流動的な地理をとらえるためのキーワード。立地ではなく移動に目を向ける。
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

「地理的な見方」に関する説明として、しばしば「どこにあるか」や「なぜそこにあるか」というフレーズが持ち出される。伝えやすくするために簡潔になるのはやむを得ないにしても、この言い方には限界があるように思う。

2022-02-17 08:47:38
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

ここで示されているのは、まず特定の場所に着目し、そこに立地する理由を考えるという一連の見方だ。この場合の「場所」は「地域」や「空間」と言い換えてもよい。こうした見方を立地主義と呼んでみよう。

2022-02-17 08:50:24
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

立地主義の最大の問題点は、立地を固定的なものとして捉える点にある。環境決定論にせよ、立地論(経済決定論?)にせよ、立地ありきの立論は、その立地が変化すると成り立たなくなる。

2022-02-17 08:54:14
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

ところが、現代の「地理」を考えてみれば分かるように、モノの立地は簡単に変化し、再構成される。絶えず移動するモノを捉える上で、立地主義はあまり意味をなさない。

2022-02-17 09:09:00
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

もちろん、現代の流動性については散々指摘されている。グローバリゼーション、移民、観光などのトピックはお馴染みのものだ。問題なのは、「地理的な見方」なるものが「どこにあるか」や「なぜそこにあるか」というフレーズで語られることで、そうした移動性が見落とされる点である。

2022-02-17 09:09:00
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

どうにか簡潔性を保ったまま、こうした移動性を捉えることはできないか。「どこに“ある”か」ではなく「どこから“きた”のか」、つまり存在ではなく動きに力点を置いたフレーズはどうだろうか。私たちが食べる物にしても乗る車にしても、どこで生産されて運ばれ、私たちの下までやってくるものである。

2022-02-17 09:09:01
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

もし「地理的な見方」を一言で表さなければいけないとすれば、求められるのはそうしたモノの移動性に想像力を向けられるようなフレーズではないだろうか。その点で、「どこからきたのか」は、空間だけではなく時間にも目を向ける見方を端的に示すことができる良い言葉だと思う。

2022-02-17 09:09:01
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

朝から随分と肩に力の入ったツイートをしてしまった。何が言いたいかというとつまりこういうことです。 pic.twitter.com/4nye3ag5wz

2022-02-17 09:09:02
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まとめたひと
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

地図とまち歩きが好き。京都で地理学を学んでいます。/関心→縁日露店, 社寺境内, 近代都市, 移動論