大国主怨霊説に否定的な立場から色々語り。 学者ではないのでまともな論戦は勘弁…
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黒将軍 @ytinbk

子年という事で、出雲大社に初詣。 初詣というにはちょっと間が空いたが。 鼠は祭神、大国主命の神使だが、あまりアピールしている感じも無し。 pic.twitter.com/SywKzHmNed

2020-01-12 21:16:00
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黒将軍 @ytinbk

今回の真の目的、出雲大社銅鳥居。 寛文六(1666)年、毛利綱広の寄進。 ここには、 「日本の神として一に日神(天照大神)、二に月神(月読尊)、三に素戔嗚尊者があり、素戔嗚こそ雲陽大社(出雲大社)の神である。」と記される。 実は平安から江戸初期まで、出雲大社の祭神は素戔嗚だったのだ。 pic.twitter.com/XWjXfvqW41

2020-01-12 21:25:11
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黒将軍 @ytinbk

祭神の変更があった時期はよくわかっていないようだが、元々松江の南、熊野大社で祭祀を行ってきた出雲国造家が、平安以降拠点を出雲大社に移している。 熊野大社の祭神は素戔嗚なので、神社を移ると共に祭神を入れ替えたのだろうか。 pic.twitter.com/Is7zzCPpuc

2020-01-12 21:38:15
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黒将軍 @ytinbk

祭神を大国主命に戻したのは寛文7(1667)年、なんと銅鳥居寄進の翌年である。 国学の高まりとか、神宮寺的立ち位置だった鰐淵寺との関係悪化とか色々あるようだが、せっかく鳥居に由緒を刻んだ毛利綱広はどう思っただろうか。

2020-01-12 21:42:57
黒将軍 @ytinbk

尚、現在の本殿は延享元(1744)年の再建。 「大国主怨霊説」だと、その祭祀形態が論拠の一つとなるが、そもそも千年近くに渡り祭神を入れ替えられている以上、当初の祭祀形態からかけ離れているものと考えるべきであり、それは最早完全否定されるべきものと考えるが。 pic.twitter.com/rW8tfqhKAE

2020-01-12 21:51:49
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黒将軍 @ytinbk

祭神の座を追われた素戔嗚は本殿の背後、素鵞社に祀られている。 先日テレビで、「稲佐の浜で集めた砂を素鵞社に納めると願いが叶う」などという、聞いたこともない話が紹介されていたが、いざ訪れてみると長蛇の列であった。 数年前に来た時は参拝者もまばらだったはずだが… pic.twitter.com/rF2alJABZC

2020-01-12 21:58:15
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黒将軍 @ytinbk

幸魂奇魂像。 大国主命が海を眺めながら国家運営について思案していると、彼方から光り輝く球が飛んできて、 「我はお前の幸魂奇魂(分身)、大物主命である。我を祀れば国はよくなるだろう。」 と言うので、奈良の三輪山に祀ったという。 これが今の大神神社の始まりであると。 pic.twitter.com/4yF37a3qvq

2020-01-12 22:07:40
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黒将軍 @ytinbk

怨霊説まで行かずとも、「出雲王朝は大和政権に滅ぼされた」という説はよく見る。 どこまで神話を信用するのか、という話にもなるが、出雲と大和が敵対していたのなら、敵の勢力圏となる三輪山に赴くのは変な話だが。 建御名方が諏訪に逃げるのも、方角的におかしいし。

2020-01-12 22:13:20
黒将軍 @ytinbk

そもそも、国譲り=戦争というのはどうだろうか。 他の勢力は明確に攻められ、滅ぼされているのに、出雲勢力だけぼかす必要があるだろうか。 しかも、一番恨みを語ってしかるべき出雲風土記だと、「大国主命は自発的に国譲りを言い出した。(ただし出雲は除く)」ことになっている。

2020-01-12 22:23:36
黒将軍 @ytinbk

私の推測だと、むしろ出雲勢力は大和政権の有力な協力者であったと考える。 国譲りの神話は、「我々の協力無くしてこの国は無かったんだぞ。」という出雲側のメッセージであると。 攻められ、滅ぼされた割にはその影が色濃く残りすぎているのである。

2020-01-12 22:32:11
黒将軍 @ytinbk

国譲り以外の大国主命英雄譚を語っているのは実は古事記だけだが、祟り除け、鎮魂目的のためだけにその一代記をでっち上げるなど、むしろ残党勢力を勢いづかせるだけだと思うが。 私にはこの部分は、むしろ出雲に縁ある者が、自分の故地をよく見せるためにねじ込んだように見えるのだが。

2020-01-12 22:40:54
黒将軍 @ytinbk

まあ、長々語ったところで、所詮裏付け史料もないただの妄想である。 ただ、検索すると必ずのように出てくる、大国主命怨霊説だけは、何とか否定したいものだ。 センセーショナルであればいいってもんじゃないぜ。

2020-01-12 22:42:55
黒将軍 @ytinbk

梅原猛氏が亡くなられたとか。 死者に喧嘩売るのもアレだけど、大国主命や聖徳太子が怨霊云々というのは、やはりこじつけすぎだと思う。 実際そういう伝承もないのに、祭られ方が特殊というだけで、怨霊なんかにされたら、それこそ祟られるぜ…

2019-01-14 21:09:12
黒将軍 @ytinbk

特に出雲大社に関しては、井沢元彦氏の「逆説の日本史」で、祭神の向きがどうこうみたいな説を唱えていたが、実は出雲大社って中世祭神が素戔嗚尊に代わっていて、江戸半ばに戻してるんだよな。 本当に危険な神なら祭神入れ替えなんて起きないと思うが。

2019-01-14 21:14:20
黒将軍 @ytinbk

その素戔嗚の化身とされる牛頭天王像(疫病を流行らす厄神)が元神宮寺の鰐淵寺に残されているので、もし本当に出雲大社が危険な存在を封じるような造りをしているのなら、封じているのは大国主の怨霊ではなくそちらのほうではないかと。 まあ、それも想像に過ぎないが。

2019-01-14 21:23:19
黒将軍 @ytinbk

出雲探訪に関し、少し語りたいことがある。 それは、大国主命怨霊説の事だ。 梅原猛、井沢元彦両氏により提唱されたこの説について、出雲大社紫野教会の方がHPで反論されておられるが、私も違うと思う。 その論拠は、大国主が祟りを起こしたという記録がないからだ。

2017-03-19 22:14:12
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk おっと、頓智で言ってるんじゃないぜ? 考えても見てほしい。 現在三大怨霊として知られる菅原道真、平将門、崇徳上皇や、大物怨霊たる長屋王、早良親王などはいずれも国家転覆レベルの災害や政変を引き起こしたと恐れられているが、大国主にはそれがないということだ。

2017-03-19 22:19:18
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 厳密には大国主は祟りを起こしている。 だがそれは、国譲りより時代の下った第11代垂仁天皇の御代の事で、口のきけない皇子がいたので占ったところ、出雲大神が社殿の新築を要求している、と神託が出たというもので、他の怨霊神の祟りと比べると、なんとも小さい。

2017-03-19 22:27:28
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk これで大国主の何をもって怨霊神というのだろうか。 両氏は祀り方が云々、と言っているが、これは紫野教会の方が反証しているのでそれに譲る。 また、出雲大社で大国主の御座と参拝の方角が違う、というのは、大社造の特性ではないかと思う。

2017-03-19 22:33:34
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 大社造は真ん中に柱があり、入り口が偏るという特性を持っている。 これでは御座を正面にもっていくわけにはいかないし、左右に偏らせるのも変なので、部屋に仕切りを作って部屋を作り、御座の向きを変えたのではないかと。 他の大社造建築ではどうなっているのであろうか。

2017-03-19 22:37:14
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 出雲に多く残る大社造建築の神社が同様の祀り方ならすべて怨霊神でなければならなくなるが、当然そんなことはないわけで。 逆に御座の向きが出雲大社だけ違うというのなら我が説は覆されることとなる。 これに関しては他の神社の資料がないので、他の方の説を待ちたい。

2017-03-19 22:40:17
黒将軍 @ytinbk

大国主怨霊説の論拠の一つは、国譲り神話で、大国主が天津神に降伏したという記述を、古代出雲勢力が大和勢力に敗北して滅ぼされ、大国主に擬せられた王は殺害されたと解釈したことによるものだ。 だが、これとてしょせん想像であり、大国主が殺されたなど古事記にも日本書紀にも記されていない。

2017-03-19 22:48:57
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 祟りが怖いから言葉を濁したのか? そうであろうか。 神話の世界では多くの神が殺され、まつろわぬものは誅されている。 日本尊周りなどひどいものだ。 天皇関係者でさえ普通に殺されている世界で、なぜ大国主のみ遠慮する必要があったのか。 他の犠牲者は祀られもしないのに。

2017-03-19 22:54:11
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk つまるところ、大国主は殺されていないのだ。 古事記にもしっかりと、自分の隠居所として宮殿(今の出雲大社)を築いてくれればおとなしく降伏する、と言っているではないか。 神話が事実に基づいているのなら、出雲勢力は大和勢力に合併吸収され、出雲の王は隠居したのだ。

2017-03-19 22:57:40
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk それを裏付けるのが出雲風土記である。 こちらでは天津神が国譲りを迫る描写もなく、大穴持(大国主に相当)が越征伐後おもむろに、この土地は天津神に譲ってもよい、ただし、出雲の地は手元に残す、と宣言したという。 大穴持は、出雲藩主的な地位に封じられたのではなかろうか。

2017-03-19 23:03:19
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk もし出雲と大和の間に大戦があり、出雲勢力が滅ぼされ王が殺されたなら、それは恨みの記録として断片的にでも語り継がれるはずであるし、勝った側も誇るべき手柄であり、怨霊が怖いからと言って闘いの記録自体を抹消するはずがない。 戦いなど元からなかったのだ。

2017-03-19 23:07:02
黒将軍 @ytinbk

また、国譲りの条件として大国主に常世の支配権を与えられたという話をもってあの世に送られた、という解釈もあるようだが、そもそも大国主はその生涯において既に2度あの世に赴いている。 おまけに二度目のあの世行きで大国主は素戔嗚に認められ、その娘を妻に迎えているのだ。

2017-03-19 23:10:26
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk まあ、神話におけるあの世を示す黄泉、常世、根の国などはそれぞれ別の地域を指すという解釈もあるようだが、恐らくここで言うあの世とは、妻の実家のある地域であり、大国主は国譲り後もその支配権を認められたということではなかろうか。

2017-03-19 23:14:42
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk そうでなければ、一度目の赤猪岩による殺害、二度目の幽世に避難するという現実離れした自称にも、それぞれ意味を持たせねばならなくなる。 3度目のあの世行きのみを取り上げて、殺されたと解釈するのは都合がよすぎるというものだ。

2017-03-19 23:17:56
黒将軍 @ytinbk

国譲り神話や出雲大社建立は大国主の鎮魂のためでも怨霊封じのためでもない、というのが私の考えである。 ではなぜ出雲大社が古代で一番の規模を持っているのか。 そしてなぜ、古事記において敵対勢力の王であるはずの大国主の一代記が丸々収録されているのか。

2017-03-19 23:21:18
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk ここからは完全に私の妄想だが、恐らく出雲勢力は十分な余力を持ったまま大和政権に降伏し、代わりに政権内に強大な権力を持ったのではなかろうか。 すなわち、豊臣政権における徳川の立ち位置である。

2017-03-19 23:24:59
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 古代氏族に出雲由来とされる一族が多かったり、大和政権のお膝元であるはずの奈良や京都に出雲系の神が多いのも、まさに出雲勢力が大和政権にしっかり食い込んでいる証左といえよう。

2017-03-19 23:26:27
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk そして、古事記の編者やパトロンに、出雲を故郷とする有力者がいたのではなかろうか。 そういう者たちが、自分らの地域の事をひいき目にかけと要求した… それが、大国主一代記の真相ではなかろうか。

2017-03-19 23:29:18
黒将軍 @ytinbk

まあ長々と語ってきたが、結局これも、直接資料にあたって練ったわけでもない所詮たわごとである。 名の知れた作家先生等に真っ向から論戦吹っ掛ける実力なんかないわ。 真相はどこかから帝紀、旧辞の写本でも出てくればはっきりするだろ。

2017-03-19 23:32:24
黒将軍 @ytinbk

ああそれからもう一つ。 ブラタモリの出雲松江編で、松江のあたりはかつて宍道湖に浮かぶ島々で、埋め立てられて今の姿になり、出雲大社参道の小高い丘陵はかつての砂丘の痕跡だと言っていたが、それだと島根半島は湖と砂丘で本土と隔てられた異界だったということとなる。

2017-03-20 00:12:54
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 実はここが常世、根の国だったという説はどうだろう。 出雲大社のあたりはちょうど島根半島の根っこだし。 そもそも、出雲大社はどうして旧出雲国の中心部から大きく離れているのか。 かつて国庁に近い熊野大社で奉仕していた出雲国造が出雲大社に移った理由は何か。

2017-03-20 00:16:31
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk いつかの時代に出雲大社の地位が向上する事柄があったのだろうか。 そのあたりに謎を解くカギがあるのかもしれないな。

2017-03-20 00:20:49
黒将軍 @ytinbk

朝から面白い話を聞いた。 学習指導要領で、いったん消された「聖徳太子」「鎖国」の文言が復活するという。 理由は小学校だとわかりやすい「聖徳太子」「鎖国」で教え、中学校からは新説である「厩戸王」「江戸幕府の対外政策」で教えるので混乱が生じるためだという。 もっともなことだ。

2017-03-20 10:46:24
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 一体学者先生方は何を考えてこれらの名称を削ろうとなさったのだろうな。 鎖国といいつつ完全に閉じてないから、というのが理由らしいが、長崎出島を通じて中国、オランダと交易していたのは周知の事実であるし、それ以外の国と交流を断っていたのもまた事実であろうが。

2017-03-20 10:51:04
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 聖徳太子名称説については新説のほうが疑わしい。 「聖徳太子という名称は後世つけられたもので、日本書紀には厩戸皇子とある。  皇子という言葉は当時なかったので厩戸王だ!」 というのが新説の概要らしいが、その日本書紀に「豊耳聡聖徳」「東宮聖徳」の名があるのだが?

2017-03-20 10:58:55
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 聖徳の二文字を無視している。 穿った見方をした者から、「意図的に聖徳太子を抹消しようとしている!!」などと言われても仕方がないことだ。 大体当時の記録がないのに、「当時はこう呼ばれていたはずだ!!」と推測だけで記録無視するのはどうなのかと。

2017-03-20 11:04:44
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 結局思うに、学会自体澱み、定説に倦んでいて、無理やりにでもセンセーショナルな「新説」を生み出して波風を立て、少しでも注目を浴びようとしているのだろう。 ちょっと前に流行った「武田騎馬隊虚構説」などもこの類であろう。

2017-03-20 11:09:13
黒将軍 @ytinbk

昨日の話に絡むが、梅原、井沢両氏は聖徳太子も怨霊である!!と提唱されているが、これもやはり違うと思う。 理由もやっぱり「記録にないから」だ。 てかもし聖徳太子が怨霊なら、ダイレクトに殺された崇峻天皇、物部守屋、山背大兄王、蘇我蝦夷、入鹿親子などが大々的に祀られてもいいはずだが。

2017-03-20 11:13:16
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 聖徳太子という名が怨霊を鎮めるために贈った尊い名だという。 「徳」の字は崇徳やら安徳やら不幸な人生を送った天皇に贈られるのだというが、懿徳や仁徳に怨霊の要素は見られない。 聖の字は日本に仏教を伝えた百済聖明王に見られるし、徳の字も仏教由来であろう。

2017-03-20 11:20:01
黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 結局作家先生の「新説」というのも注目を浴びてなんぼの所詮巷説であり、それをさも定説のように扱うメディアにはうんざりさせられる。

2017-03-20 11:23:47
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まとめたひと
黒将軍 @ytinbk

黒将軍だ。 歴史探訪とSDガンダムに情熱を注ぐ者だ。 作成品、探訪記録をmin.t ↓ にまとめました。 (モーメント廃止に伴い移行。)