第6章、足が動き出し、物語が始まる~十字架とリンチの木
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(抜粋➀) 『誰にも言わないと言ったけれど~黒人神学と私』 ジェイムス・H・コーン著、榎本空訳、新教出版社、2020.3.31. 第6章、足が動き出し、物語が始まる~十字架とリンチの木 pic.twitter.com/ZuUTVpr7LJ

2020-06-01 18:26:43
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(p.199) 私を捉えて離さなかったのは、ペテロの説教であり、カレンの詩*であり、ホリディの歌だった。 ( * ) 「再び十字架につけられたキリスト」カウンティー・カレン(1922) キリストの恐るべき罪とは、彼が黒い皮膚をしているということ それはどんな潔白さでも贖うことのできない罪

2020-06-01 18:34:43
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アフリカ系アメリカ人はいかにしてリンチというテロ行為を生き延び、それに抵抗しながらも、同時に正気を保って互いを愛し、結ばれ、子供たちを育て、彼らに愛と尊厳を教えることができたのか。多くの黒人が精神的かつ霊的な健全さを失うことがなかったのは、神への信仰と自らへの信頼があったからだ。

2020-06-01 18:45:47
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彼らはその健全さによって自分たちを愛することができただけでなく、憎しみをも拒むことができたのだ。ファニー・ルー・ヘイマーはいう。「ニグロが正気でいられたのは神がいたからです」。白人はよくキリスト教を利用して黒人のリンチを正当化しようとするが、黒人は同じキリスト教の中に生存と抵抗の pic.twitter.com/HzAfSEy60S

2020-06-01 18:50:06
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ための源泉を見出す。たしかに、十字架が黒人の苦しみを軽くすることはなかった。それでも、十字架のゆえに、生き延びることができた人々もいたのだ。これこそ黒人の生の深遠な逆説であり、このジレンマを解決する方法などない。それは私達が共に生きねばならない大いなる傷なのだ。

2020-06-01 18:54:28
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この世界が救われない限り、十字架はキリスト者としての条件であり続けるだろう。十字架とは解放を求めて闘う抑圧された人々への答えなのだ。それはイエスの福音の中心にとどまり続けるし、リンチの木となった十字架は、アメリカにおける黒人の生の中心にこれからも根を下ろすだろう。

2020-06-01 18:58:07
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(p.203) 人間であることを守ろうとしているすべての人々のために私は書く。アメリカ人、特にクリスチャンと神学者は、十字架にリンチの木を、リンチの木に十字架を見る事ができる目を持たねばならない。リンチの木からぶら下がる「十字架につけられた」黒人の体の内に、キリストを見ることができるか

2020-06-01 19:02:35
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それが可能になるまでは、アメリカにおけるキリスト教の意義に対して真の理解が生まれることはないし、奴隷制と白人優越主義という血にまみれた遺産から私達が自由になることは決してないのだ。 (p.204) 十字架は恐怖による支配の道具であって、ローマ帝国の権力に反抗する者に対しての警告を意図して

2020-06-01 19:06:37
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いた。同じようにリンチの木もまた、その犠牲者に課せられた残酷な刑罰のみを意味していたのではない。それはすべての黒人に対して発せられた警告であり、白人優越主義が有している力の誇示であった。白人は罪に問われることなく、いつでも好きな時に黒人を傷つけることができる。

2020-06-01 19:10:17
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リンチされたのは一人かもしれないが、そのメッセージはすべての黒人に向けられていたのだ。リンチの木の恐怖から逃れうる黒人は一人としていなかった。死の恐怖を隣にひたひたと感じながら生きるのは簡単なことではない。 (p.205) リンチの恐怖は血の一部となって、私の体内を流れている。

2020-06-01 19:14:01
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多くの黒人がそんな中で正気を保つことができた理由は、自分の姿を十字架の上に、イエスが残酷にも磔にされたあの十字架の上に、見出したからなのだ。神がイエスと共におられたのなら、私達とも神は共におられる。なぜなら私達もまた十字架の上にいるのだから。これがイエスの十字架に対する彼らの信仰

2020-06-01 19:17:47
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であり、情熱を込めて「イエスよ、私を十字架のかげに」を歌った理由なのだ。 (P.205) なぜ白人は、イエスの十字架によって自らが救われたという信仰を主張するにもかかわらず、そこから目を背け、黒人を木に吊るし殺すのだろう。驚くべき矛盾は黒人と白人、この二つの共同体が、両者ともキリスト教を

2020-06-01 19:22:16
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同じ信仰を受け入れているということである。教会の敷地でリンチを行った白人もいるほどだ。2000年に及ぶキリスト教史の過程において、十字架はネックレスへと変容した。ディートリッヒ・ボンヘッファーが言うところの「安価な恵み」へと成り下がってしまったのだ。キリストのメッセージと彼の使命の

2020-06-01 19:27:19
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力に向き合うことなく得られる救いは、安価な救いに過ぎない。 (P.208) ミシェル・アレクサンダーはリンチと同様のことが今日の産獄複合体において起こっていることを示し、それを「新しいジム・クロウ」と名付けた。人々をリンチする方法は一つではない。彼らを刑務所に放り込むことで、また狂犬でも

2020-06-01 19:31:51
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撃ち殺すかのように警察が彼らに銃を向けることで、リンチは続くのである。 (P.209) キリスト者となることは、黒人となることとどこか似ている。それは逆説であり、多くの不調和を抱えた大いなる矛盾である。黒人として育ってみるといい。人は否応なく次の問いに迫られるはずだ。 pic.twitter.com/OVdo0530Rl

2020-06-02 07:55:30
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なぜ白人は、私をあたかも人間でない存在のように扱うのか。その答えは簡単に見つかるものではない。子どもであればなおさらだろう。しかし私は、この過酷な現実を学ぶとともに、両親にこう教えられてきた。「彼らの憎しみを真似してはいけない」。twitter.com/LiT_Japan/stat…

2020-06-02 08:33:48
LiT @LiT_Japan

現在アメリカで起きている暴動に、黒人は必ずしも賛同しているわけじゃない。むしろ彼らの多くはもっと「マシな方法」を模索しようとしている。 悲劇を止めるのは暴動じゃない。 #BlackLivesMatter pic.twitter.com/ohBURhDxjn

2020-06-01 17:00:52
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なぜなら、ボールドウィンが書いたように、「憎しみは担ぐには重すぎる荷物である」から。 pic.twitter.com/FQEHALKQhC

2020-06-02 08:34:33
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赦しとは、弱さでも無抵抗の態度でもない。それは霊的な抵抗であり、憎しみへの反逆なのだ。銃を乱射した白人の若者ディラン・ルーフが望んだように自らの憎悪を他の者へと伝染させること、それを被害者家族は拒否した。「人は自分が憎んでいるものになる」とボールドウィンはいみじくも述べている。

2020-06-02 08:34:55
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「自分を憎む者を憎まないでいるためには、多大な霊的抵抗を要する」のだ。イエスは十字架の上から、その模範を示した。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです」(ルカ23・34)  このイエスの言葉によってどれだけ多くの黒人キリスト者が、彼に倣って行動するよう勇気づけ

2020-06-02 08:43:02
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られたことか。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが非暴力を説き、それを実践できたのも、ここに理由がある。愛によって白人優越主義に抵抗するのだ。 「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10・28)

2020-06-02 08:53:05
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十字架が逆説的な宗教的象徴となるのは、それがこの世の価値体系を反転させるからである。打ち負かされることから希望は生まれ、苦しみと死は最後の言葉にあらず、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。世俗の知識人はこのような理屈に合わない考えを退けるが、

2020-06-02 08:59:08
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それは黒人民衆の霊的生活においては全き現実なのだ。拷問を受け、リンチを受けた多くの黒人にとって、十字架につけられたキリストは彼らの生の大いなる矛盾の内に現在する神の愛と解放のしるしとなる。黒人キリスト教徒が、その苦しみと痛みの大きさにかかわらず究極的には「この世の艱難」に屈しない

2020-06-02 09:10:04
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と信じることができたのは、イエスの十字架があったからなのだ。力を剥ぎ取られた無力な人々にしか、このような非合理的な信仰告白は理解できない。十字架とは、神による(白人の)権力批判である。神は無力な愛でもって、敗北の瀬戸際から勝利を奪い取るのだ。 pic.twitter.com/BAraPEiA9A

2020-06-02 09:18:20
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イエスは今も私達の目の前でリンチを受け続けている。人々が苦難の中にいる時、そこがいかなる場であれ、イエスは十字架につけられているのだ。キリストは黒人であると私が主張するのは、そのためである。

2020-06-02 09:23:13
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(P.213) 十字架の力を言葉で適切に言い表すことは難しい。しかしその力を生きるなら、その真理は自ずと明らかになる。十字架の信仰は現実を変える力を持っているのだ。 ジェイムズ・ボールドウィンが言う「最悪の発見」を克服するため、彼らは信仰の力を必要とした。

2020-06-02 09:26:53
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「最悪の発見…それは、社会が私をニガーのように扱い、私をその中の一人として考えるだけではなく、私自身がそれを信じてしまうこと。つまり白人が自分について言うことを信じてしまうこと」。彼は続ける。 「自分自身について教えられてきたすべての汚物をすっかり吐き出してしまうまでに何年も

2020-06-02 09:33:35
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かかった。この地上を、あたかもここにいる権利があるかのような顔をして歩けるようになるまでに」。 (P.215) 演じるのをやめ、自らの奥深くにある泉に触れてみよう。その泉は私たちを自由にする。さあ精一杯、はっきりと、力強く、そして誠実に自分を表現しようではないか。

2020-06-02 09:39:52
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マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、声を持たない人々のことを「チャンスという日差しの外に置かれた」人々と呼んだ。 「書くことは祈りの一つである」とフランツ・カフカは日記に書いたが、『十字架とリンチの木』もまた私の祈りである。黒人を背に負った神への祈り。

2020-06-02 09:44:28
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また私は、白人の無知が贖われ、彼らが自らの振る舞いの暴力性に対し目が開かれるようにと願っている。そうすれば彼らは、彼らが黒人に対して行っていることは、自らへも向けられていることなのだと悟るだろう。

2020-06-02 09:48:04
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前掲書 (P.258) おわりに カインは、彼の弟アベルを殺害した。しかしアベルの血は土の中から叫ぶのだ。 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか」。カインは答えた。「知りません。私は弟の番人でしょうか?」主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中から

2020-06-02 11:40:56
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わたしに向かって叫んでいる!」(創世記4・9-10) 神はアメリカの白人に、特にクリスチャンに問うのだ。「お前の黒人の兄弟姉妹はどこにいるのか?」白人は答える。「知りません。私たちは彼らの番人でしょうか?」そして主は言われる。「四世紀にもわたってお前たちは何ということをしたのか」。

2020-06-02 11:52:15
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黒人の血がアメリカ合衆国という土の中から神に向かって、そして白人に向かって叫んでいる。この国のあらゆる場所で黒人の血が、神に向かって叫んでいる。この黒人の叫びを聞いた者はいるか?  (P.260) 黒人を欠いたアメリカに未来などない。アメリカというアイデンティティと黒人は不可分の関係に

2020-06-02 11:56:28
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あるのだから。白人は私たちをこの土地をから引き離すことはできない。「ここは私たちの土地だ。私たちはここから生まれ、私たちの涙がこの地を潤し、私たちの遺体がこの土の肥やしとなっているのだから」。ラルフ・エリスンが書いた小説『ジェーンティーンス』に登場するヒックマン牧師はこう宣言する

2020-06-02 12:04:26
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「彼らが私たちを殺せば殺すほど、私たちは贖いの霊でより満たされることになるのだ」。白人が自由と正義、平等を語る時、私たちは問う。それはどの自由を、どの正義を、どの平等のことを言っているのか? こう問われると白人は黒人を直視することはできなくなり、恥と偽善なしでは自由や正義、平等に

2020-06-02 12:10:38
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ついて語れなくなるのだ。 (p.261) 「白人は、黒人を隔てられた場に置いておくことを好むようだ。なぜならそうすることで…彼らは自分の祖先や隣人が犯した罪の責任を問われずにいられるのだから」。これが多くの白人が隔離された塀付きの共同体に住む理由だろう。

2020-06-02 12:15:47
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彼らにとって黒人とは、自らの嘘を思い起こさせる存在に他ならない。自らを、また世界を欺いている彼らは、しかし黒人の姿にその嘘を見る。それゆえに彼らは黒人を毎日見ることに耐えられないのだ。彼らにも罪の意識があるのだろう。

2020-06-02 12:21:35
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私が書くのは、書くことが私の闘いだからであり、私が教えるのは、教えることが私の抵抗だからである。 人々が抵抗を始める時、それを止められるものはいない。抵抗が希望を生み、希望が人々の背中を押し、不可能なことなど何もないと彼らに確信させる。

2020-06-02 12:27:01
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キングが言ったように、私たちは人間として互いに生きること、互いに尊厳と敬意を持って向き合うことを学ばねばならない。そうでなければ私たちは愚か者として共に滅びてしまうだろう。生か滅びか、選択肢は他になく、私は生を選びたい。twitter.com/LiT_Japan/stat…

2020-06-02 12:35:16
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私たちは黒人になることなくして白人と共に生きることはできないのだ。白人に敬意を持って向き合うには、まず自分自身を尊重しなければならない。 私たちは黒人になることなしに人間になることはできないし、人間になることができなければ、白人と共に生きることもできないのだ。

2020-06-02 12:38:16
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(p.263) 弱い者や私たちのうちのもっとも小さい者を受け入れた時、私たちの国はさらに強く、また魅力的になるのだ。まさにそんな瞬間、私はアメリカ人であることを、アフリカ系アメリカ人であることを誇りに思う。何という恵みであろうか。

2020-06-02 12:43:50
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前掲書 (p.272) 訳者あとがき から グスタポ・グティエレス、イグナシオ・エラクリア、ジョン・ソブリノ、レオナルド・ボフ、C・S・ソン、アロイシウス・ピエリス、小山晃佑、金溶福…。1960年代後半から時をほぼ同じくして、彼らはそれぞれの地にあって、その歴史的な文脈における苦難と闘いへの

2020-06-02 14:01:16
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応答としての神学を実践した。彼らの先駆者としての役割は計り知れない。解放の神学、アジアの神学、女性神学、アフリカの文化の神学、黒人神学…。総じて文脈の神学とも呼ばれるこれらの神学がなければ、私たちは黒人のイエスについても、アジア人のイエスについても、性的マイノリティのイエスに

2020-06-02 14:06:24
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ついても語る言葉を持たなかっただろう。黒人神学に限れば、現代神学の最前線を行くクィア神学や女性神学、また広くブラック・スタディーズや批判的人種理論などの分野において、その影響を見ることができる。

2020-06-02 14:10:26
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(p.274) コーンにとって黒人の歴史とは、背負うか背負わないかの選択肢としてではなく、背負わざるを得ないものとしてある。黒人として南部のアーカンソーに生まれ育ったコーンには、それを背負わないという選択肢はなかった。自ら背負わされた十字架を引き受け、それに応答していく。

2020-06-02 14:14:15
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これをコーンの基本となる神学的態度だと考えるが、これは召命に応えるということであり、呼びかけに応えるということである。コーンの神学の核は、コール&レスポンスにある。 自分を呼ぶものに対して応えていくこと、そこにはある種の誠実さを伴う。

2020-06-02 14:20:50
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「誠実である(integrity)」ということは、自分がどこから来たのかを覚えるということであり、応答することに自分の全存在をかけるということであり、何よりも自分の魂に火を灯すということである。W・E・B・デュ・ボイスに「誠実さは、いかに抑圧に相対するのか?」という言葉がある。

2020-06-02 14:28:53
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これはコーンの問いでもあった。自らの歴史に誠実であることは抵抗になるのか? 「欺瞞の只中にあって真実であることは何をなすのか? 侮辱の只中にあって品位を保つことは何をなすのか? 人間であることは、血なまぐさい権力に対し何をなすのか?」

2020-06-02 14:33:00
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誠実であること、真実であること、品位を保つこと、人間であること、これこそ黒人の抵抗の歴史が生み出した最良の部分(霊性、Spirituality )である。人間以下の存在として絶えず扱われる中で、人間であることを求める闘い。誠実さでもって不誠実と相対し、品位を保ち堂々と真実を語る闘い。

2020-06-02 14:38:43
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それは神への信仰なしでは、音楽なしでは、決してなし得ない闘いなのだ。 あれほどの怒りに満ちた神学者が、なぜ最後に喜びを語るのか。これこそ、理性でもっては理解し得ない「逆説」というものなのだろう。コーンは「逆説の神学者」なのだ。 それぞれの場にあって私たちは皆、呼ばれているのだ。

2020-06-02 14:45:20