お互いに映し合って不定形だったはずの「みんな」がそれぞれに固まって映すことを止めている。
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

抜粋①) 『道徳教室~いい人じゃなきゃダメですか』高橋秀実著、ポプラ社、2022.3.14. p.314 あとがき「みんな」の解明  道徳とは何か? その元となるのはやはり「みんな」ではないかと思います。「みんな」という日本語。集合名詞のようで物事を斉一化する副詞としても使われる不思議な言葉。 pic.twitter.com/AGXxpnVnBw

2022-05-03 19:19:31
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私たちは「みんな」に導かれています。実は「みんな」は自分の中におり、その「みんな」が周囲の人々に合わせるとなると主体的ともいえます。周囲の人々の中にもそれぞれ「みんな」がいるわけで、「みんな」と「みんな」を折り合わせることで私たちは生きているのです。

2022-05-03 19:19:32
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「みんな」は構造的に説明すると、「間主観」や「帝網(たいもう)」に似ており、おそらく昔からみんなそうだったのでしょう。  この「みんな」が世を動かしていると考えていましたが、その後、ネットやSNSが浸透することで、「みんな」の様子が変わってきたように思えます。

2022-05-03 19:19:33
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多くの人々の意見やコメントが実体化することで多様性が現れるかと期待したのですが、むしろ🖍「みんな」が凝固しているように見える。お互いに映し合って不定形だったはずの「みんな」がそれぞれに固まって映すことを止めている。

2022-05-03 19:19:33
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自分を正当化するための「みんな」は道徳になり、しまいには正義となって敵に襲いかかります。このままではお互いに問答無用の不毛な争いになってしまうので、道徳の原点である「みんな」に立ち返ってみたらどうかと私は思います。闘うための「みんな」ではなく、和合するための「みんな」。

2022-05-03 19:19:34
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そもそも「みんな」は論理的な用語ではなく、どちらかというと「気持ち」です。 p.7 1限目 50年ぶりの教科書  教科書(『しょうがく どうとく いきる ちから 1』日本文教出版)は、まずこんなことが書かれていた。 がっこうが たのしみだ たのしい がっこう がっこうって たのしそうだね

2022-05-03 19:22:19
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どうやら学校を「楽しい」と思うことが道徳の第一歩のようなのである。  楽しいわけないだろう。私などはついそう思ってしまう。大体、楽しいか楽しくないかなどということは憲法で保障された内面の自由ではないか。

2022-05-03 19:22:38
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よりよく いきる ために たいせつな ことに ついて、 みんなで かんがえるよ よりよく生きるために、大切なことを考える。 定年後か? この「よりよく生きる」とは『学習指導要領』にも記されているフレーズなのだが、日本語としてどこか奇妙だ。「よく生きる」とは具体的に何を「よく」やるのか

2022-05-03 19:23:05
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今ひとつピンとこない。  同じ「よい」でも、おめでたい「吉い」もあれば、お好みの「好い」もある。すっきりした美しい様子を表す「佳い」もあれば、適当という意味の「宜い」もある。「良い」とは「けがれがない」ことを意味するそうだし、「善い」のほうはもともと「裁判用語」だ。

2022-05-03 19:28:29
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実に多種多様な「よい」があり、「好い」や「宜い」などは、ある意味、自分勝手なわけで「良い」や「善い」とは相反する。美しい「佳い」は時として罪を招くし、けがれがない(良い)からといって無罪(善い)とは限らない。「よい」はお互いに複雑怪奇な矛盾を孕んでおり、「よく生きる」はむしろ

2022-05-03 19:33:28
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「よく生きているなあ」などと呆れる時に使うほうが正しいような気がする。 きそくただしい せいかつ ありがとうの きもち まわりの ひとに しんせつに かぞくの やくに たつ すききらい しないで みんなの ために はたらく ともだちと なかよくし、 たすけあう

2022-05-03 19:36:28
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「節度」「節制」「感謝」「親切」「家族愛」などといった徳目で、そのまま実践すればよさそうなのだが、それらを「みんなで かんがえる」のが道徳らしい。道徳は「考え、議論する道徳」(文部科学省)なのだそうだ。  みんなと話し合う、みんなと考える、というならわかるが、みんなで考える、とは

2022-05-03 19:39:58
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どう考えるのだろうか。「みんなで」の「で」が「によって」を意味するのであれば、「みんなで考える」とはみんなによって考えられるということで、それなら自分で考えなくてもよいということになりはしまいか。  どの教科書も、考えるにしても結末は決まって「むねの中が すうっとしました」

2022-05-03 19:44:24
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という具合で、徳目を実践すれば報われるという訓話になっている。あらかじめタイトルに「しんせつは いい きもち」などと結論が明示されており、そこから何を考えるのかまったく見当がつかない。議論となると、徳目の徳性について話し合うのだろうか。

2022-05-03 19:47:04