カルタゴの最期。絶望の第三次ポエニ戦争において圧倒的に不利な中、カルタゴが概ね三年抵抗できたのは無論、カルタゴ市民の団結と抵抗があったからだが、加えて幾度もローマ海軍の包囲網を突破して、カルタゴ市に突入し、物資や食料を供給した武装商人や冒険商人らの存在にも注目すべきだろう。
2016-12-11 21:52:55しかし、第三次ポエニ戦争におけるローマの重厚な包囲網を何度も突破しては脱出した武装商人や冒険商人って何なのか #さらっと語られてるので詳細が分からないが端的に言って異常 #よっぽど船の性能が良くて腕の良い乗組員だったのだろう 敢てカルタゴ側について儲けようとするくらいだから
2016-12-11 22:00:28勿論、カルタゴ市以外のカルタゴ本土、いわゆるゼウギタナの各傘下都市の協力と抵抗もあったが。過去の対ギリシャ諸都市や対ローマ、リビア戦争(内戦)では寝返ることも多かったゼウギタナ諸都市がなぜか第三次ポエニ戦争では割と一貫してカルタゴに忠誠を保って抵抗したのも不思議と言えば不思議だ。
2016-12-11 22:05:22ただ一度だけカルタゴは第三次ポエニ戦争を切り抜けられるタイミングがあったのが悲しい。第三次ポエニ戦争のきっかけとなったヌミディア王国のマシニッサ王が亡くなった後。
2016-12-11 22:15:02ヌミディアはローマに忠誠と同盟を誓い、第三次ポエニ戦争に参加しているがマシニッサの息子三人の内二人は対カルタゴ戦に消極的であった。彼らはカルタゴを滅ぼした後、その地を先住民であるヌミディア人やリビア人に返還せずに自身が牛耳る気満々のローマに不信感がありその臣下からも不満がでていた
2016-12-11 22:17:45そもそもヌミディアのマシニッサが第二次ポエニ戦争後から積極的にカルタゴ本土を襲い、カルタゴとの紛争を繰り返し、調停にきたローマに対カルタゴキャンペーンを行っていたのは「元々余所者であるカルタゴから我らのものであった豊かな土地を取り戻す」という大義名分があったからだ。
2016-12-11 22:21:42第三次ポエニ戦争が始まり、ようやく念願叶うと思っていた矢先にカルタゴ市の完全破壊とその後の統治を発表したローマ元老院に戦争のきっかけであったマシニッサ自身が失望していたのは有名な話である。
2016-12-11 22:24:36話が脱線しました。そんなローマへの不信と不満がヌミディア王国軍に漂っていた中、ローマの肝心の攻勢はゼウギタナ諸都市の抵抗で撃退されてしまい、その年にヌミディア王国軍の将軍にして族長の一人ビテュアという男が西方最強の名高いヌミディア騎兵を八千も率いてカルタゴに寝返っている。
2016-12-11 22:29:42消耗しつつも傘下都市の戦果とビテュアの寝返りに勇気づけられたカルタゴは各地に使者を送り、旧植民都市やリビア諸都市には団結を呼びかけ、マケドニアには第二次ポエニ戦争のハンニバルのように対ローマ同盟を持ち掛けている。
2016-12-11 22:33:22紀元前148年、戦争が始まって一~二年目。誰もがサクッと終わると考え、カルタゴを哀れんでいた第三次ポエニ戦争において圧倒的に有利であったはずのローマの攻勢はカルタゴの壮絶な抵抗と先述した経緯によりこの年、完全に頓挫し、一度停滞しているのです。
2016-12-11 22:39:46カルタゴが使者を送ったマウリ人や旧同盟部族や諸都市がこの時に参戦や積極的な協力をしてくれたら、ヌミディアが更なるアクションを起こしてくれていれば、さて、どうなっていたか。IFである。
2016-12-11 22:41:29しかし、このIFへの希望も翌年からは叩き潰されていく。翌年の選挙において超法規的処置によりローマ元老院異例の若さで執政官に就任したプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス。通称、小スキピオがローマの司令官となったからである。
2016-12-11 22:49:41小スキピオはそれまでのローマの執政官司令官よりもずっと有能だった。予想外の抵抗と長期戦に規律が緩みがちであった軍団を引き締め、カルタゴに同調しそうな勢力に釘を刺し、着実に包囲を続け、カルタゴを追い詰めていった。
2016-12-11 22:55:45しかし、それでもカルタゴは抵抗し続けた。密かに市内の家々を解体し、木材を調達して軍船を作り、かつての栄光を再現するがごとくカルタゴ艦隊を再建して出撃し、ローマ海軍に打撃を与えたことをはじめローマを苦しめた。
2016-12-11 22:57:57冒険商人らも諦めた紀元前146年、要塞化された市内と通りを突破し、家を一軒一軒占領し、飢えで消耗しつくしているにも関わらず抵抗する兵士と市民をしらみつぶしに狩りだしていく壮絶な市街戦を経て、カルタゴの聖域にして最後の砦ビュルサ城砦の攻防で全てが終わり、都市が灰と瓦礫になるまで。
2016-12-11 23:03:37紀元前147年夏~冬にかけては抵抗し続けていたゼウギタナ諸都市も他のアフリカのカルタゴ側の勢力も全てローマにあっという間に引き潰されていて、カルタゴへの支援も途絶えてしまった。武装商人や冒険商人らもこの時期から見切りをつけていたようですね。
2016-12-11 23:10:09@daizen_y ここらへんは推測しかできない点が多くて難しいですね。例えばこの時期のゼウギタナ、つまりカルタゴ本土は文字通りの「カルタゴ最期の繁栄」で第二次ポエニ戦争の痛手からとっくに立ち直り、好景気に沸いていたことが諸都市の忠誠と支援を厚くしていたのではないかと言われてます
2016-12-11 23:14:35ところで第三次ポエニ戦争、よく変換が大惨事ポエニ戦争となるの辛い #概ね間違ってないのも辛い
2016-12-11 23:27:07