1992(平成4) UR農業交渉~1993(平成5) UR農業交渉~米緊急輸入~野党農林族~1994 (平成6) 新食糧法~山本富雄~1995 (平成7) 住専問題~1997(平成9年) 松岡利勝~1998 (平成10) 江藤隆美
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遠田大亮 @DaisukeEnta

農相時の農業交渉、総合農政調査会長時の米改革、UR国内対策、さらに与党復帰への懸命な努力と山本の残した業績はあまりに大きい。農林族に彗星の如く現れ去って行った山本。氏の弔い合戦には長男の一太が出馬し見事に当選。父の無念を晴らすかの様に農林族で活躍を始めるのだった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/3uwPUJTvIl

2022-09-21 07:28:57
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遠田大亮 @DaisukeEnta

住専問題は根が深かったが農林族にとっては寝耳に水だった。住専金融専門会社は60年代後半から民間住宅金融を目的に設立された都市銀行の金融子会社だった。ところが昭和50年代に入って都市銀行が住宅ローン業務を拡大したこともあって住専はその運用の比重を不動産投資等に移した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/0I8wwEWgxX

2022-09-22 07:35:57
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遠田大亮 @DaisukeEnta

やがて住専はバブル経済の崩壊によって地価が下落し金利低下の大波を受けて巨額の不良債権を抱え込んだため、倒産の危機に陥った。その住専に対して農協系統の農林中金や信連、全共連も多額の融資を行っていて、貸出金は住専7社の借入金の実に4割に達していたほどである。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/KMedZCKkhC

2022-09-22 12:41:22
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遠田大亮 @DaisukeEnta

その住専を処理するにあたり、国が財政資金を投入するかどうか、農協系統には「貸し手責任」があるのかないのかを巡って政治問題化した。村山改造内閣の発足を前に農林中金の角道理事長(元農水事務次官)らは記者会見し“農協系統は公的資金を受入れられない。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/Adyawh18RT

2022-09-22 12:48:36
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遠田大亮 @DaisukeEnta

住専の設立や再建計画策定の経緯をふまえれば、住専再建には母体行が責任を最大限に果たすことが基本だ。”とする見解を発表した。その後、大蔵・農水両省で住専再建に関し「母体行が責任を持つ」との覚書を交わしていた事が判明し、俄然、農協系統の言い分が有利な状況となった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/gYqzCjpaXB

2022-09-23 07:34:27
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遠田大亮 @DaisukeEnta

村山改造内閣で農相に就任した野呂田芳成は“住専の不良債権は母体行の責任で対処するのが当然だ。農協系統への公的資金の導入は筋違いで、受入れられない”と明言した。住専問題では自社さ連立与党3党で金融・証券プロジェクトチーム(渡辺美智雄座長)を立ち上げて検討を開始した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/cCWpA1KvX4

2022-09-23 12:07:39
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遠田大亮 @DaisukeEnta

一方、農林族でも総合農政調査会にプロジェクトチーム(柳沢伯夫座長=通称・柳沢チーム)を設置し検討にあたった。その会議を通じて住専7社及び農林系の協同住宅ローンの不良債権総額が8兆4千億円にも上って、うち6兆3千億円が回収不能になっている状況が判明した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/vIbJyJ3rwO

2022-09-23 12:15:17
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遠田大亮 @DaisukeEnta

政府では問題解決へ委員会の提言をもとに武村正義蔵省が年内に解決する方針を発表した。他方、柳沢チームでは住宅処理の方針を取りまとめ“農協系統には負担する責任は全くない。母体行には十分な自己処理能力があり系統農協に負担を押し付けようとする姿勢は言語道断だ”と断言した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/gHCJUtOsI8

2022-09-23 21:37:56
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遠田大亮 @DaisukeEnta

最終段階に入って農協系統の元本保証に焦点が移った。農水省はあくまでも農協系統の元本保証を主張したが大蔵省と母体行側は「修正母体行責任」の方式を盾にとって3兆6千億円の債権放棄が限界である事を主張。それ以上の負担かあれば破産を申し立てるとまで開き直った。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/M4Z8ZFxYgT

2022-09-24 07:45:04
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遠田大亮 @DaisukeEnta

ところが銀行側が破産申告と言う法的手段に訴えれば武村蔵相の年内解決を目指すとした方針に逆行する事となり武村蔵相の責任問題が発生してくる。そこで、農水省と農協では“母体行の責任回避以外の何ものでもない”と反発を強めた。もはや住専処理問題は政治決断しか途がなくなった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/ar0JaM6fiz

2022-09-24 09:48:17
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遠田大亮 @DaisukeEnta

政府与党会議において、住専7社の損失を6兆4千億円に修正し、母体行が3兆5千億円、一般行が1兆7千億円、農協系統が5300億円(贈与)を、それぞれ負担し残る6800億円について政府が預金保険機構を通じて受皿機関に投入して埋める事で一致した。翌日、政府は臨時閣議で正式決定した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/hXl1XMYGbv

2022-09-24 19:02:54
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遠田大亮 @DaisukeEnta

これによって、農協系統の貸付金(元本)5兆5千億円全額が保証され、5300億円を贈与と言う名目で負担する事で決着をつけたのである。この住専問題が解決して、JA全中では、系統金融機関の信用事業の再編(リストラ)へ向かって大きく動き出すのであった。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/qqO65ncKFf

2022-09-24 19:07:50
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遠田大亮 @DaisukeEnta

【松岡利勝】橋本首相が財政構造改革を表明した1997年、農林族も“農政改革が不可避”を自覚していた。3兆5千億にも膨らんだ国有林野事業の累積赤字、食管法から新食糧法に変わったばかりの米政策、WTO(世界貿易機構)新ラウンドへの対応など、多くの課題に直面していたからだ。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/dTpGmaMafx

2022-09-25 07:33:03
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遠田大亮 @DaisukeEnta

そうした時、改革の風雲児の様に松岡利勝が現れた。松岡は鳥取大学林学科を卒業した林野庁OBだが衆議院議員になると細川政権のUR農業交渉に楯突いて国会中庭でハンガーストライキを実行する傍ら、ジュネーブに飛んで韓国議員とガット本部前で集会を持つなど強硬な手段を取り続けた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/3Ybxr3LiRj

2022-09-25 07:38:49
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遠田大亮 @DaisukeEnta

それが党内の議員から注目を集め「日本農業を守る特別行動議員連盟」を結成し松岡が隊長となった。米価劇では党内を2分していたアパッチ)ベトコンと言った勢力を飲み込んでしまったほどである。松岡の他には松下忠洋、長勢甚遠、荒井広幸、栗原博久、今津寛らが中核となっていた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/MgSnYBpd2M

2022-09-25 12:00:03
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遠田大亮 @DaisukeEnta

その松岡が鈴木宗男と組んだ。松岡は北海道豊富町にある営林所長を経験しているが、ちょうどそこに赴任した頃、政界の実力者の中川一郎と出会い、政治家を目指すきっかけとなったと言う。その中川の第一秘書であり議員会館の事務所を取り仕切っていたのが鈴木だった。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/QmeYIC4LLa

2022-09-25 12:09:54
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遠田大亮 @DaisukeEnta

だから松岡が中川昭一と最後まで反りが合わなかったのは無理もなかった。その松岡が農林部会長になってUR事業の見直しに本腰を入れた。UR事業はその大半が補正予算で措置されている事から年度内の消化が難しくせっかくの予算も使い残しが生じるいくつもの課題が指摘されていた。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/Y3LACo5lsg

2022-09-26 07:06:39
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遠田大亮 @DaisukeEnta

それゆえ松岡は運用を改善して使いやすくするなど努めUR予算の縮減には最後までガンとして反対を貫き通した。その次に取り組んだのが国有林野事業の改革。それは自分が林野庁出身の唯一の代議士としてのメンツもあり、省庁再編の方向いかんで林野庁解体にも繋がる重大案件だった。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/6j1bCRp9vy

2022-09-26 07:21:09
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遠田大亮 @DaisukeEnta

松岡は、この問題で鈴木とスクラムを組んだ。松岡は鈴木と二人三脚でその問題に臨み、営林署員をなんと3分の1まで減らす大改革案を林野当局と全林野(労組)に飲み込ませたのだった。それが結果的には林野庁をまるごと救う事になったのである。松岡と鈴木の作戦はまんまと成功した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/VSzvEuXFcO

2022-09-26 16:52:50
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遠田大亮 @DaisukeEnta

松岡を“改革男”として決定付けたのは省庁再編問題だった。松岡は農林水産行革検討チームを率いついに「農林水産省」名を存続させた。その間、松岡の巧みな手綱さばきには大先輩の江藤隆美はおろか大河原太一郎、玉沢徳一郎も目を見張るばかりだった。松岡はまだ当選3期生である。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/dPBCdug8Rn

2022-09-26 17:33:30
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遠田大亮 @DaisukeEnta

そうした松岡の成長を“守護神”のように支えたのが江藤だった。松岡は何事につけても江藤に相談していたので江藤も若い松岡を引き立てる事によって自分の存在感を高めた。ちょうど江藤が落選から復活し、存在感が一時低下していたのが、この頃だった。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/sBcNEUsIrG

2022-09-26 17:56:37
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遠田大亮 @DaisukeEnta

松岡はこの後、江藤を総合農政調査会の最高顧問に推挙し、江藤は松岡を部下にしつつ農政の頂点に立つ事になる。松岡は熊本県の出身だが阿蘇の山麓で野焼きをし、父親の厳しい躾の下“負けじ魂”を身につけたという。熊本済々黌高時代には空手部の蛮カラとして鳴らした強者である。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/tvAV9nOo3W

2022-09-26 18:09:17
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遠田大亮 @DaisukeEnta

だが一方ではそういう松岡の性格に嫌気をさして農林族から距離を置いたり離れたりする議員も現れた。中川昭一ばかりでなく、柳沢伯夫、石破茂、遠藤武彦等がそうと思われた。だが松岡はそのような事にはお構いなく、桜井新と組んで、がぜん、わが道を突っ走る様になる。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/L3pIWnCn0S

2022-09-26 18:14:31
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遠田大亮 @DaisukeEnta

【江藤隆美】1998年3月、江藤隆美が国会議員在職25年の永年勤続表彰を受けた。農林幹部が早速、国会近くの小料理店に集合し、ささやかに江藤のお祝いを催したのだが、その席で松岡利勝が“江藤先生に総合農政調査会の最高顧問になって頂くのがふさわしい”と推挙した。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/tbsjfxsDy5

2022-09-27 06:59:51
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遠田大亮 @DaisukeEnta

これに、谷洋一総合農政調査会長が“是非、そうしよう”と即座に返事、翌日、谷会長が池田行彦政調会長に掛け合って了解を得た。こうして江藤が農政のドンになった。ところで農政の実力者、大河原太一郎がこの年参議院を3期努め75歳になるので引退を表明していた。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/vYFZ5nn7m4

2022-09-27 07:04:34
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遠田大亮 @DaisukeEnta

だが後継者が容易に見つからなかった。一方では土地改良の岡部三郎も3期努めてやはり引退を表明していたが、こちらは後継に佐藤昭郎(元構造改善局次長)がすんなりと決まり、臨戦態勢に入っていた。あおられたのは大河原陣営だった。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/PHznnFcE9e

2022-09-27 07:21:48
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遠田大亮 @DaisukeEnta

そこで農林幹部は“大河原の後継を農水省から出すべし”で一枚岩になった。だが農水省はそれに反応しなかったため、江藤らは“三流官庁に成り下がってしまうぞ”と何度も発破をかけた。それでも“役所(農水省)の中にはおりません”と言うばかりの堤英隆官房長らには閉口した。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/kK8jxOiFl9

2022-09-27 07:26:26
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遠田大亮 @DaisukeEnta

そういう中、やっと見つかったのが日出英輔(元農蚕園芸局長)だった。日出は各局の総務課長を努めていたため知名度があり各団体から推薦を受けて見事に当選できた。江藤が農水省に発破をかけなかったら日出が議員になることはなかったであろう。日出は江亀派(志帥会)に入会した。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/3UUFjZuKxH

2022-09-27 07:32:30
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遠田大亮 @DaisukeEnta

江藤は獣医師だった。“ふる里を良くしたい”の一心で政治を志し宮崎県議となり隣県の兄貴分、山内貞則の支援で国政に進出した。江藤が幼少時の心境を本会議の壇上で得得と弁じた事がある。“小学校の頃には4キロの道を裸足で通っていました。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/g8S3zCRGwK

2022-09-27 12:49:55
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遠田大亮 @DaisukeEnta

新しい教科書を手にすることも出来ず、修学旅行にも行けなかった。それが私の物心ついた頃です。ですから、どんな山中の僻地といえども大都会だけが日本ではない。ここに朝星夕星を頂き働いている人も同じ日本人なのだから政治の光が当たって当然だ。政治とは弱いものの為にある。”自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/8Los2JqN4c

2022-09-27 12:54:09
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遠田大亮 @DaisukeEnta

と力説した。これが政治家・江藤の原点であろう(永年在職表彰の衆議院本会議3月20日)。江藤は終生「農政とは愛国心」と断言してはばからなかった。それゆえ“農業のない国は滅びる”とか“鉄の下駄を履いて探しても日本の様に農業予算が防衛費よりも多い国はない”との言葉を用いた。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/UjXDfRkzH1

2022-09-27 13:01:28
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遠田大亮 @DaisukeEnta

そういう江藤だが何故か農林水産大臣にはならなかった。国会対策委員長当時、心筋梗塞を起こして国会内で倒れたときは皆で心配した。しかし不死鳥の如く回復して復帰した。そういう江藤が子供の頃に口ずさんだと言う詩を掲げよう。農政のドン・江藤の“なにくそ人生”の唄と言える。〜自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/EPRMP17YSJ

2022-09-27 18:35:37
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遠田大亮 @DaisukeEnta

「空いっぱいに広がった 山の麓のシイの木は 根本に草も寄せ付けぬ 山の中から転げ出て 人に踏まれたカシの実が シイを見上げてこう言った 今に見ていろ僕だって 見上げるほどの大木に なって見せずにおくものか 何百年もたった後 山の麓の大木は あのシイの木かカシの実か」 自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/sHvq3sTX8H

2022-09-27 18:41:17
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遠田大亮 @DaisukeEnta

今では長男の江藤拓が後を継ぎ、しっかりと愛する郷土を守っている。自民党農政史吉田修 pic.twitter.com/ImJ41EnX7N

2022-09-27 19:18:09
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まとめたひと
遠田大亮 @DaisukeEnta

農業、農政、農協等“農”に関してのツィートが多いです。 (個人的には)GHQの占領政策や押し付けられた憲法を金科玉条としたままでは、日本農業はもっと衰退すると考えています。 山形県農協中央会勤務。農協監査士。明治大学法学部卒。山形県酒田市出身。 過去のツィートは、以下↓のまとめサイト(min.t)からどうぞ。