1955(昭和30) 自民党結党~1956 (昭和31)予算大綱~1957(昭和32) 食糧管理制度~1959 (昭和34) 農林漁業基本政策調査会~ 1961 (昭和36) 農業基本法~池田隼人首相の演説~ 1986 (昭和43) 総合農政調査会~ 1970 (昭和45) 晦日の銭湯 ~1971(昭和46) 農林族~1972(昭和47) 宮脇朝雄全中会長~ 1973(昭和48) 桧垣徳太郎~1974 (昭和49) 安倍晋太郎と中川一郎~1975 (昭和50) 湊哲郎~1976 (昭和51) 二重米価~1977 (昭和52) 3ちゃん艦隊と青嵐
0
遠田大亮 @DaisukeEnta

この年、グレープフルーツが輸入自由化された。米国の強い圧力があったからだが米国はさらに牛肉・オレンジ等、高い次元の市場開放を我国に要求してきた。しかしながらオレンジの輸入自由化は西日本を中心に温州みかん農家に大打撃を与える事は免れず、〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/0BLzd92usx

2022-06-09 07:25:01
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

〜牛肉となると鹿児島や宮崎の黒毛和牛の繁殖農家に加えて北海道から鹿児島までの肥育農家、さらに酪農家に対して深刻な影響を及ぼすのは必死だった。牛肉の供給量の3分の2がホルスタインの乳牛(乳雄、老廃牛)から生産されているからである。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/Mf34O1002r

2022-06-10 07:16:16
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

〜さらにコンニャクでは群馬、雑豆となると北海道と枚挙にいとまがない位、地盤(地域産業)と関わり合っている。それだけに農産物の自由化問題は、農家及び地域農業に深く関わる問題だった。農林族はその大部分が地方に選挙区を持っており、それ故、農産物の自由化に反対していた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/KDwAtM24EQ

2022-06-11 07:34:43
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

佐賀県が選挙区の党幹事長の保利茂が“農産物の自由化に反対だ”と記者会見した。保利は佐藤首相の派閥に属しており本来は大番頭として振る舞わなければならない立場だった。そこまでして筋を通した背景には佐賀県民が県知事以下オレンジ輸入自由化に猛然と反対していた事情があった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/L4kIfaGJ6m

2022-06-12 08:50:23
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

牛肉では鹿児島の山内貞則、その弟分の宮崎の江藤隆美、酪農や雑豆では北海道の中川一郎、コンニャクでは群馬の福田赳夫や中曽根康弘等いずれも党の実力者が関わっていた。後に総理総裁となる福田は“誰よりも誰よりも農民を愛する”と明言を吐いて農民に裏切らないことを誓った。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/C4jRyfxO4h

2022-06-13 06:38:26
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

福田と共存する中曽根もついにコンニャクの自由化に手が出せずに終わった。中曽根はこの年、党の総務会長だったが保利幹事長と共に自由化に反対した。また農林族の中核に育った渡辺美智雄は栃木県の選挙区であり“農業が貿易自由化の犠牲になるわけにはいかない”と党の決議を促した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/OfQxJFcSJL

2022-06-14 07:44:36
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

それ故、佐藤首相は党の幹事長や総務会長、さらに農林族の反対を押し切ってまで牛肉・オレンジ・コンニャクを自由化出来るわけがなかった。アメリカ政府の姿勢に対し農協では国会議員に自由化反対の“署名”を求めそれを選挙で支持するか否かの“踏絵”にして運動を盛り上げるのだった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/FFSZrwamkX

2022-06-15 08:41:13
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

米農政の過渡期に農協運動の総帥となった人物が全中会長の宮脇朝男。彼は香川県高篠農協出身で香川県農協中央会会長から全中会長に(1967年)就任した。何事にも一途な宮脇は時(69年)の農林大臣と米価問題でやりあって一端は辞表を提出。しかし慰留され再度全中会長に選出された。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/1Y2gsKUfYK

2022-06-16 06:37:14
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇朝男続き〜香川県人の気質が遺憾なく発揮された。後に総理になる大平正芳の気性と二重写しだった。そして宮脇朝男は米の生産調整、米価の抑制、自主流通米の導入、アメリカからの柑橘の自由化といった激動の時代に8年間も全中会長を努めきったのである。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/rS1bGpMolm

2022-06-17 06:55:28
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇会長には有名なエピソードがある。1969年の生産者米価の真最中、自民党本部の中庭には移動便所が設けられ全国から上京した農協の役職員役500名が座込みを続けていた。皆、額に鉢巻きを締めて党本部に国会議員が現れると“米価をあげてくれ頼むぞ”と激励し拳を振り上げている。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/USE74xouij

2022-06-18 07:18:12
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇朝男続き〜国会議員はこの時期、広い駐車場には茣蓙が敷かれているので車は使えず皆、道路から徒歩で党本部の玄関をくぐっていたのである。また中庭では炎天下のために昼間の水分補給はさる事ながら夜間になるとアルコールを取りながら気勢を上げる人達が大勢出てくる。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/6hY586sOqP

2022-06-19 09:11:21
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇朝男続き〜党本部の建物を見上げれば電気がこうこうと灯り米価の議論が続いている。そうして農協代表者の意気込みは増すばかりだが“米価引上げ”といった明るい展望は一向に見えて来ない。ところが党本部に出入りする国会議員は皆“米価は上げるぞ”反応がよく握手を交わしていく〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/sE3g8vAvLW

2022-06-20 07:14:59
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇朝男続き〜座込みを続けている人々は最後の望みを自民党・政府の政治折衝に託して茣蓙に座り込んで動こうとしない。しかし心中では“今年は引上げか難しいのではないか”と受け止めている。「米価据置」の4文字を聞いたらたちまちパニックになりかねない雰囲気になっているのだ〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/luR1GgnfUQ

2022-06-21 06:52:18
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇朝男続き〜ちょうどその時全中の宮脇会長が党本部の中から玄関に現れて“同志諸君、もはや我々は自民党には期待出来ない状況だ。速やかにこの場を去って郷里に戻り皆にこの現状を訴えよう。解散しかない。解散だ!”と声を振り絞って叫んだ。するとどうだろう〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/hPwWGN8VUA

2022-06-22 08:38:11
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇朝男続き〜座り込んでいた全員が一斉に“そうだ”と同調し、たちまち党本部中庭の駐車場から退散してしまったのだ。これを見ていた西村直己や丹羽兵助や農林族議員は、“さすが宮脇会長だ。我々には手の出しようがない”とその統率力・指導力をアッパレとばかり褒め讃えるのであった。〜自民党農政史 pic.twitter.com/XDwjHZXjk8

2022-06-23 06:40:25
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

宮脇会長は党本部4階の幹事長室で最後の調整を終え米価据置で生産調整補助金や自主流通米などの助成金を設ける方針で手を握っていた。しかしながら「党本部の駐車場で座込みをしている人達を退散させてから決めたい」との党幹事長の意向を受け大芝居を打つことにしたのだった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/n0ZrF627KD

2022-06-24 07:52:23
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

これが宮脇会長の武勇伝として、農林族に長く語り継がれる様になった。それだけ宮脇会長の背負った荷物は重く大きかった。その双肩には米問題に加えてオレンジ等の自由化問題、宅地並み課税問題、農協改革問題など様々な課題が乗っており農民運動の先頭に立って進んだのである。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/BGKWtObQeb

2022-06-25 07:21:20
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

桧垣徳太郎(参議院・愛媛)〜農林省出身。貧農の8人兄弟。中学にいかず専検資格から旧制松山、東大法学部に合格した秀才。大学では柔道に夢中になり「役人は頭よりも体力が大事だ」が持論。「わしが子供の頃は桧垣悪太郎と呼ばれていた」と言う腕白坊主だった。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/4ZiYn64Uw3

2022-06-26 07:13:50
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

桧垣徳太郎続き〜昭和30年代、生乳が過剰になり酪農家が大手乳業メーカーから価格引下げを強制される様になると加工向け乳価の不足払い制度を築きあげたのだ。檜垣は“制度はダムなのでダムを壊したら自分たちに襲いかかって来るぞ”と常々生乳の需給バランスの必要な事を説いた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/rcQY3RYd6t

2022-06-27 06:37:29
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

桧垣徳太郎続き〜桧垣が農林事務次官をやめて参議院選挙に出馬した際、愛媛県内の農家の多くから「農林省で事務官にもなれなかったあんたが選挙に出るの?」と訝しげに見つめられたと言う。そうした体験からか“事務次官の肩書など選挙には役に立たないものだ”とぼやくのだった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/cSKzKz3Uad

2022-06-28 07:00:02
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

桧垣徳太郎続き〜桧垣の競馬好きは有名だった。若い時には府中競馬場から霞が関まで歩いて帰った事もあったそうだ。「馬券を買う時には必ずパドックに行って馬と目を合わせる。馬がお辞儀をしながら“今日は頑張ります”と挨拶をするようになったら勝てるものだ」と話すのだった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/2Wz70iT3NR

2022-06-29 07:17:18
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

安倍晋太郎は早くから福田派のプリンスと期待が集まっていた。父(寛)岸信介(義父)佐藤栄作(叔父)両首相の名門。34歳で初当選。その安倍が昭和49年、三木内閣で農相に就任したのだ。安倍は農政通ではなかったものの同郷の周東英雄や福田赳夫から農政の奥深さを教わってきた。~自民党農政史 pic.twitter.com/wyRoyQ3BDe

2022-06-30 07:35:13
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

安倍より5年遅れで当選し1歳年下の中川一郎が「農相が良い」と奨めた。中川は安倍に「自分が助ける」と約束した。政治は“まつりごと”と言われるが農政には生産者米価や日米農産物交渉等が山積しており、まさに政治家として第1級の手腕が問われていたからだ。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/S0t3LiqCki

2022-07-01 08:12:45
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

実際、総理総裁をめざした党内の実力者が競って農相を経験した。河野一郎や福田赳夫がそれを地で行き田中角栄は幹事長時代に米価調査会長を兼務して米価と米の生産調整を手掛けた。大平正芳も政調会長と総合農政調査会を兼務した。農政をしきる事が国のリーダーに繋がったのである。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/3vEorfw6n3

2022-07-02 07:14:02
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

中川一郎は安倍晋太郎が農相になるため農林部会長になった。安倍は農相になって早速、大豆の安定輸入を確実なものとするため、安倍・バッツ協定の締結に奔走した。安倍はその岸、佐藤両首相との親族関係から米国と太いパイプを持っていたが、それを不動のものとした。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/9Kv7lzAtIs

2022-07-03 07:10:24
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

中川一郎が就任した農林部会長は総理総裁の登竜門と言われた。北海道の議員から会長になったのは最初で、それだけ北海道の農民の期待を一身に背負った。北海道は開拓の地であり、それ故、中川は酪農の振興と畑作農業、さらに道東の水田の基盤整備に全力を尽くす事を使命とした。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/5NEokzN7ks

2022-07-04 07:04:43
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

中川一郎の全てを知っている男が鈴木宗男だ。“俺の選挙の時に個人演説会で一番前に座って熱心に聴いている一人の学生がいた。行く会場行く会場の必ず最前列で聴いている。熱心な学生がいるなと思ったら鈴木宗男という青年だった。それが秘書採用に繋がった。”とよく語っていた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/kzDgCucZyA

2022-07-05 07:44:26
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

安倍晋太郎は農相のあと待望の幹事長になり日米貿易摩擦の解決や生産者米価問題に取組んだが病に倒れ亡くなった。中川一郎も総裁選に敗れその直後自ら命を断った。農政史を綴るときこの二人の事を抜きにしては前に進めない。その後安倍は次男の晋三、中川は長男の昭一に後を託す。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/xld7IQ8kyV

2022-07-06 07:10:28
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

湊徹郎〜葉たばこは本州から九州まで広範囲に作付されている畑作物であるが所管は農林省ではなく大蔵省である。塩とたばこは大蔵省の専売物資から日本専売公社(現在のJT)に移管され生産、流通、販売まで独占的に行われていた。それ故、農林省といえども手を出せずにいた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/unzTo36tzv

2022-07-07 07:22:59
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

湊徹郎続き〜葉たばこが大蔵省の管轄では農政上、支障が生じた。とりわけ米の生産調整が開始され水田からの転作作物の選択肢として、葉たばこは転作奨励金をもらえないという悩みが生産現場で生じた。そこで葉たばこ生産日本一の選挙区を抱える福島の湊が腕まくりをしたのだった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/XYjwMSraeM

2022-07-08 06:56:51
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

湊徹郎続き〜湊は東大卒で福島県副知事から政治家に転向した。中川一郎、渡辺美智雄とともに“3ちゃん艦隊”と呼ばれた。“農林省の採択基準が西日本に偏っている”とか“これからの農政は世界の裏側を見て語らなけければならない”としきりに強調し、3人の中でも特に政策通だった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/ULD0eDXuGz

2022-07-09 08:41:20
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

二重米価〜1976年(昭和51年)三木内閣で農相となった大石武一が「生産者・消費者米価の“二重米価”を廃止したい」と表明した。大石は決して農政通ではなく、事前に党に相談がなかった。そもそも二重米価とは生産者米価と消費者米価が連動していないさまを指している。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/ajMAYHMEtB

2022-07-10 09:25:58
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

二重米価の廃止は「消費者米価と同時に生産者米価を決定する」とか「消費者米価と生産者米価を連動させ同時に引き下げ(上げ)る」事を意味する。しかし生産者米価の算定方式は食管法の規定により「生産費・所得補償方式により経済その他事情を斟酌し国が試算し米審に諮問。(続く)自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/5m3upVEWOQ

2022-07-11 07:16:13
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

二重米価続き〜その答申をふまえて政府が適正にきめる」と定められている。また消費者米価についても「生産者米価をふまえて消費者の動向や消費者負担に配慮しつつ食管会計の運営を考慮して決められる」ものであった。だからどだい両米価を同時に決めるのには無理があった。(続く)自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/JIVQHdjW78

2022-07-12 07:16:28
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

二重米価続き〜大石大臣は無理を承知だったが、三木内閣が3ヶ月の短命に終わったので立消えになった。丹羽兵助総合農政調査会長は「二重米価の問題点は多いがそれが食管制度の良さである」とし、農林族幹部にそんな重要な事を何の相談もなく表明した大石大臣を突き放したのである。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/GFgseAbZzu

2022-07-13 07:03:05
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

3ちゃん艦隊とは総合農政の原動力となった、湊徹郎、中川一郎、渡辺美智雄の3代議士の事を指す。お互いにも周りからも“テッちゃん”“イッちゃん”“ミッちゃん”と呼び合っていた事から“3ちゃん艦隊と”呼ばれる事になった。年齢が近く当選も同期(1963年)。しかし個性は違っていた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/yKu2QKwoaB

2022-07-14 07:18:43
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

3ちゃん艦隊続き〜湊は温和な熟慮タイプで文章をまとめるのに精通。中川は“北海道のヒグマ”のイメージ通り勇敢で狙った獲物を逃さない様な鋭さがあった。渡辺は税理士であることから読みが深く判断が素早かった。そうゆう3人を結びつけたのは農政だけではなく中国問題だった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/EeEPoKOKHT

2022-07-15 06:50:10
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

3ちゃん艦隊が当選した当時、国内は“2つの中国”「中華人民共和国」を承認するのか「中華民国(台湾)」を引続き支持するかで割れていたが、3ちゃん艦隊はいずれも中華民国を支持していたのだ。その中華民国を支持した議員グループが「青嵐会」を結成し30人以上が血判状まで作った。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/dNdECMauDb

2022-07-16 08:45:44
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

青嵐会の結成の目的は中華民国(台湾)を守ることであり、その中枢には多くの農林族が名を連ねた。3ちゃん艦隊の他には江藤隆美、中尾栄一、佐藤隆、浜田幸一といった精鋭が名を連ねていた。3ちゃん艦隊同士でも米価ではぶつかる事もあった。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/qk0PnWomTk

2022-07-17 07:24:26
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

米の味では劣るがコスト面で有利な北海道米を奨励する中川と、消費者の嗜好を重視する渡辺の意見が対立した。そうゆう時はいつも湊が間の入って収めた。3ちゃん艦隊の一部始終を知っている“浜幸”こと浜田幸一は「湊がいなくなったらあの二人は喧嘩わかれする」と周りに呟いていた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/Ygmf9zTeuz

2022-07-18 07:38:17
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

その湊が本当に亡くなったので湊亡き後は浜幸が暫くの間、2ちゃんの調整役を果たす様になる。青嵐会のメンバーは皆「農は国の基なり」を力説していた。それ故、農政に打ち込んだ。3ちゃん艦隊の司令塔になっていたのが丹羽兵助だった。丹羽がいたからこそ3ちゃん艦隊も活躍できた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/9BKnS8G2df

2022-07-19 07:15:49
拡大
0
まとめたひと
遠田大亮 @DaisukeEnta

農業、農政、農協等“農”に関してのツィートが多いです。 (個人的には)GHQの占領政策や押し付けられた憲法を金科玉条としたままでは、日本農業はもっと衰退すると考えています。 山形県農協中央会勤務。農協監査士。明治大学法学部卒。山形県酒田市出身。 過去のツィートは、以下↓のまとめサイト(min.t)からどうぞ。