陸軍の制度面のみからの考察のため、他の要素は考慮できていないです。そのため軍人のみ
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志願兵は12/1入営の年の9/1までには所属希望の聯隊に届け出を出さなければいけないので、明治35年入営(杉元+1歳)で入営前の夏に北海道に居ても問題がないので鶴見中尉が私兵として使っている設定も使えるかも

ただ上記師管区の理由より尾形は志願だと思っているので-3歳まで年齢を引くことが可能 なので明治15年生まれ(杉元+1)で明治34年入営とかもできる 杉元<尾形があるのでこれを守る範囲内で

宇佐美明治14年/尾形15年/杉元16年生まれ、尾形19歳志願(明治34年12月入営)で宇佐美と同期兵
これなら杉元<尾形<宇佐美を守りつつ尾形・宇佐美両方三年兵の上等兵ができる、また尾形が鯉登少年誘拐事件の明治35年夏頃に兵営に居られる

また史実の第七師団長が明治33年春に師団長任命なので花沢パパも同時期だと考えると、鶴見中尉が鯉登少尉に接触した時期が鯉登パパが函館に異動が決まったタイミングなので尾形も同様では…、と考えるとタイミング的にしっくりくるかも
花沢家長男として大事にされ、エリートコースを真っ直ぐ進む勇作さんよりも尾形の方が「救い」を与えられる境遇であるし

宇佐美:明治28年14歳=明治14年2月25日(ファンブック併せ)のため杉元明治16年頃生まれと併せて
尾形=明治14~15年頃生まれ

ファンブックより尾形誕生日:1/22
=明治15年1月22日生まれ

明治22年徴兵令は「1月より12月までに満20歳となる者」=「2/1~翌年1/31生まれ」のため1月生まれは前の年扱い=宇佐美と同じ年に徴兵
第一師管区での徴兵=>第七師団へ配賦ではなく志願だとは思っていますがどちらにしても杉元新兵時に宇佐美も尾形も三年兵になります

のく @noc_turn

鶴見中尉が尾形と接触したのは幸次郎が第七師団長に任命~尾形入営(志願を勧める)だろうから尾形17~19歳ぐらいの頃と思われるけど、Q17の祖父母の話も多分そのタイミングなのだろな…と思う twitter.com/noc_turn/statu…

2020-11-20 00:13:55
のく @noc_turn

金カム21巻の鯉登少尉の台詞が太字とか微妙に修正されているため、鶴見中尉は智春くん(父親が第二師団の偉い人、新発田もウラジオストク近い)→尾形(父親が第七師団長に任命)→鯉登少尉(父親が大湊水雷団の司令官に任命)と籠絡始めたのかなというのが個人的に強くなって pic.twitter.com/mXnGajzCAz

2020-03-19 11:31:55
のく @noc_turn

金カム21巻の鯉登少尉の台詞が太字とか微妙に修正されているため、鶴見中尉は智春くん(父親が第二師団の偉い人、新発田もウラジオストク近い)→尾形(父親が第七師団長に任命)→鯉登少尉(父親が大湊水雷団の司令官に任命)と籠絡始めたのかなというのが個人的に強くなって pic.twitter.com/mXnGajzCAz

2020-03-19 11:31:55
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宇佐美上等兵

明治28年冬では無い頃に14歳
=明治14年頃生まれ
ファンブックより誕生日:2/25
=明治14年2月25日生まれ

志願であれば早く入営もできるが明治36年11月満期と日露開戦時に予備役になってしまうのでとりあえず考慮しない方向で(予備役も召集されるけれど)
明治34年12月入営の三年兵と仮定しておきます

農家!二時間とあるので福島潟とかの方かなあと勝手に推測…

小学校卒業後は上の学校へは通えないようだったので当然士官は目指せない家庭
このため
・第二師管区で徴兵後第七師団へ配賦
・志願

のどちらかかと思われます(そして後者の可能性が高い)
17歳で志願でないのはまだ鶴見中尉が聯隊附きではなかったからなのかな…弟が働けるようになるまで待ったのかも

鶴見中尉が「智春くんの父親と知り合い」「やや敬語」な辺りから智春父は軍属の可能性も?→「第二師団の偉い人」
この頃陸幼は最低年齢14歳受験の15歳入学のためとりあえず智春くんは東京の中学に進学予定かと(その後中退して陸幼の可能性)

新発田生まれとして23巻方言修正、誰も新発田弁を喋っていない悲しみを追記 あんならろらろ言わないし(らすけ、ではなくだすけ/らろも、でなくだども、あと新発田特有の丁寧語の「ねす、ねし」を誰も使っていない…これは藩主の溝口氏が尾張から入封時に広まった様子)

当時高等小学校は(北は村上方面含めても)新発田聯隊の傍にだけ、何十キロも先の遠方の子も通うので寄宿舎もあった
智春くんはおそらく新発田本村、道場も高等小学校と兵営付近と考えてそこまで2時間と考えると方言と田の様子から宇佐美んは豊栄方面かな…

のく @noc_turn

ああでも農家だからそもそもうさみんが士官目指せないおうちなのすっきり 徴兵で第二師管区から第七師団へ配賦or志願でOKのよう 陸幼お金かかるんですよ… twitter.com/noc_turn/statu…

2020-01-09 00:34:37
のく @noc_turn

士官候補生は官費だけども幼年学校は自費のため、一応勇作さんの代までは手当金月30銭は出るけど学校への納金が一番最初に32円、あとは毎月6円50銭を支払わないといけない(将校や文官の子息は孤児であったり親の収入により特待生/半特待生制度有)(明治30年頃)

2019-11-18 00:24:02
のく @noc_turn

士官候補生は官費だけども幼年学校は自費のため、一応勇作さんの代までは手当金月30銭は出るけど学校への納金が一番最初に32円、あとは毎月6円50銭を支払わないといけない(将校や文官の子息は孤児であったり親の収入により特待生/半特待生制度有)(明治30年頃)

2019-11-18 00:24:02

菊田特務曹長

編集中

のく @noc_turn

曹長から特務曹長への進級停年は2年、かつ入隊後(教導団出身者は入団から起算して)8年以上服役している者※改正後しばらくの間は6年に短縮(明治32年 陸軍武官進級令)また特務曹長へは抜擢です

2019-02-28 00:38:05
のく @noc_turn

菊田特務曹長、↑より少なくとも明治32年には兵籍の筈で 日清戦争には従軍してるのかな?とか、もしそうだったら第七師団の前はどちらに?(第七師団設置は日清戦争後)とかも気になる木 元屯田兵?鶴見中尉&月島軍曹と同じ十六聯隊?はたまたその他? 既に沼

2019-02-28 01:04:09

まだ過去が明らかでないので、兵卒を経由しない教導団出身の下士かもしれないし、まだまだ色々不明
とりあえず明治35年には月島軍曹/尾形と共に鯉登音之進誘拐事件に関与
この時の軍衣袴は下士兵卒のもの…だけど本編で今同じの着てるのでわけがわからないよ(特務曹長=准士官は将校服)

ファンブックより出身埼玉
菊田特務曹長は埼玉だと三聯隊か十五聯隊出身かなあ でも兵卒出身でなくて教導団出とかだと聯隊どこ配属なるかわからないかも

有古一等卒

のく @noc_turn

そういえばあいぬの徴兵に関しても記述してる本持ってたのだった  明治29年に開始でやはり20歳の者…多くは健康面で検査に不合格のよう (和人が持ち込んだ伝染病なども)日露従軍は63名、多くは輜重輸卒や砲兵輸卒 因みに志願制の海軍は大正14年がはじめ

2019-05-23 01:16:47

「有古はな…あの八甲田山での捜索隊のひとりだぞ」
まだ軍属ではなく民間の捜索隊として召集

のく @noc_turn

そう言えばツリー頭↑の年表に入れようと思ってたの八甲田雪中行軍遭難事件(明治35年1月末~2月頭)まだ有古一等卒は徴兵前だと思うので明治35年(杉元+1)か36年(杉元と同じ)の入営かな それにしても八甲田山の年もまた"アシリパさんの言う父が殺されたのは5年前=有古一等卒の父が殺された年"なのがこう

2019-09-02 14:53:48

アイヌの徴兵について
明治35年入営:徴兵検査136名,合格40名,28名入営
明治36年入営:徴兵検査114名,合格45名,34名入営

参考までに明治40年の現役/予備役/後備役の合計
歩兵25,騎兵1,砲兵7,砲兵助卒4,砲兵輸卒7,輜重輸卒20

キロランケ

鶴見中尉「1881年の皇帝暗殺時にキロランケは十代半ば」

当時14~16歳と考えると作中明治40年時点で40~42歳ぐらい

「俺は第七師団だ」「俺は工兵でね」「俺がいた小隊の中尉は別の人間だ」
日露戦争に従軍した第七師団の編成は
師団長┬歩兵第十三旅団-歩兵第二十五聯隊/歩兵第二十六聯隊
   ├歩兵第十四旅団-歩兵第二十七聯隊/歩兵第二十八聯隊
   ├騎兵第七聯隊
   ├野戦砲兵第七聯隊
   ├工兵第七大隊
   └師団輜重

アイヌの徴兵も戸籍上20歳の者なので戸籍はどうなっているのだろう(日露時で37~39歳ぐらいの筈?)
ちなみに明治40年の調査でアイヌの現役/予備役/後備役の中に工兵はいない様子

ファンブックより生年月日:1866年8月2日

徴兵の謎が深まる…

鶴見中尉

編集中
中尉は初級士官なので鶴見中尉の年齢的に階級が低すぎるのでこの辺りからの考察はしづらいです

のく @noc_turn

前に調べたけれど日露前の時点で最古参の現役中尉が明治28年少尉任官のひとなので本当になぜ明治40年で未だに中尉?なのですよね… twitter.com/noc_turn/statu…

2019-05-26 00:26:01
のく @noc_turn

年表作ってると停年補除があるはずなのに鶴見中尉が未だに中尉なのが不思議に見えてくる~…白肋骨着てるので明治26年以前から士官なわけで 気になって明治36年時点の全ての現役中尉調べちゃったけど最古一人だけ12聯隊で明治27年少尉任官の1人がいて残り全部明治28年以降少尉任官

2019-05-12 01:56:20

情報将校としてスパイ活動中は休職扱いと考えるとその間実役の加算が止まるのでおそらくそう言うことかも?
明治29年(陸軍監獄訪問)時点で少尉

露の皇帝暗殺(明治14年)から十数年後にウイルク、ソフィア、キロランケと長谷川幸一の出会い
=明治25~26年頃?

この頃既に士官&ウラジオストクへの潜伏は1年以上と考えるとだいたい最低21歳ぐらい?
中尉の定限年齢は45歳のため少なくとも作中明治40年には最大45歳

=文久2年~明治4年頃生まれ?
=作中明治40年時点で36~45歳

鶴見中尉「1881年の皇帝暗殺時にキロランケは十代半ば」

キロランケ≒鶴見があることを考えると皇帝暗殺時(明治14年)に14歳だと明治元年頃生まれでウラジオストクが25,6歳、暗殺時14~16歳と考えると作中年齢40~42歳ぐらい

226話より
作中季節の経過より最低でも明治26年春~翌27年春新発田に屯留

また宇佐美両親が知らず、将校さん呼びなので新発田出身でない可能性が高い 個人的には長岡の方の士族だと思っているのですが

ファンブックより誕生日:12/25
≒キロランケを考えると1866年12月25日だが前後したるはするのだろうか

鯉登平之丞
海軍少尉 鯉登平之丞  明治27年9月17日死去
「兄さあとは13も年が離れていたから…オイが8歳のときでした」

=鯉登平之丞 享年21歳前後
=鯉登平之丞 明治6年頃生

月島軍曹と同い年か

ちょっとややこしくなってしまいました
海軍兵学校
18期の場合…1868年8月1日~明治4年7月31日生
 →明治27年3月1日少尉任官
19期の場合…明治元年8月1日~明治5年7月31日生
 →明治27年9月25日少尉任官
20期の場合…明治2年8月1日~明治6年7月31日生
 →明治28年3月1日少尉任官

21期は明治27年11月15日に卒業のため間に合わず

黄海海戦時に少尉である18期生にすると明治4年の夏までの生まれになり、弟8歳の時に13歳差ではなくなってしまう。少尉候補生のときに死亡しても少尉候補生まま…なのでお墓には少尉とは書かれない筈…?(松島乗組は上奏されてるものの特進なし)
とりあえず具体的に数字の出ている年齢の方で考えて20期で見るのが良いのかもです

この頃はまだ海軍兵学校は4期制(4箇年)、1期は9/11~翌9/10

またこの頃はまだ弟の通っていた海軍予備校(後の海城)は存在しない
海軍兵学校の入学前は他の中学校・高等小学校などから入学?個人的には当時の造士館かなと

海軍兵学校の夏休みは7/21~9/10 勇作さんがその頃小学校の夏休みが被るので父親同士が同郷の親友なので会っていたりしないかな…とも 勇作さんの兄弟への憧れ具合を考えると生きてる裡に会っていそうな気がするのでファンブックのQ39がちょっといやらしい書き方にも見えてしまう…

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まとめたひと
のく @noc_turn

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