
『薫集類抄』によると、公任と娍子の梅花の香の合わせ方が同法、という記事を見つけた。 その前に『薫集類抄』ってなんだろうと、ググったら綺陽装束研究所のコーナーに掲載されていた。 kariginu.jp/kikata/takimon… →
2020-05-20 20:30:58
→よくわからないので流し読み。そしたら、小一条院も娍子と似たような調合をしていたので、つい、にやっとしてしまったのでした。さらに娍子の侍女も長けていたようで。 栄花物語で、三条天皇のために薫物を合わせていたシーンも、得意な女房を集めて華やかだったんだろうな。→
2020-05-20 20:30:59
彰子がを女房たちに薫物を配るシーンも好き。みんな嬉しそう。 出仕して、おそろな香になったら、にっこりしあうの。
2020-05-21 10:42:34
そう言えば、枕草子で、雨の日に斉信が寄りかかっていた御簾に残り香が…って、あれ、いろいろ大変ですな。 (湿気で香りが逃げにくそうだし)
2020-05-21 10:32:51読んでみた

朝元の娘や通任の子まで出てきた。小一条流は薫物も得意だったのかな? (作り方とかは、読んでもよくわからない)
2020-05-27 19:39:00ちなみにこの朝元の娘は脩子内親王の女房で、おそらく父が陸奥の国司を務めたことから「陸奥」と呼ばれていた。朝元が陸奥国司に赴任したのは、長元2年(1029年)であるから、内親王に仕えたのは、それ以降になろう。
陸奥の母は藤原通経の娘である。
また、兄に肥前守藤原定成がいる。

朝元女、脩子内親王に仕えたあと、大宰府辺りに住んでたってことだろうか? 隆家や定任とも繋がりがあったら、おもしろそう。
2020-05-27 23:00:34一条天皇と藤原定子の娘である脩子内親王は永承4年(1049年)まで生きている。
そして、その叔父藤原隆家が二度目の大宰府権帥を務めたのが、長暦元年(1037年)(または長暦3年)から、長久3年(1042年)
また、祖父藤原実方の従弟藤原為任の子、藤原定任が肥後守を務めていたのも、隆家が大宰府権帥を務めていた頃であろう。
脩子内親王が亡くなった後ならば、会うことはなかったであろうが。
この山田尼の父は因幡権守藤原宗貞の娘。
『群書類従遊戯部第19巻』には名香「侍従」を創製したと書かれているらしい。

ひょっとして、小一条流の薫物が伝わっている? (まさか出し惜しみはしないよね) pic.twitter.com/87DDceJrCQ
2021-12-17 01:43:36