京都大学学術出版会、2009年
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

村田陽平『空間の男性学:ジェンダー地理学の再構築』京都大学学術出版会、2009年 異色の地理学本として一部では有名な一冊。空間の中で「男性」というジェンダーはどのような意味を持つかを分析。磯崎新がプロジェクトを主導した公営住宅を扱った第1章は建築学の人が読んでも面白いかも。 pic.twitter.com/M3GDnBEos8

2021-05-01 15:59:02
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

第2章では地理学界そのもののジェンダー意識が検討されている。日本でジェンダーに関わる地理学研究が登場したのは、1990年代後半になってのこと。2000年時点では、日本地理学会の女性比率はわずか8%。評議員を務めた女性は、1999年までに2人しかいなかった。

2021-05-01 16:16:22
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

3章はこちらの論文が元。あとがきによると、筆者は卒論で都心部の集合住宅を扱うなかで、「なぜ中年男性は、結婚というジェンダー役割を担わないと日常空間で疎外されてしまうのか」という関心が芽生えたとのこと。 twitter.com/Naga_Kyoto/sta…

2021-05-01 16:20:37
永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! @Naga_Kyoto

村田陽平「中年シングル男性を疎外する場所」jstage.jst.go.jp/article/jjhg19… 「地理学の知に潜む覇権的な男性性を自明視することは, 女性のみならず男性の疎外にも繋がる」

2017-12-15 17:21:29
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

「「父子家庭」の父親が孤独に陥りやすいのは、子ども連れで行ける空間が、「母子家庭」の女性(母親)の場合、「母子」になる以前も以後もさして変わらないのに対して、男性の付き合いには子ども連れで遊べる空間が少なく、学校や地域社会の人間関係も配偶者のいない男性を受け容れ難いから」

2021-05-01 16:23:37
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

人間のセクシュアリティは①身体の性、②心の性、③社会的性、④対象の性などいくつかの次元がある。このうち、「空間」の観点から重要になるのは、身体の性と社会的性が合わさった「外見の性」だという。 村田陽平「日本の公共空間における「男性」という性別の意味」 jstage.jst.go.jp/article/grj200… pic.twitter.com/A6VGKdH2V0

2021-05-01 16:35:42
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

電車やトイレ、浴場など日常の生活空間において「男性」という性別は、身体の性(染色体、内外性器...)だけでもなく、社会的性(服装、髪型、戸籍、住民票...)だけでもなく、それらを合わせた「外見の性」によって判断される。

2021-05-01 16:55:35
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

この「外見の性」によって、人は男女どちらの空間が相応しいかを判断されたり、他者に恐怖を与えてしまったりする。他者の判断によって構築される「外見の性」は、それ自体は「心の性」「対象の性」を決定づけるわけではないにも関わらず、日常空間ではそれらを把握する判断材料とされてしまう。

2021-05-01 16:55:35
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

「性別というカテゴリーは構築されたものであり無意味である」と言い切れないのは、他者による性別判断が実際的な利害をもたらすため。研究史的には、「もし〈女〉がただの空疎なカテゴリーだとしたら、わたしはなぜ夜ひとりでの帰り道を恐れるのか」(Downs 1993)という論文が重要であるらしい。

2021-05-01 17:20:42
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

「夜道への恐怖」はまさに空間的な問題。その恐怖は、自らの「外見の性」が「女性」であると自認する者が、「外見の性」が「男性」であると(「女性」によって)判断される者に遭遇することで生まれる。つまり、そこでは男性の女性認識と女性の男性認識の両方が問われている。

2021-05-01 17:30:19