
今から31年前、1991(平成3)年の6月3日、長崎県の雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生して43人が犠牲になった。写真は南島原市の「道の駅 みずなし本陣ふかえ」の展望台から見た雲仙普賢岳。撮影時期は2022(令和4)年1月(以下同じ)。 pic.twitter.com/eSnmOonu9H
2022-06-03 23:52:40

1990・H2に始まった雲仙普賢岳の噴火活動の中で、火砕流は1991〜96年までおよそ9400回も観測され、ふもとの多くの家屋が焼失した。この説明パネルは大野木場監視所 / 大野木場砂防みらい館(南島原市)の展示物。 pic.twitter.com/3Rbu57gwrS
2022-06-03 23:53:29

雲仙普賢岳の溶岩ドームは崩落の危険性が今なお消えていない。そこで、砂防工事関係者の安全確保のために溶岩ドームを監視したり、重機を無人で動かす操作室、災害と復興の伝承などのために大野木場監視所は設置された。 pic.twitter.com/WSbxsPP4dO
2022-06-03 23:54:37

そして大野木場監視所の隣に保存されているのが旧大野木場小学校被災校舎だ。同校は6月3日の火砕流は免れたものの、9月15日に発生した火砕流の直撃を受けて焼けてしまった。なお、このとき既に地域一帯が警戒区域に指定されて避難済みだったため、死傷者はいなかった。 pic.twitter.com/6mBxOVKVfe
2022-06-03 23:56:24

しかし6月3日の大火砕流発生時はまだ生徒や教職員が学校にいたわけで、あのときもし火砕流が校舎に押し寄せていたら… と想像するだけでも恐ろしい。 pic.twitter.com/bC6GuEEzye
2022-06-03 23:58:56

歪んだ窓枠が生々しい。なお、このサッシは保護のため塗装されており、スチールサッシのように見えるが実際はアルミサッシだ。 pic.twitter.com/shkoXhh7mR
2022-06-04 00:10:13


運動場の遊具。鉄棒は熱で曲がったものと思うが、その点の説明は無かったので断言できない。 pic.twitter.com/azQsE6qMo2
2022-06-04 00:18:58



被災当時の校内の写真。1枚目の左上に保存工事の内容が書かれている。大野木場監視所 / 大野木場砂防みらい館の展示から。 pic.twitter.com/N3eaobHP9i
2022-06-04 00:26:27


現在の航空写真で位置関係を見ると、赤松谷川と水無川の合流地点に大野木場監視所が置かれたと分かる。対岸に例の「定点」がある。 pic.twitter.com/cx3SLCnpya
2022-06-04 00:36:03

大野木場監視所 / 大野木場砂防みらい館から見た赤松谷川と水無川の砂防堰堤。 pic.twitter.com/gIGVAjWC65
2022-06-04 00:37:30



ブレブレの写真で恥ずかしいが、当時マスコミの撮影ポイントだった通称「定点」。三角錐のモニュメントが立っている。一般人は立入禁止。 pic.twitter.com/0N0ggaB3PP
2022-06-04 00:44:41