
編集者。東洋史学修士。Amazonアソシエイトプログラムに参加しています。 経営してる会社(社長は猫)→ @shigaku_sha 文筆の名義→ @kyorai_kusaka

今日は移動時間が長いので、歴史学むかし話をひとつ。大学の受験偏差値と、先生方の質(という言い方も変ですが)が必ずしも相関しないのは今も昔も同じ。特に私学だとその傾向が強い気がしますね。さて、関西に龍谷大学という西本願寺に由来する古い大学がございます。
2022-09-07 12:11:26
その淵源は17世紀前半の学寮設置に遡り……というのは措いても、歴史ある名門と言えるでしょう。そのなかでも、文学部国史学科(日本史学科)は名だたる研究者を輩出してきました。さて、今回は戦後の話をしましょう。
2022-09-07 12:14:40
長かった戦争が終わり、皇国史観の時代が終わりを告げ、教科書もガラッと変わります。大正の末年ごろに生まれた若者たちは、戦地に行く寸前で終戦を迎え、大きな価値観の転換に向き合います。戦後歴史学にマルクス主義の影響が強かったことはよく知られていますが、龍谷の国史は「実証」でした。
2022-09-07 12:18:03
もちろん、学生運動なんかは盛んにやっているわけですが、当時文学部には「龍谷の実証三羽烏」と呼ばれた先生方がいました。古代氏族研究の日野昭先生、考古学の網干善教先生、そして東洋史の大庭脩先生、いずれもすごい業績を残された先生方です。この3人実はほぼ同い年(日野先生だけひとつ上)。
2022-09-07 12:22:24
皇国史観去りしのち、マルクス主義史観を選ばず、それぞれの方法で「実証」に取り組まれていたということで、他大学からそのように呼ばれていた、ということですね。最近は少しばかり「実証」という言葉が狭く、そして軽く扱われているように僕には感じられます。
2022-09-07 12:25:37
この3人の先生方は「サクラサクラ」の教科書で学び、卑弥呼なんて習わなかった世代です。そういった世代の先学における「実証」とは、非常に重い意味を持つのではないか……と僕は思います。
2022-09-07 12:28:04
ちなみに、僕は晩年の網干先生に一度だけお会いしたことがありますが、ある現地説明会で列に並んでおられました。網干先生ならもちろん顔パスなんですが、そういうことをなさらなかった。なかなかできないことだと思います。
2022-09-07 12:32:11
(再開)さて、大庭脩先生と網干善教先生は龍谷から関大に移られます(網干先生は末永雅雄先生の後任)。大庭先生は更に移られて、最後の勤務先は皇學館大学、請われて学長としての赴任で、在任中に急逝されました。日野先生は龍谷大学に定年まで勤務し、この日本古代史の流れはいまも続いています。
2022-09-07 16:38:57
現任は樋口健太郎先生、前任が木本好信先生、さらにその前が愚父・平林章仁……となります。父は日野先生とともに横田健一先生の指導も受けました。横田先生は、いまも活動している「日本書紀研究会」を三品彰英先生から引き継いだ方ですね。
2022-09-07 16:43:22
というわけで、半日がかりになってしまいましたが、小話はこれにておしまい。なお、『日本書紀研究』は塙書房さんから刊行されています。 rr2.hanawashobo.co.jp/products?cat=4
2022-09-07 16:55:57