
2021・R3年5月末に門司港(福岡県北九州市門司区)の街を散策した際、関門国道トンネル門司側坑口付近の斜面で鉄筋コンクリート造の遺構を見つけた。門司ロープウェイ山麓駅(ステーションビル)の遺構である。 pic.twitter.com/jBZQfxljKd
2021-07-09 22:56:50

九州と本州を隔てる関門海峡には3本の海底トンネルが通っている。開通順に山陽本線の関門トンネル、国道2号の関門国道トンネル、山陽新幹線の新関門トンネルだ。注:人道トンネルは国道トンネルと構造的に一体なので本数としてはカウントしない。
2021-07-09 22:57:21
関門国道トンネルは1939・S14に着工したものの、大戦末期から戦後の数年間は工事が中断し、1958・S33にようやく開通した。同年、関門海峡両岸の都市、すなわち本州側の山口県下関市と九州側の福岡県門司市(現 北九州市門司区)ではこれを記念して博覧会が開催された。
2021-07-09 22:58:03
門司側の博覧会は「世界貿易産業大博覧会 門司トンネル博」という名称で、老松公園とめかり公園が会場だった。写真はそのポスター(北九州市立いのちのたび博物館蔵)。門司ロープウェイは同博覧会に合わせて開業。関門国道トンネル門司側坑口付近と、現在は和布刈第一展望台の場所を結んでいた。 pic.twitter.com/l5E2V5YGJH
2021-07-09 23:04:00


門司トンネル博のパンフレット(北九州市立いのちのたび博物館蔵)を見ると、門司ロープウェイは老松公園(右側)とめかり公園(左側)の2会場を結ぶ移動ルートを兼ねていたことが分かる。また、会期中はめかり公園と門司港の間を連絡船も運航していたようだ。 pic.twitter.com/omb7LqA224
2021-07-09 23:05:24


2会場と門司ロープウェイの位置関係を示す。ロープウェイ山頂駅からめかり公園まではそれなりに距離があるし高低差も大きいが、昔の人はこれくらいは歩いたんだな。 pic.twitter.com/4Ub2pSf21g
2021-07-09 23:08:28

門司トンネル博終了後、門司ロープウェイの経営は振るわず、開業からわずか6年後の1964・S39に廃止された。山麓駅のステーションビルは廃止後もしばらく存続したらしいが、このビルの情報は極めて少なく詳細は分からない。 pic.twitter.com/gxlAE3NTFe
2021-07-09 23:11:16


西鉄が公開しているウェブアーカイヴに件のステーションビルが写っている(写真右上)。 にしてつWebミュージアム > 関門国道トンネル開通(1958年) nishitetsu.co.jp/museum/library…
2021-07-09 23:12:29
関門国道トンネル門司側坑口の写真も載せておこう。ふぐの絵は後年に描かれたもの。下関の特産品であるふぐの口に車が進入する格好になっているのは、「下関へようこそ」という意味が込められているのだろうか。 pic.twitter.com/guGDwGbKVV
2021-07-09 23:15:19

関門国道トンネル門司側坑口の扁額。「關門隧道 昭和丗三年三月 吉田茂書」と書いてある。 pic.twitter.com/OGXEW1P4Qk
2021-07-09 23:16:24

「よく読めたな!」と感心されそうだが、正直に言うとこちらのツイートで分かった次第。まあ、関門国道トンネルの扁額なので「関門隧道」だろうと見当は付いたが、場所を知らずに文字だけ見ても達筆すぎてとても読めないw twitter.com/han_handwritin…
2021-07-09 23:19:48
関門国道トンネルの扁額「關門隧道」 (同トンネルは国道2号の海底トンネルで、昭和33年3月9日に完成した。1枚目は下関側のもので、岸信介が揮毫。2枚目は門司側のもので、吉田茂が揮毫) pic.twitter.com/NMG4QPLKjT
2015-11-06 21:30:04
下関側の扁額(私は未見)を岸信介が揮毫したのは彼が山口県出身だからと思われる。それで吉田茂が門司側というわけ。それにしても対照的な書だね。吉田の書は彼の剛胆な性格が表れているような気がする。
2021-07-09 23:22:16