はじめに、第一章、第二章
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『十字架とリンチの木 』ジェイムズ・H.コーン著、 梶原 壽訳、 日本キリスト教団出版局、2014年04月25日 pic.twitter.com/AgFs2yv9BL

2020-05-31 18:08:48
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(p.231) 白人暴徒が一人の黒人をリンチする度に、彼らはイエスをリンチしたのである。リンチの木はアメリカにおける十字架である。 pic.twitter.com/Xpz9RoDKCW

2020-05-31 18:11:29
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はじめに(p.22) その最盛期においては、黒人アメリカ人に対するリンチは秘められた行為ではなかった。それはしばしば前もって新聞やラジオで告知されて、2万人もの群衆を集めて行われた公的な見世物だった。

2020-05-31 18:45:30
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(p.23) 十字架はキリスト者が首から下げる無害な、当たり障りのない装飾品に変えられてきた。われわれに「弟子であることの代価」を思い起こさせることよりも、それは「安価な恵み」の一形態、つまりキリストのメッセージと使命活動の力に対決させることをしない、救いへの安易な道になってしまった。

2020-05-31 18:52:48
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我々がキリストを、リンチの木にぶら下がっている「再び十字架につけられた(recrucified)」黒人の死体と同一視できるまでは、アメリカにおけるキリスト者としてのアイデンティティ(Christian identity)の真の理解はあり得ないし、奴隷制と白人優越主義の野蛮な遺産から救い出されることはないであろう

2020-05-31 19:00:16
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(p.26) 私は私のキリスト者としてのアイデンティティを私の黒人性から切り離すこともできなかった。私はキリスト者である前に黒人であった。私の最初の挑戦は、黒人的であると共にキリスト教的である…同時に一つの声で成立できる…ような解放の神学を、展開することであった。 pic.twitter.com/ngyHb3Y8JA

2020-05-31 19:09:29
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それは、黒人共同体においてさえキリスト教の公的意味は白人的であったので、容易なことではなかった。 私が書くという行為を選んだのは、言葉こそが、黒人の人間性を肯定し、それを守るための抵抗の武器だったからである。

2020-05-31 19:14:21
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第一章(p.30) 十字架が逆説的な宗教的象徴である理由は、それが、希望は敗北を通してやって来る、苦難と死が最後の言葉(決定権)を持っているのではない、最後の者が最初になり最初の者が最後になるという使信によって、この世の価値観を逆転しているからである。

2020-05-31 19:34:33
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(p.31) 十字架もリンチの木も共に、人類における最悪のものを代表していると同時に、最悪のものにわれわれの最後の意味を決定させまいとする、生に対する「いやすことのできない存在論的渇仰」を代表していた。

2020-05-31 19:46:21
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(p.32) 本来的に黒人に向けられた暴徒による暴力と拷問としてのリンチは、南北戦争と奴隷制の終焉後に、1867年に議会が黒人男性に参政権と、政治問題への参与を認める市民権を容認する南部再建法を通過させてから、増加し始めた。

2020-05-31 19:59:55
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南部再建の終結と連邦軍の南部からの撤退(1877年)の後、レイフォード・ローガンが黒人史における「どん底(nadir)」と呼んだもの、ダグラス・A・ブラックモンが「別名の奴隷制」と呼んだものが始まった。南部の白人たちは、政治から黒人を排除し、放浪者であるという理由で逮捕し、

2020-05-31 20:17:22
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負債から決して抜け出せないシェアクロッパー(分益小作人)として働かざるを得ない立場に縛りつけておいて、黒人であることは何の意味ある未来もない、辱めのバッジであるような、硬直した差別社会を作り上げていった。

2020-05-31 20:20:34
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(p.35) 白人南部人は南北戦争には敗れたとはいえ、文化戦争では敗れなかった…すなわち、アメリカを白人国家と規定し、黒人を統治能力のない従属的人種であり、それゆえ政治的および社会的に対等と見なすことのできない人種であると規定する戦いには、勝ったのである。

2020-05-31 20:35:18
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(p.37) 大統領たちさえも、公的にリンチに反対することはしなかったし、ある者はそれを支持さえした。セオドア・ルーズベルトが言ったように、「リンチの現存する最大の原因は、特に黒人男性による、恐るべきレイプ犯罪が行われていることである。それはあらゆる犯罪の範疇の中で最も忌まわしく、

2020-05-31 20:40:34
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殺人よりも悪いものである」。ところが、黒人男性が彼らの娘や姉妹、妻や母、およびその他の女性たちを、白人男性たちからの好ましからざる口説きから守ろうとする権利を主張すると、リンチ判事の全重量がのしかかってくることになった。

2020-05-31 20:43:47
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(p.38) 1890年代までに、リンチ熱は南部を覆い、コレラのように広まった。白人共同体は黒人たちを第一の標的にし、拷問に焦点を当てた。黒人犠牲者をゆっくりと何時間もかけて焼くことが、主要な拷問の方法であった。リンチは白人メディアの見世物となり、有力紙が、予定されている黒人犠牲者たちの

2020-05-31 22:13:37
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絞殺と焼却の場所と日時を公衆に告知していた。そしてしばしば1万人から2万人の男性、女性、そして子どもたちが、そのイベントを見物しに来た。それは家族の行事であり、白人優越主義を祝う儀式であり、女性や子どもたちがしばしば黒人犠牲者たちを拷問する最初の機会を与えられた。

2020-05-31 22:18:56
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すなわち、黒人の肉体を焼き、生殖器や手足の指や耳を切り取って土産物にしていた。カメラに向かってポーズを取って笑っている白人リンチ加害者や見物人と一緒に撮られた黒人犠牲者の写真から、絵葉書が作られた。それは群れなす人々に十セントから二十五セントで売られ、その人々は親族や友人たちに

2020-05-31 22:25:02
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このような言葉を添えて郵送していた。「これは夕べわれわれが楽しんだバーベキューです。」見世物としてのリンチは、広く告知され、地域や州の政府の明白な許可が与えられ、連邦政府や、白人メディア、教会、そして大学等からも暗黙の承認が与えられることなくしては、起こり得ないことだった。

2020-05-31 22:29:39
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(p.41) 黒人たちは、暴力的な自己防衛は自殺に等しいことを知っていた。白人権力によって規定された世界では、黒人であることの肯定にさえ、大いなる勇気が必要だった。白人たちは余りにも長い間優越的な仕方で行動していたので、アフリカ系アメリカ人には図々しく見える、彼らの文化的および

2020-05-31 22:34:47
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霊的傲慢さを認識することは困難であった。彼らの法律は、黒人をリンチから保護するようには設計されてはいなかった。特に黒人が社会的に白人と同等であるかの如く行動した場合にはそうだった。不敬と見なされる仕方で白人に視線を向けることでさえ、黒人にリンチを招くことになった。

2020-05-31 22:39:51
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失業している黒人たちが、その身元を保証してくれる白人のいないある地域を通過するだけで、彼らは容易に刑務所の鎖に繋がれるか、リンチの木から吊るされる結果を招いた。南部にも北部にも多くの「日没の町(sundown towns)」があった。ある所には、「黒んぼ、お前の頭上に太陽を沈ませるなよ」という

2020-05-31 22:44:15
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警告文が掲げてあり、またある所には警告文がなくても、そこをたまたま通過した黒人にとって命取りになることがあった。 いったい、南部の田舎の黒人たちは、この時代の恐怖をどのようにして生き延びたのであろうか。自己防衛と抗議は論外であった。だが他の形の抵抗があった。

2020-05-31 22:48:13
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大部分の黒人にとって、主たる抵抗の武器を提供したのは、ブルースと宗教であった。金曜日と土曜日の夜のジュークボックスが設置された酒場で、日曜日の朝と週日の夕べの教会で、黒人たちは人間性を肯定し、非人間化と対決した。黒人宗教とブルースの両方が、人生には人が白人の世界で毎日出会う事柄

2020-05-31 22:56:53
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以上のものがあるという、希望の源泉を提供していた。ジェイムズ・ボールドウィンはこの希望を「皮肉に満ちた粘り強さ(ironic tenacity)」と呼んでいる。「私にはブルースがある。泣けないほど情けないのだ。」 (p.44) 「厳しい時」は現実的で具体的だった。それは彼らの人間性を認めていない社会の

2020-05-31 23:02:53
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中で、尊厳を持って生き残っていく毎日の闘いだった。悲しみと喜び、絶望と希望の弁証法は、黒人経験においては中心的なものであった。絶望は現実的だった。だがそれは究極的なものではなく、最後の言葉ではなかった。ブルースを歌うということは、普通の労働階級や貧しい黒人にとっては、大声で、

2020-05-31 23:07:40
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かつ元気一杯に彼らの汗まみれの体を「下等な汚いブルース」に身をよじらせて近づけつつ、自分が価値ある人間であること(somebodiness)を主張することだった。アフリカ系アメリカ人たちは、「悪しき状況の中から最善のものを作り出す」ということ、「一種の死刑判決の下で」生きること、

2020-05-31 23:12:40
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「その時がいつかが分からないままに、決して来ないのかもしれないが、いつでも来るかもしれない」と思いつつ生きることが、何を意味するのかを知っていた。 (p.48) ジュークボックスでは、黒人たちは「御主人様(The Man)」(白人男性の軽蔑語)に対して、面と向かっては言えないことも言い返せた。

2020-05-31 23:19:24
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私はボー・ディッドリーが、「私は一人の男 [ 人間 ] なのだ(I'm A Man)」と、強調するためその綴りを「M-A-N」と一文字ずつ発音しながら宣言する声を、決して忘れないであろう。それは隠れた形では、白人社会における彼の男性性と人間性の否定に対する言い返しであった。

2020-05-31 23:25:22
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(p.50) アルバート・マレイが述べているように、ブルースは「最も見通しのきかない状況に対決し、勝ち目がないにもかかわらず、どんなものでも最善に利用しようとする性向」以外の何ものでもない。ブルースは、極度の苦難、特に常在するリンチによる死の脅威の只中における喜びの実存的主張であった。 pic.twitter.com/k9jR30m5X5

2020-05-31 23:45:05
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B・B・キングはいう。「その体制の下で余りにも長く生きていると、そのことが公然とわれわれを悩ますことはないが、精神的には心の奥の方でわれわれを悩ますことになる。  そんなところへブルースが入ってくるのだ。それは本当にブルージーになるよ。われわれは心の深い所で傷ついているのだから。」 pic.twitter.com/6ApqWDQ6Cr

2020-05-31 23:51:29
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(p.52) どこへ「逃げたら」、「私の足跡を追う警察犬の騒ぐ音」から自由な安全な場所を見つけられるのか分からない生活を、アフリカ系アメリカ人たちは歌った。  彼らは「厳しい生活」にまともに直面していき、逆境の只中で沈黙することを拒否した。twitter.com/EthanMarema/st…

2020-06-01 00:01:25
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(p.57) 黒人たちは、「最も深いレベルで…十字架につけられることがどんなことかを、知るようになった。そしてさらに、この世には十字架につけられるに値することがあるものだということが、分かってきた。」ちょうどイエスが苦難を受けるべき者ではなかったように、彼らも苦難を受けるべき者ではない

2020-06-01 00:07:35
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ことを、知っていた。とはいえ信仰こそは、白人たちが支配したり、取り去ったりできないものだった。「イエスよ、この身を十字架に近づけたまえ」("Jesus Keep Me near the Cross")、「イエス一人に十字架を負わせるべきか」("Must Jesus Bear the Cross Alone")

2020-06-01 00:15:00
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[p.58] 一文無しで、土地もなく、仕事もない、その上社会の中に政治的および社会的力も持たないで、いったい黒人たちは文化的および宗教的力を用いて、神よ、自由のための自分たちの闘いを助けたまえ、と祈る他に、何ができたであろうか。黒人たちが「神に向かって手をのばした」のは、彼らには他に

2020-06-01 00:19:46
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目を向けるべき場所がなかったからである。 (p.63) しかしながら黒人たちは、奴隷制と人種隔離とリンチが彼らの信仰に対して提示している深刻な矛盾を経験することなしに、十字架を受け入れたわけではなかった。そのことが、大部分の黒人たちが奴隷制の時代に白人教会を去って、自分たち自身の

2020-06-01 00:25:06
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礼拝場所を形成した理由であった。J・W・C・ペニングトン牧師は1845年に叫んでいる。「もし神の言葉が奴隷制を認めているとすれば、私は別の本が欲しい。別の悔い改め、別の信仰、そして別の希望が欲しい。」 (p.65) 20世紀全体を通して、アフリカ系アメリカ人たちは、神の正義と愛に対する信仰と、

2020-06-01 00:32:00
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持続する黒人の苦難を和解させようと、ずっと闘い続けてきた。ブルースは白人優越主義に対する文化的反抗の個人的表現、それに規定されることへの頑固な拒否であった。しかし人々を、街路における抗議に駆り出して、人種的抑圧の社会構造を変えるように求めさせたのは、イエスの十字架であった。

2020-06-01 00:36:15
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第二章「十字架の恐るべき美」とリンチの木の悲劇 ~ラインホールド・ニーバーについての考察 (p.69) 十字架もリンチの木も、目的は、従属させている共同体の中に恐怖心を呼び起こすことであった。人々に、もし彼らが自分の場をわきまえていなければ、同じことが起こることを知らしめることであった

2020-06-01 09:42:39
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(p.70) この処刑行為の要点は、違反者の死そのものではなく、それを見つめていた者たちの注意を喚起することであった。十字架刑はまず第一には、観衆に向けられたものである。 (p.71) 神学者の間では、ニーバーはめずらしく世俗的な政治世界において、広い影響力を持っている。

2020-06-01 09:48:10
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彼の「キリスト教現実主義」は、多くの教会外の知識人や政治家たちから高い評価を得た。その中にはアーサー・シュレジンガー二世、ヒューバート・ハンフリー、そしてジミー・カーターがいる。そして現在でも、バラク・オバマ大統領はニーバーを、最も好きな哲学者の一人と呼んでいる。

2020-06-01 09:53:01
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彼は『光の子と闇の子』の中で、「人間の正義を求めようとする力が民主主義を可能にしているが、人間の不正義への傾向が民主主義を必要としているのである」と述べている。 (p.77) ニーバーは現実主義(「経験の事実」)と十字架(悲劇)に注目していたのだから、当然リンチの木に注目するべきであった。

2020-06-01 09:58:15
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だが彼はそこには目を向けなかった。ニーバーは人種の問題については複雑な…誠実であると同時にどっちつかずのラディカルであると同時に穏健な…見方をしている。  マルコムと違って、ニーバーは、建国の祖父たちは奴隷所有者であったにもかかわらず、「有徳で尊敬すべき人々であり、

2020-06-01 10:03:07
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もちろん悪漢ではなかった」とも言っている。彼はまた、1896年の連邦最高裁判決の「分離はしても平等(separate but equal)」という原理…これは南部におけるジム・クロウ的人種隔離制度を合法化した…は、「あの時代としては非常に良い原理であった」とさえ言っている。

2020-06-01 10:07:18
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(p.80) ニーバーは黒人犠牲者たちよりも、南部の白人穏健派の方に同一化していたので、十歳には黒人たちの苦難を自分自身のものとしては感じてはいなかった。キングが彼に、南部の学校統合の問題に巻き込まれた黒人児童たちを保護するようアイゼンハワー大統領に訴える請願書への署名を頼んだ時、

2020-06-01 10:17:04
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ニーバーは断っている。いったいニーバーの人種問題における視点の原因は何であろうか。アッティカス・フィンチの言葉を用いれば、彼が黒人たちの靴を履いて「それで歩き回ってみる」ことをしなかったことに起因している。黒人の靴を履いてアフリカ系アメリカ人の目を通して世界を見るためには、 pic.twitter.com/xNfT8HQJeO

2020-06-01 10:22:25
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相当な努力が必要である。 (p.82) ニーバーは黒人の苦難を「見る目」は持っていた。だがそれを自分自身の苦難に対するほどに「感じる心」には、欠けていたのだと私は信じている。人種問題が彼の中心的な神学的ないし政治的関心事の一つになったことは、一度もなかった。

2020-06-01 10:26:52
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(p.83) ニーバーは彼の著作には一人の黒人知識人も引用していない。彼は、いかなる人種的偏見にも断固反対していたにもかかわらず、黒人に対する正義の問題にはただ周辺的に関わっただけであった。 (p.84) ニーバーは、人々を人種を根拠として入会を拒否することが教会のキリスト教性の否定である

2020-06-01 10:36:01
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ことを知っていた。だが彼はまた、白人諸教会が自分たちが真に軽蔑している少数者集団の黒人たちを受け入れる準備ができていないことをも知っており、そのことを理由に白人教会のキリスト教性を否定する用意はできていなかった。 (p.89) 黒人共同体で過ごしたディートリッヒ・ボンヘッファーと違って

2020-06-01 10:41:50
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ニーバーはシモンと十字架についての彼の説教において、黒人経験という川に入り込む機会を失ってしまった。 黒人たちはシモンが自発的にイエスの十字架を担ったのだと考えたがっていたが、そうではなかった。それはニーバーが述べているように、不本意な十字架であった。マルコ福音書は、「彼らは」

2020-06-01 10:47:56