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2019年8月27日
陸軍の制度面のみからの考察のため、他の要素は考慮できていないです。そのため軍人のみ
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陸軍の制度面のみからの考察のため、他の要素は考慮できていないです。そのため軍人のみ

原作で確定部分は赤字、陸軍の制度関係は青字、推論はこの色

リンク 明治陸軍関係資料集 明治陸軍関係資料集 明治陸軍関係の個人的資料まとめです。

公式質問箱より
オソマ<チカパシ<アシ(リ)パ<夏太郎<鯉登少尉≒江渡貝くん<杉元≒谷垣≒二階堂尾形<インカ(ラ)マッ≒白石<月島軍曹キロランケ≒鶴見<辺見<牛山<二瓶<家永≒永倉<土方≒フチ
宇佐美は尾形のちょっと上。カドクラは牛山のちょっと上

基本として第七師団の鶴見中尉の部下の兵卒は予備役を連れ回していると考えています(旅順攻囲に参戦した兵卒は新兵でも明治39年末には満期除隊のため)

また満年齢で計算しています
この頃の年齢算出法は明治6年の法律で「何年何ヶ月」と数える満年齢となるよう決められ、明治35年に「年齢計算ニ関スル法律」が出来て日にちまで含む満年齢になりました(ただし徴兵令などは明治37年の徴兵まで明治35年以前の数え方が適用)
数え年の場合作風的に作中断りを入れる気がするので、まず数え年では考えていません

のく @noc_turn

明治期の年齢計算法について簡単にまとめました。明治35年以降は現行法になりますがそれ以前がちょっと分かりづらいので estampie.thyme.jp/army/army_age.…

2021-03-30 12:06:14
リンク 明治陸軍関係資料集:年齢計算法 明治陸軍関係資料集:年齢計算法 明治陸軍関係の個人的資料まとめです。

杉元・谷垣・二階堂兄弟

のく @noc_turn

杉元は「現役兵として日露戦争に参加」「石川啄木が北海道にいるため北見辺りは明治40年以降」「杉元の性格からして満期除隊後すぐ小樽に行っている筈(砂金の話は寅次から聞いてる)」を満たすのはやっぱり「日露戦争開戦時は新兵(明治36年12/1入営)」だなあと

2018-09-01 07:58:33

石川啄木が北海道へ移ったのは明治40年の春
=北見の辺りの話は明治40年以降
本編は開始時冬、夕張で春、夏に釧路湿原、秋に北見~網走監獄、冬樺太へ

この頃国民より徴兵または志願で集められた現役兵卒は入営から3年で満期除隊となる

日露戦争の現役兵卒は動員時点では
三年兵:明治34年12月入営、明治37年11月満期
二年兵:明治35年12月入営、明治38年11月満期
初年兵:明治36年12月入営、明治39年11月満期

(平時は3年経つと満期除隊だが、戦時中に満期になっても除隊にはならず予備役即召集となるため、帰れるわけではない)
また予備役(現役満期後4年)も常備兵役のため召集されるが、杉元がこないだ満期除隊と言っているのでこれも違う

1巻杉元「一攫千金夢見て東京から移ってきたってのに」
おっちゃん「あんたついこないだ日露戦争から帰ってきたばっかなんだよな?」
杉元→尾形「第一師団にいたが こないだ満期除隊した」

日露戦争は明治37年2月10日宣戦布告~明治38年10月14日講和条約批准だが、軍隊はしばらく戦地である清国に駐留していたため、帰還・復員はもっと遅い
第一師団の
■動員:明治37年3月6日
■凱旋帰還

  • 第一聯隊(東京):明治39年1月30日頃
  • 第十五聯隊(高崎):明治38年11月30日復員完結
  • 第二聯隊(佐倉):明治39年2月12日復員完結
  • 第三聯隊(東京):明治39年2月5日復員令

ファンブックより杉元=神奈川のため歩兵第一聯隊と考えてよさそう(明治40年改正まで神奈川全域が第一聯隊の聯隊区)

のく @noc_turn

日露戦争時に地元が何聯隊か知りたい場合 画像1枚目の陸軍管区表(明治36年2月ver)より地元を探して上の聯隊区を覚える→2枚目徴集区表一番右の段で聯隊区を見つける 注釈も参照(佐渡は警備隊区が出来てないので柏崎聯隊区に所属…など) 同じ東京でも浅草だと三聯隊、麹町だと一聯隊などわかるかも pic.twitter.com/eC3jKtO1p9

2020-07-08 15:21:37
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もし開戦時に二・三年兵であれば杉元は復員後すぐ北海道に渡っていると思うのでやはり日露開戦時に初年兵で満期除隊(明治39年11月末)後に北海道へ渡ったと考えるのが無難かな、と
またこれ以降の明治37年12月入営の新兵は11月26日の白襷隊に参加出来ないのでこれはない

明治22年1月22日法律第1号「徴兵令」
第二十五条「毎年1月より12月までに満20歳となる者はその年の1月1日より同月31日までに書面をもって本籍の市町村長に届出べし」

この頃の年齢算出法では「1月より12月までに満20歳となる者」=「2/1~翌年1/31生まれ」
明治35年に「年齢計算ニ関スル法律」が出来、これまでの「何年何月」という満年齢から現在の日付まで含む満年齢に変わりました
このため日露戦争時は
明治35年12月入営:明治15年2/1~翌年1/31生
明治36年12月入営:明治16年2/1~同年12/1生
明治37年12月入営:明治16年12/2~翌年12/1生

と少し変則的になっています。
※杉元、谷垣、二階堂が同世代のようなので、志願は17歳からできますが20歳未満での志願は考えていません/谷垣は第八師管区の出身で志願ですが師団内での扱いから見ても20歳未満での志願ではなさそう(古兵になるので)
※また20歳より上での新兵もいなくはないのですが、現役の学生か、または病気であったり長男で徴兵されると家計が立ち行かなくなるなど正式に認められる理由がないとまず猶予は貰えないのと上記同様の理由でこちらも除外

金カム本編開始は明治39年末~明治40年頭

杉元、谷垣、二階堂は日露開戦時初年兵
=明治36年12月1日入営
=明治16年2/1~17年1/1生まれ
=本編では24歳前後

杉元
ファンブックより誕生日:3/1
=明治16年3月1日生まれ
谷垣
ファンブックより誕生日:6/28
=明治16年6月28日生まれ
二階堂
ファンブックより誕生日:11/19
=明治16年11月19日生まれ

のく @noc_turn

浩平の「うんざりだ(略)屯田兵も何もかも…故郷の静岡に帰りたい」は二階堂兄弟が屯田兵村に入植してきた二世が徴兵されたのだと思うと屯田兵村+第七師団の下士以上に元屯田兵がいるだろうから多分それで合ってる気はする それと関東の第一師管と違って静岡の第三師管からは第七師団への配賦はないので

2018-11-14 19:53:11

鯉登少尉&花沢勇作少尉

平時に現役少尉になれるのは陸軍士官学校卒業者のみ(補充条例より)
陸軍士官学校へ入学するための士官候補生になれるのは「陸軍幼年学校卒業者」「中学校またはこれと同等以上の学校を卒業し召募試験に及第した者」「一年志願兵にして隊長の保証を得かつ召募試験に及第した者」「陸軍現役各兵科下士中品行方正志操確実の者にして隊長または所属長官の保証を得かつ召募試験に及第したる者」殆どは陸軍幼年学校出身者(陸幼組)中学/相当学校卒業者(中学組)、残りの2つはレア
(この文言は明治36年改正時点のものですがそれ以前も文言は違えどだいたい似たような感じ)

鯉登少尉

本誌(197~200話)により鯉登少尉の中学組が確定
尋常小学校卒業→海城学校→陸軍士官学校

■14歳の夏頃鶴見中尉に出会う

海城学校に通っている=海城学校は東京のためおそらく夏休みで帰省中
私立学校である海軍予備校が海城学校の名称になったのは明治33年4月からなのでこの出会いは明治33年以降

鶴見中尉は第27聯隊所属ではなく月寒の特務機関所属
歩兵第27聯隊の旭川への移転は明治33年11月完了だが鶴見中尉がまだ27聯隊所属でないため考慮不要

鯉登平之丞 海軍少尉 明治27年9月17日死去
「兄さあとは13も年が離れていたから…オイが8歳のときでした」

=鯉登音之進 明治18年9/17~19年9/16日生まれと仮定
=14歳での鶴見中尉との出会いは季節が夏のため明治33年

また
=鯉登平之丞 享年21歳前後
=鯉登平之丞 明治6年頃生

月島軍曹と同い年か

■16歳 鯉登音之進誘拐事件
「今年は海軍兵学校の受験だろ?」

海軍兵学校の受験資格は「本年7月に於いて16年以上満20年以下」
「明治15年8月より19年8月までに出生の者」(明治35年12/17入校の場合)

また海軍兵学校の試験は7月なのでこの誘拐事件は明治35年6~7月頭頃?
衣替えが6/1からなので…と思ったけれど鶴見中尉の着ている白肋骨は明治34年9月に着用停止されているし月島軍曹たちは冬衣跨…

また鯉登パパは函館の対岸に完工間近の大湊水雷団の監督
大湊水雷団は明治35年8月1日開庁のため、やはり誘拐事件は明治35年初夏頃か

のく @noc_turn

鯉登少尉、 17期の場合…明治38年3月卒業・旭川へ曹長として原隊復帰、4月に少尉任官 18期の場合…明治38年11月卒業・旭川へ曹長として原隊復帰、明治39年6月に少尉任官 明治39年3月に第七師団は満州より凱旋帰還のため既に鯉登少尉は旭川にいるためどちらでも鶴見中尉が籠絡する余裕はあるかなあと

2018-09-18 20:17:19
のく @noc_turn

17期生は「卒業期がちょうど奉天会戦の時であったから、この期生は講和に至る間、警備、討伐、訓練に従事した」とあるのと「日露戦争には17期生以前の者が参加している」とあるので鯉登少尉は18期生かな

2018-09-18 20:17:27
のく @noc_turn

一応27聯隊は3/11以降は基本的に法庫門の守備をしていたとはいえ、まだ講和条約が結ばれておらず戦闘状態ではあるので(25,26聯隊は8月中も戦闘記録有)

2019-04-27 14:53:17
のく @noc_turn

普通に旧制中学出ていたら17歳卒業で陸士(9月に18歳~)の受験資格あるけど海城学校が11歳入学16歳卒業なら(海軍兵学校の受験資格は7月時点で16歳~)鯉登少尉は他の中学組よりは割と勉強にかけられる時間があるのかな、とも

2019-05-31 11:55:33

海城学校(旧海軍予備校)は旧制中学と同じく修学期間は5年(当時の都内の学校案内より)、海軍の士官養成機関である海軍兵学校は16歳から受験資格のため11歳入学かな?と思っていたところ11歳で海城入学の人を見つけたので恐らく合っている筈(中学校令は適用されず私立学校令は明治32年のため年齢などの定めがなく割とアバウトなため?)ただ当時は編入も多いため高等小学校卒業などで学力が認められれば●年次へ、など編入もあります

海兵は16歳受験でその予定で海城学校へ通っていたので、通常の中学組よりも陸士受験まで1年多く空くためその分受験勉強ができるかも?

200話で旭川にて父と共に鶴見中尉に会いに来た鯉登少尉が星章の付いた士官候補生の軍衣を着ている
この部分は18期でも17期でもちょっと難しそう
18期生の場合:鯉登少尉の陸士入校は明治37年12/1、第七師団は明治37年10/27に旭川を出発のため入校してからでは会えない(軍衣は陸軍士官学校にて入校時に支給)(18期生は戦時中のため陸士入学前の原隊附が省略されているため入学前の原隊附時の軍衣の貸与がない)
17期生の場合:軍衣は士官学校入学前の原隊附時(明治36年12/1~明治37年5月末)に原隊(27聯隊)にて支給(そのまま所持して士官学校へ入校)なので原隊附時に挨拶に来た感じなら何とか?ただ鶴見中尉がおそらくもう27聯隊附なので鯉登一等卒(士官候補生の一等卒は徴兵の兵卒の一等卒とは別)と鶴見中尉は会っているのでは…とも

ただ軍衣袴に関しては鶴見中尉の白肋骨服といい三八式軍衣の着方といい割とノッダカムイが描きたかった系演出が多いのではないかな?とも そもそもこの頃だと兵卒も三八式軍衣か三八式を余っている紺地で作った代用服の筈なので 鯉登少尉が着ている茶褐色軍衣と濃紺絨袴の混用はこの頃禁止されているし

士官の昇進には抜擢補助停年補助があり、少尉→中尉は1/3は上官からの抜擢で進級し、残りの2/3は停年名簿という名簿に載っている順に昇進していく(武官進級令より)
このため陸士17期生は停年補助によって明治40年12月26日には中尉任官してしまうので、本編で年が明けていてまだ少尉であれば鯉登少尉は18期生と考えて良いかな?とも

召募要項
■陸士17期生:「明治14年1月より明治19年1月までに出生の者」
戦時下のため陸士入学前の原隊附が通常1年のところ半年に短縮で明治36年12/1~旭川にて原隊附、明治37/6/1陸士入学-明治38/3/30卒業帰隊、明治38/4/21少尉任官、少なくとも明治40/12/21には皆中尉任官(停年名簿より)

■陸士18期生:「明治14年12月1日より明治19年12月1日までに出生の者」
願書は明治36年11月30日までに届け出
戦時下のため陸士入学前の原隊附が省略で明治37/12/1陸士入学-明治38/11/30卒業帰隊、明治39/6/26少尉任官、少なくとも明治41/12/21には皆中尉任官(停年名簿より

ちなみに19期生は明治38年12月入学/明治40年5月卒業(曹長へ)/明治40年12月26日少尉任官のため鯉登少尉はこれではない
(本編が明治40年頃であり、尾形が鯉登"少尉"を知っているのと釧路(姉畑先生のあたり)で季節が夏なので鯉登少尉を"少尉"と呼ぶのがおかしくなってしまう)

陸軍士官学校と同様に海軍兵学校も自分からは退校できないため、海軍兵学校は受験自体をしていないと思われます

陸士の召募要項と海兵の召募要項から
明治19年2月〜8月生まれかと思われます

ファンブックより誕生日:明治19年12月23日
これだと陸士18期の召募要項「明治14年12月1日より19年12月1日までに出生の者」に収まらなくなってしまう…

ただ19期生(召募「明治17年12月1日より20年12月1日までに出生の者」)になってしまうと
19期生は陸士卒業が明治40年5月末、少尉任官は明治40年12月26日、金カム本編は明治40年秋に網走のため「鯉登少尉」でなくなってしまう
・鶴見中尉は日露戦争に居る為陸士の制服を着て挨拶に来れない
等があり19期は難しいので陸士は18期でよさそうです

平之丞さんの方も少尉が有り得ない年齢なので鯉登兄弟に関しては少し曖昧めに考えた方がよさそうです。

勇作さん

のく @noc_turn

そういえば聯隊旗手って新任少尉とあるから少尉になりたての人たちなのかと思いきや、少なくとも日露役直前を調べてるとみんな中尉になる直前の少尉平時陸士3期分の少尉がいてその中で一番上の代)たちじゃん…みたいなのがびっくりしたとこかも twitter.com/noc_turn/statu…

2019-06-04 23:26:55

聯隊旗手はwikiなどで調べると「新任少尉」と出ますが少なくともこの頃は「古参少尉」(明治期の文献でも確認)

聯隊旗手は自分の調べる限りは第七師団以外は動員時に陸士13期生、第七師団のみ出発の明治37年10月頃の資料で陸士14期生

現実の歩兵第二十七聯隊の日露役出発時の聯隊旗手も陸士14期生の鏡味少尉(愛知県平民/陸幼組/原隊附は第6聯隊、少尉任官時に27聯隊へ転属/明治38年3月8日奉天にて戦死)

成績優秀描写も多いので勇作さんはまず陸軍幼年学校出身(陸幼組)かと(宇佐美&智春くんの話で幼年学校の話が出てきたのでまず通っていると思う)
史実の27聯隊旗手の鏡味少尉(愛知平民)は陸幼組
(とは言ってもおそらくモデルのうちに入っているだろう乃木将軍の日露役で戦死されたご子息2名や第七師団長の大迫中将のご子息は中学組なのですが
(参考書までに第七師団長の日露で戦死されたご子息は陸士14期生(中学組)第四師団 伏見第三十八聯隊、陸士卒業時の成績は後ろの方)

のく @noc_turn

陸幼の改正は 13期生M30/9中央陸幼入学、M33/5卒業、M33/12陸士入学 14期生M31/9中央陸幼入学、M34/5卒業、M34/12陸士入学 15期生M30/9地方陸幼入学、M33/9中央陸幼入学、M35/5卒業、M35/12陸士入学 だから少しこんがらがるのだなあ 陸幼が3年→計5年になるのと中央の修学期間がM33までは3年な辺り…

2019-03-28 16:35:22

勇作さんの陸幼入学の頃はちょうど幼年学校条例の改正(修学期間3年→5年)が重なった時期のため、15期生の方が14期生よりも先に修学しているという少しこんがらがる感じ

勇作さん陸幼組からの陸軍士官学校14期生ストレートコースと仮定すると、明治31年入学の陸軍中央幼年学校召募要項より
明治13年10月~明治16年10月生まれ

勇作さんは作中屈指の「優秀」描写のため召募要項の最年少で入学だと明治16年生まれ(杉元らと同い年)か+1年ぐらいと考えるのが自然?

ちなみにこれは陸幼組の場合なので中学組の場合は~明治16年1月生まれになるので杉元+1歳になります

また宇佐美明治28年で14歳より尾形:明治15年頃と考えると勇作さんは明治15~16年生まれと絞れるかも

尾形のファンブック誕生日より明治15年1月25日から暫く経った頃~16年生まれ

尾形が1月生まれで赤ん坊の頃に…なので明治15年代の可能性のが高いのかも?

のく @noc_turn

勇作さんの年表修正しようと思っていたのを思い出したので修正しました。陸士14期/陸幼組最年少verです。最年少だと鯉登平之丞氏と同じく少尉で21歳享年… pic.twitter.com/IESfdeL3h6

2019-12-26 01:41:35
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のく @noc_turn

勇作さんの14期生調べてて陸幼組も中学組も第七師団(第25~28聯隊)の配賦がそもそもないな…?と思ってたら基本的に別の聯隊で原隊附して陸士卒業後少尉任官時(明治36年6月)に27聯隊に転属してるの…(27聯隊の聯隊旗手も鏡味少尉も原隊附は第6聯隊、聯隊旗手任命は明治37年8月9日)

2019-09-07 15:40:43

陸幼組は15期以前は基本的に第25~28聯隊へ原隊附がないため、↑の原隊附は別の師団の聯隊となるようです。
中学組は一応配賦あるのですが他聯隊が7人のところ27聯隊へは配属2人、うち1人は病気か何かで脱落、27聯隊の14期生は少尉8人中他聯隊から転属が7人

■明治36年時点の第27聯隊陸士14期生少尉一覧(卒業試験成績順)

  • 鏡味少尉 愛知平民 陸幼組→名古屋第6聯隊→明治36年6月末転属、聯隊旗手
  • 中村少尉 宮城士族  中学組→盛岡第5聯隊→明治36年6月末転属
  • 海江田少尉 北海道士族 中学組→旭川第27聯隊
  • 鈴木少尉 新潟平民  中学組→新発田第16聯隊→明治36年6月末転属
  • 和田少尉 三重平民  中学組→第37聯隊→明治36年6月末転属
  • 伊藤少尉 佐賀平民 陸幼組→第48聯隊→明治36年6月末転属
  • 安田少尉 大分士族  中学組→第47聯隊→明治36年6月末転属
  • 小出少尉 広島平民  中学組→第21聯隊→明治36年6月末転属

一応陸幼↑と同期の小笠原中尉(士官候補生時に病気で遅れ陸士15期)はただひとり27聯隊へ配賦されているのですが成績最下位の上素行不良など少し特殊な様子、また明治34年に大迫中将の名前で新設師団へは配賦がないが配賦して欲しいと願い出ている

そのため勇作さんが旭川第27聯隊配属となるのはおそらく明治36年6月末~

のく @noc_turn

智春くんが陸幼を目指してたことで勇作さんの陸幼組の確率が上がった気がするので勇作さん(陸士頃14期生仮定)の頃の陸軍幼年学校について色々 まだまとめ中なので追加あればリプ欄へ書くかも pic.twitter.com/gkkq5qeFLC

2020-02-29 08:12:57
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モデルについて

花沢中将のモデルは
・経歴:史実の第七師団長 大迫尚敏大将
・息子関連:乃木大将
のミックスかと思っています

一応資料として

  • 大迫三男:明治13年/鹿児島華族/中学組陸士14期
  • 乃木長男:明治12年生/東京華族/中学組陸士13期
  • 乃木次男:明治14年生/東京華族/中学組陸士15期
  • 27聯隊旗手:明治15年生/愛知平民/陸幼組陸士14期
    皆日露で戦死

どちらの子息も日露戦争で戦死していますが
幸次郎の手紙の勇作さんの「愚かな父の面目を保ってくれた」は乃木閣下の「よく戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ」から来ているだろうこともあり
大迫長男は明治3年生まれで徴兵令改正前のため「長男は兵役免除」が効いてる頃(次男は養子へ)、また大迫三男の生まれた年は熊本鎮台参謀時なので鹿児島は近いし長男もいるため実家は鹿児島のまま(近一聯隊長は明治18年~)
乃木大将の方は歩兵第一聯隊聯隊長就任(明治11年~)時に結婚と子供ができる(どちらも東京)この頃料亭への放蕩が激しく祝言にも遅刻したという

勇作さんは幸次郎が近衛歩兵第一聯隊聯隊長時なので東京生まれと思われ、また幸次郎が仏壇を旭川へ持ってきているので鹿児島には居住実態ないのかな?とも

月島軍曹

「新発田の第二師団へ入隊すると すぐに日清戦争が始まりました」

第二師団 新発田歩兵第十六聯隊
明治27年9月25日 日清戦争に動員
=明治26年12月1日入営
=月島軍曹は「明治6年2/1~7年1/31生まれ」
=本編では34歳前後

ファンブックより誕生日:4/1
=明治6年4月1日生まれ

明治27年10/26新発田を出発、11/6広島大本営終結後、明治28年1/10広島宇品港より出航・1/14大連湾上陸、1/20山東半島にて山東作戦へ、2/12威海衛陥落、2/28より旅順へ向かい遼東守備、10/10台湾上陸と掃討、翌年4/1台湾を離れ宇品港、郡山を経由し
明治29年5/1(第三大隊)、5/4(他)新発田へ凱旋帰還
月島軍曹の父親殺害はこの後の慰労休暇(戦後は2週間程度貰えた様子)の際に帰還したときか

のく @noc_turn

月島軍曹の年齢を明治6年生(徴兵)で考えてるのは志願ではないんじゃないかな…というのが えご草ちゃんとそこそこ良い仲なのに戦争の機運高まる中で志願するかな…というのと、志願も誰でもいいわけでなく、父母(または後見人)と市町村長が身元保証をして送り出す形なのでその辺が難しそう感

2019-08-08 01:52:41
のく @noc_turn

徴兵されて本土で「島の外の世界」を知ったからこそ駆け落ちを持ちかけたのかなあ…みたいな妄想です

2019-08-08 01:52:41

志願兵は「願書に戸主或いは後見人連署し身元証書を添え市町村長の奥書証印を受け9月1日以前自己の服役せんと欲する軍隊に願い出て許可を受くべし」

のく @noc_turn

身元証書って戸籍上家族はどうで戸主はいくら税金を納めてるとか戸主の所有の家屋についてとか本人はどこの学校を卒業したとか刑罰とか病気とか履歴書的なことも書いた上で本人と父母または戸主や後見人の連署に市町村長の奥書証印(内容が正しいことを市町村長にて保証する)根無し草には難しそう

2019-08-08 02:45:24

月島軍曹は「親が島の嫌われ者」で「人殺しの息子」とも言われていたりで志願したときに市町村長が身元の保証してくれるかな…というのが 人口の多い都市だと事務的にやってくれそうだけれど
身元証書は特に戸主(この場合月島軍曹の父親)の状況について書くので
と言っても自分が調べていての所感なので創作でこの辺は設定するには何でもOKかと

のく @noc_turn

明治29~42年の平時の下士(曹長/軍曹/伍長)になる方法をまとめました。まだ追加事項あるかも… estampie.thyme.jp/army/army_sold…

2019-02-02 22:34:54
リンク 明治陸軍関係資料集:兵卒~下士 明治陸軍関係資料集:兵卒~下士 明治陸軍関係の個人的資料まとめです。
のく @noc_turn

明治中頃の下士の散々な言われよう(特に教導団出身ですら学力低いと言われてるのに兵卒出身はそのさらに下と言われてる)を読んでると月島軍曹は本当に努力したのだなと…月島軍曹の適齢期の男子小学校就学率は58%程度で、家庭環境から考えても通ってはいないだろうし(小学校の無償化は明治33年)

2019-09-20 02:42:42
のく @noc_turn

新発田、うさみんの聖地でもあるけども月島軍曹や鶴見中尉も居たわけで、月島軍曹の徴兵が明治30年以降だったら佐渡は所属が村松兵営だったから危なかった(何の話) twitter.com/noc_turn/statu…

2020-07-27 22:45:01

尾形

  • 陸士14期生で陸幼組でストレートに卒業しているのであれば勇作さんの生年は陸幼の募集要項より「明治13年10月~明治16年10月生まれ」
  • 勇作さんは作中屈指の「優秀」描写のため明治16年生まれ(杉元らと同い年)か+1年ぐらいと考えるのが自然?

「本妻との間に男児が生まれると父上は母の元にぱったりこなくなったと祖母から聞きました」
「祖母は母とまだ赤ん坊の俺を茨城の実家に連れ戻したそうです」

勇作さんと尾形はあまり年齢が離れていない描写

この辺から尾形は杉元+1~2歳ぐらい=明治14~15年生まれ(明治34年または明治35年12月入営)ぐらいが妥当?

鯉登少尉の項目より鯉登少尉誘拐事件は明治35年
この時既に尾形が軍衣袴を着て月島軍曹・菊田特務曹長と共に居る
可能性が高いのは明治34年入営(日露開戦時に三年兵)/杉元+2歳/本編では26歳前後)

のく @noc_turn

茨城の尾形が第七師団に入るには ・第一師管(関東)での徴兵後に陸軍省の配賦に従って第七師団へ補充(当時第七師団の新兵の約5割は第一師管から) ・自分から北海道で第七師団へ志願兵として入営 の2パターンだけどもし鶴見中尉が絡んでたとして陸軍省の配分には絡めないだろうから後者だろうなあ

2018-07-15 17:35:59
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まとめたひと
のく @noc_turn

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