佐賀県公文書館(佐賀市)で開催された「“さが” のための公共建築 ─未来を描いた建築家たち─」(会期 2020/9/26 〜 2021/1/11)について。その2。
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タケ @take_all_a

佐賀県公文書館の企画展「“さが” のための公共建築」(2021/1/11まで)で取り上げられた建築のうち、前回は佐賀城エリアにあるものを述べた。今回はそれ以外の建築を紹介する。まずは佐賀城エリア近くの大隈重信記念館(今井兼次、1966・S41)。 pic.twitter.com/C1wmVJcTCX

2021-01-08 23:41:16
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明治維新の重要人物である大隈重信は佐賀藩出身で、佐賀市内に生家が現存する。記念館はその隣に建てられた。大隈は早稲田大学の創設者でもあり、同大建築学科の教授だった今井兼次が設計を担当した。 pic.twitter.com/KagEBUDxJe

2021-01-08 23:42:31
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大隈重信記念館のパース。同館のデザインはゲーテアヌム(ルドルフ シュタイナー、スイス)の影響を受けて曲線を多用した不定型な形をしている。このパースの作者は不明だが、線のタッチから描写に苦労したことがうかがえる。右の日本家屋は大隈の生家。 pic.twitter.com/QtyUp6dZkW

2021-01-08 23:45:39
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佐賀県における内田祥哉(よしちか)氏と高橋てい一氏の協働設計は、有名な佐賀県立図書館(1962・S37)や佐賀県立博物館(1970・S45)の他にもう1件、佐賀県立青年の家(1967・S42)がある。この建築も現存する。私は未見。Googleマップ goo.gl/maps/FFfTxwo71… pic.twitter.com/BAdWz1R3Yu

2021-01-08 23:51:26
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佐賀県立青年の家は「ユースピアさが」に名称変更して運営を続けたものの、2011・H23に閉鎖され、2014・H26からは手狭になった佐賀県立図書館の第3書庫に活用されている。図らずも同じ設計者の建築が同じ施設で繋がったことになるわけだ。写真は断面図。 pic.twitter.com/gB5EbtqzTV

2021-01-08 23:53:00
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高橋てい一 / 第一工房の単独の仕事としては虹ノ松原ユースホステル(1968・S43)と佐賀コロニー(1973・S48)がある。前者は閉鎖された。ウィキペディア「日本のユースホステル一覧」に建物は現存する旨が書かれているが、位置は特定できず。 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5…

2021-01-08 23:56:19
タケ @take_all_a

知的障害者入所施設 佐賀コロニーも別の場所の民間施設に役割が委譲された後、閉鎖・解体された。Googleマップには建築物がまだ載っていて3Dで見ることができる。 goo.gl/maps/qbfxHFhMM… pic.twitter.com/eSD7wnVe6K

2021-01-09 00:00:03
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閉鎖の理由は、施設の規模が大きすぎることや老朽化・バリアフリー対応の問題、そして民間の福祉施設が充実してきたこともあって、歴史的使命を終えたという判断のようだ。 pic.twitter.com/9OOi5KJYWZ

2021-01-09 00:01:17
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そして、内田祥哉氏は佐賀県有田町にてアルセッド建築研究所と協働で、県の施設として佐賀県立九州陶磁文化館(1980・S55)を、町の施設として有田町歴史民俗資料館(1978・S53)と有田焼参考館(1983・S58)を設計している。 pic.twitter.com/ZQTBqfZj3f

2021-01-09 00:06:13
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最後は村野藤吾氏。村野さんの故郷は2ヵ所ある。青少年時代に暮らした福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区・八幡西区)と、誕生から幼少期を過ごした佐賀県唐津市だ。北九州市や福岡県内には村野さんの建築が何件か建てられた一方、佐賀県は一件のみにとどまる。 pic.twitter.com/MfTq7dMtJo

2021-01-09 00:08:41
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もともと佐賀県が博物館の設計を内田・高橋両氏に依頼した際、二人は村野氏を推薦したとのエピソードが企画展のパネルに載っていた。 pic.twitter.com/nVgXavKc7H

2021-01-09 00:10:48
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村野氏が生まれ育った佐賀県東松浦郡満島村は現在の唐津市東唐津にあたる。乳母の家は貧しかったと彼は振り返っているが、唐津城下の河口に位置する満島村自体は良港として栄えたようで、寒村という土地ではない。Googleマップ goo.gl/maps/SeEfHtjAy… pic.twitter.com/gc3QUy6P59

2021-01-09 00:14:34
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結局、内田・高橋両氏による推薦は実現せず、村野氏の佐賀県唯一の実作、佐賀県職員研修所・佐賀県教育センターが竣工したのは1979・S54、彼が88歳のときだった。場所は佐賀県大和町(2005・H17に佐賀市と合併)。Googleマップ goo.gl/maps/aXbkFV7aR… pic.twitter.com/AVVI3wIrUi

2021-01-09 00:18:43
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タケ @take_all_a

同じ佐賀県といっても、佐賀市(佐賀藩)と唐津市(唐津藩)は山地を隔てて歴史や風土が異なるので、研修所は〈郷土の建築〉とは言い難いように思う。やはり唐津市で何か実現してほしかったなあ。写真は配置図と平面図。 pic.twitter.com/RIyBYSVQXH

2021-01-09 00:24:06
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佐賀県職員研修所・佐賀県教育センターは以前に外観だけ見たことがある。県の職員・教員の研修所なので一般の利用はできない。モダニズムの基本に立ち返ったようなデザイン。 pic.twitter.com/7lIeSe07FX

2021-01-09 00:30:01
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まとめたひと
タケ @take_all_a

福岡県を中心に、建築・団地・土木・産業遺産などについて、ツイッターにつぶやいたことをまとめています。個人サイトの方は放置中。