#青の楽園 さるカフェさんにて:再会 ’20

缶詰のなかみ

　久しぶりに訪れた屋敷は相も変わらず散らかっていて、家主である灰間はというとララのことなどそっちのけで机にかじりついていた。何をそんなに夢中になっているのかはララにはよくわからない。灰間の使うのは、粉、液体、金属、水、火、ガラスや陶のうつわなどだ。灰間の趣味はララのものと似ているようで異なる。
　忙しいところを催促するつもりはなかったので、しばらくは黙って落ち着くのを待っていたのだが、これがなかなかおさまらない。空腹感が高じてきたのでキッチンの近くに散乱していた缶詰を開けて勝手に食べる。灰間に向かって食べないのかと訊くと相手は無言、根気強く声をかけつづけてもララを見もせずに数回聞き返してくるようなありさまで、ララは溜め息をついて近寄った。灰間の黄緑色の頭は筒を覗き込んで微動だにしない。わからないでもない。ララだっていい部品を見つけると寝食を忘れてかかりきりになってしまう。他人のことを怒ったり笑ったりすることはできない。ためしに缶詰のくず肉をフォークに突き刺して口の近くへ持っていってやると灰間はそれをしっかり食べていた（それでもやはり目はこちらを向かなかった）、なんだこいつはと瞠目してしまうかたわら、母親や集落の人間が熱を出すとこうして看病をした、とララはそんなことを思い返していた。
　そうこうしているうちに年が明け、表がいっとき騒がしくなり、なんの気なしにそれを告げると灰間はそれには過敏に反応し、その拍子に疲れを思い出したのか実験をやめてしまった。もしかしたら区切りのいいところまでできたのかもしれない。それともしっかりと年を越せなかったことがショックだったのだろうか？　ララには新年を迎えてはしゃぐ習慣はないのだが、内部の人間は昔と同じ暦を使っていると噂で聞いたことがあるし、わかりやすい周期で生き延びたことをかみしめて次に備えるという意味でなら、季節の行事が大事であることはわかる。追求する気はとくにわかないがもしかすると灰間はそういうたぐいの人間なのかもしれない。
　今の灰間は机のそばにある大きな一人がけのソファにひっくり返るようにして座っている。こうしてみると手足が長い。薬品やガラスの類いはかろうじて机の上だが、床には何冊も何冊も棚からこぼれるようにしてたくさんの書物が開かれており、足の踏み場がない。互いに何かしっかり食べたほうがいいのではと思い、ベッドに腰かけて惨状を眺めていたララは立ち上がった。
　肉食べる？　ていうか、ある？　灰間は首を横に振っている。台所見ていい？　手をひらひら振られたので勝手に入った。肉どころか野菜もくだものもない、パンも米もない、魚やチーズ、卵、ナッツもない、ほんとうのからっぽだと灰間に向かって声を放ると、もう塩や油くらいしかないかもしれない、と返された。だめもとでホットチョコのことを聞いてみる。酒なら地下にと言われたが、酒だけ飲んだって腹はふくれないだろう。缶詰ももうそろそろ尽きそうだ。
　灰間が手招きをするのでそばへ寄ろうとすると枕を指さされた。水色の布に包まれた枕の下に手を突っ込むと巾着があり、中からいくつかの宝石と、街の通貨が出てくる。
「すみません。貴方が出かけているうちに片付けておくので、外で何か食べてきてください」
　あれだけ何日も不眠不休で集中すれば疲れるだろう。本当はさすがに文句のひとつでも言ってやりたい気分になってきていたのだが、たぶんそれも空腹のせいだ。ララは大人しく巾着を懐に隠して外へ出る。

缶の外のおはなし

缶切りにはなれない

　二時間くらい出ていただろうか、ララが屋敷に帰って扉を開けると灰間は平素の顔に戻っており、キッチンの奥で缶詰をすすいでいた。
「お帰りなさい。さっきはすみませんでした、食事にはありつけましたか」
　足の踏み場がなかった床もきれいになっている。暖炉にもしっかり火がついていて、ララの脳裏にさきほどまでいたカフェの光景が浮かんですぐ消えた。金属のあたる音がする。役目を終えた缶詰が捨てられているのだ。
「さるカフェででっかいハンバーグ食べてきた。二人とも元気そうだったよ、そうそう、お前にも疲れたらまた来てくれって言ってた」
　灰間はキッチンから出てこない。入り口から見える黒いセーターに包まれた肩が上下していて、それで何か上の棚に戻したのだというのだけがわかる――そうですか、というゆっくりとした声が暖炉のそばに返ってくる。
「いつでしたっけ、パンいただいたの」
「去年」
「もう一年経ったんですか。いけませんね。なんだかついこの間のことみたいだな。それにしても私のことまで覚えてくれているとは」
「お前、なんか渡したとか言ってなかった？　それで覚えてくれてるんじゃないの」
「うーん」
　困ったような、ふくみ笑いをするような唸り声を軽く発し、灰間はそれきり黙り込んだ。ララからは袖まくりをした腕が見えているだけだ。
　座ろうとしてそばに積まれた本を少しどけると下から紙が出てきた。麦、オリーブオイル、レモン、卵、バゲットに骨髄ペースト、マンボウの腸、小麦粉、豚肉、……これは食料品のメモだ。新年の祝い料理というわけではなさそうだが、灰間も一応料理する気はあるのだ、たぶんララに何か振る舞おうとしてくれていたのだろうと思い、そして前の秋に灰間がリンゴをパイにしていたのをララは思い出す。この自分がいうのもなんだが灰間はやる気にムラがあるというか、つくづく生き方のおかしい男である。
　暖炉の炎を見つめてララは思案にひたる。――何か希望があれば修理させてほしい、去り際にさるカフェの店主にそう申し出たのは、頑張っている年下の少年に負けん気を刺激されたためだったのだが、言い出せてよかったのかもしれない。ずっとどうやって身を立てようか悩んでいた。どこかのオートショップや家電用品店につくことも考えたが、旅がしたくなったときにすぐ移動できるような生き方がしたい。しかし旅だけで生きていくのは難しい。食料は自分で罠をはってまかなえるとしても道具が必要になることもある。それで――修理屋か。
　一度母親のところに戻ろう、と思いながらアースカラーの布を体に巻き直す。何かまた新しいガラクタが廃棄されたかもしれない。強いエンジンを作ることをララは諦めていないのだ。灰間はまだキッチンから出てこない、ララは冬のせいで乾燥しがちな口を結んで炎を見据えながら、灰間のたてる缶と水と袋の音を聞いている。

To be continued...