著になる。ケアを要する子どもがいることの多い年齢層では、たとえ休日でも余暇がない女性と、「休日=余暇」にしている男性という非対称性が現れる。

2022-05-30 05:25:48
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長時間労働を強いられているのは男性よりも女性である。有償労働の時間に限れば男性の労働時間のほうが長いが、家庭における無償労働の時間を加えれば、総労働時間の性差は消えるか、むしろ女性のほうが長くなるのは先のOECDデータからも明らかである。

2022-05-30 05:32:36
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「男性は長時間労働から抜け出せない」という構造制約説の前提は、労働を有償労働に限ることでしか成り立たない。構造制約説自体も疑わしい。  ケア責任を果たす上で時間が資源となることは事実であり、長時間労働を慣行とする就労体制の是正は、ケアに携わる上で不可欠である。

2022-05-30 05:43:39
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ただしそれは、男性だけでなく女性にとっても必要である。ここでの要点は、就労だけで男性のケア関与の少なさを説明するのは難しいということである。  不均衡を変えるために個々の男性ができることはもっとあるのではないか。

2022-05-30 05:53:38
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働く母たち、シングルの母たちは、現在の体制のもとでも「依存的存在」に付き合い、そのニーズを満たしてきた。働き方を徹底的に変えなくても、向き合う相手をスマホやパソコンから「依存的存在」に替えてみるなど男性個人にできることはある。

2022-05-30 05:53:39
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女性たちがすでにそのように生活を組み立てていることは、男性よりも長い総労働時間や、育児期における極端に短い余暇時間という調査結果から明らかである。男性はまず女性並みに働いてみてから、ものを言ったほうがよい。

2022-05-30 05:56:48
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Ⅵ. 男性が関与できないのは女性のせいか?  男性が家庭での労働に好き勝手に参加すれば、女性は今度はそれに合わせて生活の回し方を組み直さざるをえなくなる。  家庭の労働に新規参入する男性に求められるのは謙虚な新人に徹することである。

2022-05-30 06:01:25
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「職場」の先輩である女性がどのように仕事を回しているかを観察し、すでにできている仕事の流れに乗れるよう、それを乱さぬよう、やり方を学ぶのが協働者になるための作法である。

2022-05-30 06:06:25
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Ⅶ. ケアの外注で解決できるか?  サービスを利用するには「依存的存在」に何が必要で何が適しているのかというニーズの把握と、それに基づくサービス提供者の選定が必要である。また、サービスの利用中には提供者との連絡などの定期的なやり取りも生じる。

2022-05-30 06:13:54
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ニーズの把握には「依存的存在」とともにすごし相手を理解する時間が必要だし、サービス提供者との間の調整にもやはり時間がかかる。  サービスを利用するためのこれらの負担もまた女性に偏りがちで、結果的に女性とサービス提供者の間でケア責任を分有するに終わり、男性は相変わらず免責される。

2022-05-30 06:32:19
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サービス利用のための負担を男性が認識し、その負担を積極的に分け持とうとしない限り、サービスの利用拡大でケア責任の男女不均衡が是正されることはない。  ケア責任の再配分は女性にとって人権に関わる問題であり、この再分配が可能になるかは男性個人の意思によるところが多分にある。

2022-05-30 06:44:14
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女性がいかに生きられるかが男性次第だという意味で、女性に対する男性支配の構造は明らかだが、男性たちが自らのケアへの関与の少なさを正当化することで、女性の人権を損ねる構造は再生産される。男性が家庭で女性の協働者となることを抜きに、社会はひとりでには変わらない。📃

2022-05-30 06:56:45